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ISASコラム

第43回
スペースVLBI衛星「はるか」その4

(ISASニュース 2006年8月 No.305掲載)

はるか

今回は「はるか」の最終回です。うれしかった1本の電話のことをお話ししましょう。

「はるか」衛星の最大の難関だった大型アンテナの展開に成功し、皆喜びに沸いていたさなか、衛星テレメータセンターの広澤春任先生のもとに1本の電話がかかってきました。先生はニコニコと笑みを浮かべながらお話をされた後、横にいた小生に電話を替わってくださいました。電話の先は元宇宙研所長の小田稔先生でした。「おめでとう、君たちは大変素晴らしいことをしたのです。誇りに思っていいんですよ」とおっしゃっていただき、大変感激したことを覚えています。1980年代半ば、国際会議で小田先生をはじめ日本の電波天文学の皆さんが展開された日本のスペースVLBI衛星構想が、今現実に日本で実現したことに小田先生も大変喜ばれ、お祝いの電話を下さったのでしょう。

「はるか」の科学的成果と国際協力

世界初のスペースVLBI衛星として誕生した「はるか」衛星の科学観測は、プロジェクト・サイエンティストの平林久先生を中心に進められました。内之浦局からの運用、世界の5局(NASA/JPLの3局、米国NRO、臼田)による観測データの受信、世界の多くの電波望遠鏡と3局の相関処理センターの協力のもとにスペースVLBI観測を行い、多くの成果を挙げました。その概略を述べれば、活動的銀河核の形態を観測し、巨大ブラックホールが源と見られる核の輝度、プラズマジェットの形成・加速と消長、偏波観測による磁場との関連、これらの形態の時間変化を明らかにし、そのメカニズムを解明しました。そして2003年10月までに、延べ700を超える観測を行いました。

また国際協力として、米国国立電波天文台(NRAO)を含め世界の40局を超える電波望遠鏡群と共同で、世界初の国際スペースVLBI観測を続けてきました。VLBI観測の心臓部ともいえる各局で記録したデータテープの相関処理に、国立天文台、米国ソコロ、カナダのペンティクトンの相関局が協力しました。この大規模な国際的観測はVSOP(VLBI Space Observatory Programme)と名付けられ、国際的な評判となりました。

世界初のスペースVLBIによるVSOP観測で、活動銀河核のジェットなどの最高解像度の画像を得ることに成功。ジェットの根元がより複雑な構造であることを明らかにした。

不死鳥衛星「はるか」運用終了

1997年2月に打ち上げられた「はるか」は、当初3年の運用を目標に観測が始められましたが、予想を上回って8年9ヶ月の長い観測運用が続けられました。しかしながらこの間の運用は決して平穏でなく、衛星不調による観測運用中止の危機が幾度もありました。衛星がセーフホールドモードに入り、衛星が回転するピンチにも幾度も遭遇しました。その都度、粘り強い修復作業で不死鳥のように回復させ、観測を続けました。

しかし、最後は姿勢制御を行う上で最も大事なホイールの不具合が発生し、昇温などによる回復を試みましたが、その回復の見込みがないことが判明し、運用を終了することになりました。そして2005年11月30日11時28分08秒、停波コマンドによって運用を終了しました。この長期にわたる運用が達成されたのは、最初から運用を担当された村田泰宏先生をはじめ、VSOP運用チームの努力の賜物と考えます。

おわりに

工学実験衛星「はるか」は、プロジェクト・マネージャーの広澤先生を中心に開発が進められ、スペースVLBIに必要な工学技術の実験を行うと同時に、科学観測も行うことができる電波天文衛星として設計されました。先生は、一つの衛星で工学実験と科学実験を同時に行うため、工学と理学とのチームワークを第一に、慎重に進められました。その結果、工学実験は完全に成功裏に終了し、スペースVLBI観測も多くの素晴らしい成果を得ました。VSOPチームは世界で初めてのスペースVLBI衛星「はるか」を使い、はるか彼方のクエーサーから噴き出すジェットの姿を、ハッブル宇宙望遠鏡に比べても抜群に良い解像度で詳細に明らかにしました。この業績が認められ、VSOPチームは国際宇宙航行アカデミー(IAA)の「チーム栄誉賞」を2005年に受賞しました。チームワークの勝利というべきでしょう。

(井上 浩三郎)