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ISASコラム

宇宙・夢・人

天文学者を夢見た管制官

(ISASニュース 2009年11月 No.344掲載)
 
宇宙科学技術センター 特任担当役 前田行雄
まえだ・ゆきお。1949年、兵庫県生まれ。成蹊学園小・中・高等学校、東海大学卒業。1967年、東京大学宇宙航空研究所入所。専門は軌道工学。
Q: 「ISASメールマガジン」で今年7月の皆既日食について書かれています。
初めて皆既日食を見たのは1963年、中学3年生のときです。友達と北海道の知床半島の先端まで行きました。1973年にはケニアへ。それがあまりにも素晴らしかったので、サロス周期といって太陽・月・地球の位置が同じになる2009年の皆既日食は絶対に見たかったのです。今回は船を選択したおかげで、北硫黄島沖で見事な皆既日食を見ることができました。これまでに見た皆既日食は10回以上。宇宙研では一番多いでしょう。
Q: 天文少年だったのですね。
東京・渋谷の五島プラネタリウムには、よく行きましたね。口径8cmの反射望遠鏡を買ってもらい、土星の環や木星の衛星、いろいろな星雲を見ました。小学校卒業のときに書いた色紙が今も残っていて、そこには「将来の夢は天文学者」とあります。
 ガガーリンが来日したときには、ぜひ会いたくて、学校代表としてテレビ番組の収録に参加させてもらいました。サターンX型ロケットも、アメリカのケネディ宇宙センターまで見に行きました。トラブルで月に着陸できずに帰還した「アポロ13号」の打上げです。知り合いのつてを頼ってテレビカメラマンの助手にしてもらったのです。報道席で見る打上げは、大迫力でした。
Q: 行動が大胆ですね。
実は高校1年生のとき、糸川英夫先生を訪ねて鹿児島県内之浦の実験場に行っているのです。1週間ほど滞在し、さまざまな設備や観測ロケットの打上げを見せてもらいました。今思うと、あれほど偉い先生がよく面倒を見てくれたものです。糸川先生に会いに行ったり、手紙を送ったりした若者はたくさんいましたが、先生は誰に対しても親切にされたそうです。
 夢は変わっていませんでしたが、現実問題として、天文学で生活をしていくのは大変です。父は商社員だったので息子も商社へと思っていたようですが、大学受験を前に、天文は趣味にとどめ、飛行機の整備士を職業にしようと思っていました。
Q: その後、どのような経緯で宇宙研に?
東海大学工学部航空宇宙学科の1期生として入学しました。しばらくして、東京大学の宇宙航空研究所で人を求めているという話を聞きました。私は、航空部に所属してグライダーに乗ったりして大学生活を楽しんでいたので、最初はあまり関心がありませんでした。しかし先生から、「卒業するとき、こんなチャンスがあるとは限らない」と言われ、宇宙研に行くことに決めました。
 それから40年。大型計算機の運用、ロケット実験のデータ処理、そして軌道計算、電波誘導の管制など、さまざまな仕事をしてきました。
Q: 最も印象に残っている打上げは?
成功したときより失敗したときの方が、印象に残っています。最も衝撃が大きかったのは、2000年、ASTRO-Eの軌道投入に失敗したM-V型ロケット4号機です。私は電波誘導の管制官として、コントロールセンターで軌道表示画面を見ていました。ロケットに関するすべてのデータ、情報が入ってきます。成功か失敗か、誰よりも早く分かるのが私です。完全に軌道を外れていればあきらめもつきますが、あのときは成否ぎりぎりのところでした。どうしたら軌道投入できるか、その方法を考えてロケットにコマンドを送るのが私の仕事です。あと1%速度が上がれば…。思わず「衛星のガスジェットを噴けないか」と叫び、周囲を驚かせました。トラブルに備えてそういう対応を議論したこともあったので、わらをもつかむ思いで出た言葉です。「まだ行ける!」「ちょっと届かない」…。冷静なつもりでしたが、記録されている音声を聞くと、かなり上ずっていましたね。
Q: 成功した打上げで印象に残っているものは?
1985年のM-3SII型ロケット1号機です。日本の宇宙機として初めて地球引力圏を脱出した、ハレー彗星探査機「さきがけ」を載せていました。ロケットの速度表示が地球引力圏の脱出速度に達したときは、感慨深いものがありましたね。
Q: 最後に、現在の宇宙研や日本の宇宙開発へ一言。
Mロケット1号機(M-1-1)は打上げこそ参加していませんが、飛翔軌道の図をつくったのは私です。それ以降、Mロケットシリーズの打上げにはすべて参加しています。しかし、Mロケットの開発はM-V型の7号機を最後に中止されました。今年9月には新しい液体ロケットH-IIBの打上げに成功し、次期固体ロケットの開発も進められています。しかし、全段固体で惑星探査機も打ち上げることができるM-Xをなぜ廃止しなければいけなかったのか。今でも残念で仕方がありません。輸送系なくして宇宙開発はない、私はそう思います。