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辛島先生は昭和31年に学部を卒業されてすぐに宇宙研,当時の理工学研究所の助手に採用されました。以来,40年にわたって宇宙研の流体力学研究を支えてこられました。意外に思われる方も多いと思いますが,辛島先生はスポーツをよくされました。昔は15号館は人数が少なかったので所内対抗といえば総出でした。心臓を悪くされてからは機会がなくなりましたが,辛島先生と卓球をしていじめられた方も少なくないと思います。スキーも毎年行きました。その昔忘年会で聞かせていただいた「風洞小唄」はほとんど覚えているのですが,辞められる前に正確な歌詞をお聞きして後生に語り継ぐのが私たちの義務だと思っています。
学生当時を思い出すと,誰かが先生の部屋から帰ってくるとその表情から「いってきたな」というのが必ず分かるくらい厳しく指導していただき(?)ました。研究に関しては大変厳しい(昔の仲間といつも話題となるのは最近はまるくなったよね,なんですが)辛島先生ですが,何故か女性には甘く,私の研究室の歴代の秘書さんもみな口を揃えて「優しいですよ」といっていたのが何よりの証拠です。このギャップについての「理論的解明」は私にはとうとうできませんでした。多分流体の非線形性に起因しているんだと思います。助手の佐藤さんがしっかりされれていたのか,ずっと研究室秘書を雇われなかったのですが,佐藤さんが停年退職されたこともあって最後の年だけは研究室秘書を雇われました。そのせいか更に厳しさが影をひそめ,この1年は大変助かりました(中村さんありがとう)。
ここ数年はいつ部屋に伺ってもパソコンに向かって実験データを処理するプログラムを作っておられました。いまでも,流体現象に関する話を始めるといつまでも終わりません。流体の分野では理論,実験と並んで数値シミュレーション技術が多くの成果をあげていますが,計算力学ではなく流体力学の立場からこれに取り組まれた先生の功績は小さくないと思います。実際,この分野で活躍されている多数の辛島研出身者がいます。
4月以降も研究者として引き続きご活躍されると思いますが,くれぐれも健康に留意して末永く宇宙研の流体研究者に苦言を呈していただきたいと願っています。本当に長い間ありがとうございました。
(ふじい・こうぞう)
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(しもむら・かずたか)
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あれからもう14年くらいになりますね。宇宙研が相模原キャンパスの整備を始めた頃。ちょうどM-3S-型ロケットの開発に追われていた頃。ロケット機体の構造試験をする設備を当時の駒場キャンパスに建設するわけには行かず,相模原キャンパスに構造機能試験棟を建設しました。構造機能試験棟の構想を綿密に纏め,工事が始まると,未整備で不便な相模原キャンパスに毎日のように足を運ばれましたね。おかげで使いやすい試験棟ができあがり,ぎりぎりのスケジュールながらM-3S-型ロケットの構造試験も終えることが出来ました。
M-Vの開発でも次から次と構造・機構試験が行われ,市田さんと構造機能試験棟の活躍が続きました。おかげでM-V-1号機も見事に成功することとなりました。 こんなに長い年月が過ぎたのに,私には市田さんが変わったという意識が殆どありません。私も一緒に年をとったからでしょう。これからも変わらない市田さんでいてください。
(おのだ・じゅんじろう)
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私が前山さんと親しくお話をするようになったのは,その写真の時代より少し後になります。ブロマイドから抜け出たような前山さんにお会いできなかったのは大変残念でしたが,その頃もマドンナ的雰囲気は充分に持っていらっしゃいました。そして今も気品のある美しさ,時に幼児の様な純真な笑顔と,図書室のマドンナであり続けていらっしゃいます。
私が前山さんと初めてお話をしたのは,宇航研時代にあったクラシック音楽を聴く会の事だったような気がします。その後はお互いに大好きな猫達の話,共通の趣味の生け花の事,そして仕事の悩みと,私の中でその存在が次第に大きくなっていきました。
また,宇宙研,境界研と所属組織は異なりましたが,図書室を共同運営することになり,仕事に対する心構えや情熱といったものを,身をもって教えていただきました。私の人生の大半は,前山さんと一緒にあったと言っても過言にはならないでしょう。定年を迎えられる前の一年間をご一緒に仕事ができて,本当に良かったと思っています。
これからもお元気で,いつまでも私たちのマドンナでいていただきたいと願っております。
(なかい・ゆきこ)
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その鈴木さんがいよいよ定年。過ぎ去って行く時間を流れる川の水に例えるように,昭和37年12月1日入所の鈴木さんは,毎朝毎夕通り過ぎるわれわれを温かく見守ってこられ,この三月をお迎えになります。われわれの惜別の思いは言い尽くせません。
冒頭の逸話の時代は職員との交流も多かったので,われわれもよく守衛室に通ったものだった。茶菓子をいだだきながらの雑談,閑談,清談,冗談。鈴木さんはいつも穏やかに語られ,静かに耳を傾けられた。われわれの社会勉強の時間でもあったのですね。 鈴木さんの背広の着こなしのよさに気がついていますか。実は鈴木さんは洋裁の専門家の時代があった方でして,まずは研究所一の着こなし名人でしょう。まっすぐ手を伸ばしてみて,背広の袖口から白いワイシャツが覗かないようなチョベリバな着方をしている人達は,直ちに鈴木さんの所へ行き教えを請うベシ,です。
職場旅行の観光旅館で引き当てたニュージーランドツアの一件を楽しげに思い出しながら,鈴木さんはこうおっしゃった。「ここにいたからこそ会えた人,経験出来たこと。たくさんあって幸せでした」。
月並な言葉しか思いつかなくて歯がゆい気持ちですが,どうかお元気で。そうして,これまで通り,時には「八海山」を一緒に茶碗で飲りましょう,栄一さん。
(まえやま・かつのり)
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