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ISASコラム

宇宙・夢・人

宇宙飛行士志望から地上燃焼試験のスペシャリストへ

(ISASニュース 2014年1月 No.394掲載)
 
基盤技術グループ 開発員 鈴木直洋
すずき・なおひろ。1973年、茨城県生まれ。日本大学理工学部機械工学科卒業。1997年、宇宙科学研究所技官。2003年より現職。
Q: 新しいロケットや衛星推進系の地上燃焼試験を担当されているそうですね。
試験設備の設計から組み立て、実験の実施までを行うスタンド班のチーフを務めています。新しい推進系の開発ではまず、あきる野実験施設で小さい供試体で試験を行い、推力・内圧・温度・ひずみなどを測定します。次に、サイズを大きくした供試体の試験を能代ロケット実験場で行います。自分のアイデアで設備を改良したり、新しい工夫を試したりできるところが楽しいですね。
Q: 子どものころから宇宙に興味があったのですか。
5歳のころ、親が宇宙科学博覧会に連れていってくれたときの写真があります。記憶にはないのですが、潜在意識に残ったのかもしれません。強く印象に残っているのは、小学5年生のときの理科の宿題です。オリオン座を観察して星が動いていることを知り、とても感動しました。学校の勉強って無駄ではないんだ、と初めて思ったのもそのときです(笑)。それがきっかけで親に望遠鏡を買ってもらい、大学までずっと天文や宇宙関係のクラブや部活動に参加していました。
Q: 天文学者になりたかったのですか。
地上から宇宙を見ているだけでなく、宇宙へ行ってみたいと思うようになり、宇宙飛行士を志望しました。高校のとき、宇宙飛行士の募集要項を当時のNASDA(宇宙開発事業団)から取り寄せてみると、自然科学系の4年制大学卒以上で、研究や開発・設計などに3年以上の実務経験があること、という条件でした。そこで、大学の航空宇宙関係の学科に進学した後、NASDAに入って実務経験を積み、宇宙飛行士の試験を受けることを目指しました。
 ところが私は、理科は好きでしたが、数学が苦手。得意科目は美術や地理でした。1年浪人しても、いくつか受けた航空宇宙関係の学科は、すべて落ちてしまいました。日本大学の航空宇宙工学科を受けたとき、第二志望として申請した機械工学科に受かりました。航空宇宙工学科の建物をうらめしげに横目で見ながら4年間学んだ機械工学が、今の仕事に役立っています。
Q: 就職活動はいかがでしたか。
就職氷河期でした。NASDAは書類選考で落ちてしまい、宇宙関係のメーカーなどを対象に幅広く就職活動をしました。そして、ようやく人工衛星の部品メーカーから内定をいただき決定したところに、滑り込みで(正確には手遅れだったのでいろいろありましたが)、運よく宇宙研の採用通知をもらいました。宇宙研に入ったばかりの5月、能代ロケット実験場で燃焼試験を直視点で見学していたら、涙がこぼれてきました。大学受験や就職活動で苦労しましたが、ようやく自分が希望する場所にたどり着くことができたと思いました。
Q: 宇宙飛行士の夢は?
なりたい気持ちはずっと抱いていましたが、宇宙飛行士の募集がなかなかありませんでした。2008年に10年ぶりに募集がありましたが、その間に私は白内障の手術で眼内レンズを入れました。それでも応募できるか問い合わせたところ、駄目だと言われました。それで正直、ほっとしました。実際には仕事に追われて宇宙飛行士になるための勉強はほとんどできていませんでしたが、駄目だと言われなければ、子どものころからの夢を諦め切れない人生が続いていました。
Q: 宇宙以外に関心があることは何ですか。
子どものころからザリガニ捕りが得意で、最近まで飼っていました。形が好きなんです。建物などの人工物の絵を描くことも趣味で、美術館にもよく足を運びます。マンガも好きで、ジョージ秋山先生の大ファンです。いろいろな趣味の中でも、今一番関心があるのはワインですね。
Q: 仕事上での新しい夢は?
現実的な目標は、「推進系の地上燃焼試験のことなら、あいつに聞け」と、宇宙研だけでなくJAXA全体で言われる存在になることです。  大きな夢は、小惑星探査機「はやぶさ」を超えるような、ミッションや探査機のアイデアを出すことですね。JAXAには、事務部門にも宇宙が大好きな人が集まっています。さらに日本にはたくさんの宇宙ファンがいます。そのような人たちのアイデアが実現されたら、面白いですね。私自身も壮大なアイデアを生み出したいと、日々考えています。