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ISASコラム

宇宙・夢・人

科学衛星の成長を見守っています

(ISASニュース 2010年6月 No.351掲載)
 
宇宙科学プログラム・システムズエンジニアリング室 技術領域リーダ 渡戸 満
わたんど・みつる。1958年、神奈川県生まれ。東京工業大学工学部機械物理工学科卒業。同大学大学院理工学研究科機械物理工学専攻修士課程修了。1983年、宇宙開発事業団(NASDA)入社。NASDA宇宙実験グループ、会計検査院出向、有人宇宙環境利用ミッション本部、経営企画部、ISAS科学推進部研究マネージメント課などを経て2008年より現職。
Q: システムズエンジニアリング室とは、どのような仕事をする部署でしょうか。
それが一番困る質問なんです(笑)。一般的な「システムエンジニア」と似ているのでソフトウェアなどの設計をしていると思われがちですが、まったく違います。宇宙研では宇宙理学委員会・宇宙工学委員会のワーキンググループで科学衛星の卵が生み出され、その中からプロジェクトとして選ばれたものが科学衛星として開発され、宇宙へ送り出されます。開発中には節目に当たるタイミングでさまざまな審査を受けることになりますが、システムズエンジニアリング室では、これらのサポートなどを行っています。子どもが生まれるとお宮参りや七五三、そして小学校の入学式など、子どもの成長を確かめ、お祝いをします。私たちも、このような審査を通じて科学衛星の成長を見させてもらっているのかもしれません。
Q: 大学は機械物理工学科ですね。
大学受験の少し前から、宇宙にかかわる仕事がしたいと思うようになりました。調べてみると、東京大学か京都大学の航空宇宙学科に進むのがいいと分かったのですが、私には無理。そこで東京工業大学の機械物理工学科へ。当時の東工大は宇宙とは無縁でしたが、機械工学を学んでいれば宇宙につながるのではないかと思って。今では学科名に「宇宙」が入って、機械宇宙学科となっています。私の選択は間違っていなかったのかな。
Q: そして宇宙開発事業団(NASDA)へ。
これまで2〜3年おきに部署を移動しましたが、有人飛行関係が多かったです。1992年に毛利衛宇宙飛行士がスペースシャトルで飛行したときは、宇宙実験のサポートをしました。生命科学系の実験ではショウジョウバエやカビなどが相手なので、機械物理工学科出身としては戸惑いも大きかったですね。
国際宇宙ステーション(ISS)の実験施設「セントリフュージ」の開発にも携わりました。人工重力をつくり出すことで、無重力の宇宙環境が生物にどのような影響を与えるかを詳しく調べることができる画期的な実験施設でしたが、残念ながら開発中止に。その後もさまざまな経験をしてきました。
Q: 有人飛行の魅力は?
自分がかかわった衛星が打ち上げられたときの喜びは格別でしょう。有人飛行の打上げも同じです。そして、有人飛行の場合は戻ってきます。打上げと帰還、喜びが2倍です。
Q: 趣味は?
今は映画やドライブくらいですが、大学時代はオリエンテーリングをやっていました。子どものころにオリエンテーリングをやったことがある人は、歩くというイメージを持っているかもしれません。しかし、オリエンテーリングは走る競技なのです。コースにポイントが設置されていて、参加者はポイントを指定された順番で通過して、ゴールまでの時間を競います。クロスカントリーは走る道が決まっていますが、オリエンテーリングは地図とコンパスを使って次のポイントまでの道を自分で決めます。いい記録を出すためには、どの道を行くか、走りながら一瞬で判断しなければなりません。その道が大正解だったときは、とても気持ちがいい。逆に、弱気になって人の後を付いていくと、失敗することも。ゴールしたときは毎回、「何でこんなにつらいことをやっているのだろう。もうやめよう」と思います。でも1日たつと、またやりたくなる。オリエンテーリングには不思議な魅力があります。久しぶりにやりたくなってきました。でも、体力が……。
Q: 最後に、長年有人飛行に携わってきたご経験から、現在の状況に一言お願いします。
宇宙という環境を使って有人で本格的な実験を行ったのは、毛利宇宙飛行士のミッションが日本で初めてでした。それが今では、ISSの「きぼう」日本実験棟で常時、実験が行われています。「きぼう」は計画から完成までずいぶん時間がかかってしまいましたが、続けていくことは大事です。やめるのは簡単ですが、再開することはほぼ不可能です。