宇宙航空研究開発機構 サイトマップ

TOP > レポート&コラム > ISASコラム > 浩三郎の科学衛星秘話 > 第25回 超新星からのX線をとらえた「ぎんが」その2

ISASコラム

第25回
超新星からのX線をとらえた「ぎんが」その2

(ISASニュース 2004年11月 No.284掲載)

ぎんが

「ぎんが」には、3種類の観測器が搭載されていました。主観測器は、この種の観測器としては世界最高の感度を持ち、X線強度の時間変動の観測によってX線源の構造を探る大面積比例計数管(LAC)。ほかは、ガンマ線バースト検出器(GBD)と全天X線監視装置(ASM)でした。

観測機器は1987年2月24日に高圧電源の投入が行われましたが、大マゼラン雲に超新星が出現したため急きょ観測態勢に入り、標準的X線源であるカニ星雲による較正と並行してLACによる観測を開始しました。ASMおよびGBDは、3月末から稼働を始め、ASMは2個のX線新星を発見し、GBDは最初のバーストを3月4日に観測しました。

固唾を呑んだパドル展開

「ぎんが」は科学衛星で初めての本格的な3軸姿勢制御で、大変な技術開発がありましたが、ほかにもいくつかの課題を抱えながらの開発でした。システムを担当したNECの松井さんは、当時苦労したことを次のように語っています。
「まずは、4枚の太陽電池パドルを秒のオーダーで同期させて展開する初めての経験でした。打上げ後3段目から衛星を分離し、スピンを止め、ホイールを回転させパドルを展開させる一連のシーケンスがあります。このとき、もしパネル展開のタイミングがわずかでもずれると衛星はタンブリングし、姿勢制御困難な状態に陥る可能性もあり、大変心配しました。」
結果的には無事、初期姿勢確立まで良好に行われました。このシーケンスは、その後の宇宙研の衛星の基本になりました。

観測成果

「ぎんが」の観測器はこれまでのX線天文衛星で最も感度が高く、多くのX線源を観測し、新しい事実を次々と発見し、特に銀河系外のX線源の観測に威力を発揮しました。これらの多くの素晴らしい成果の詳細を述べることはできませんが、主なものは次の通りです。
(1)超新星SN1987AからのX線の検出
(2)新しいX線パルサーの発見
(3)明るいX線新星の発見
(4)ガンマ線バーストのスペクトル構造の解明
特に、LACの感度は非常に高く、全世界の貴重な共有財産として、国内外からの観測の申し込みが殺到しました。衛星主任の槙野文命先生は、日夜その対応に追われたそうです。

観測器をチェックされる槙野文命先生(右)

日食でセーフホールド姿勢へ落ちる

ミッションも終わりに近づいたころ、ハワイ上空辺りで長い日食に遭遇し、「ぎんが」はセーフホールド姿勢に落ち込みUVC(アンダーボルテージコントロール)が動作し、各機器がオフされる予想外の出来事が発生しました。

これは普通、衛星は日照(昼)、日陰(夜)を繰り返しながら周回しており、夜(日陰)の後には太陽(日照)が来ることを前提に衛星はロジックが組まれ、姿勢を常に保持していますが、太陽が来ないと衛星は姿勢保持ができなくなり、セーフホールド姿勢に落ちたのです。

セーフホールドとは、衛星に重大な不具合が発生したとき衛星を助けるために、ある安全な姿勢に自動的に持っていくことです。

このセーフホールド姿勢を元に戻すのに数日間かかります。内之浦の運用担当者から「衛星が長生きすると、いろいろなことが起こりますねえ」とメッセージが送られてきたと、当時観測機器を担当していた牧島一夫先生(現東大教授)は思い出を語っておられます。

「ぎんが」における国際協力

「ぎんが」の観測機は英国、米国など外国の研究者と共同で製作、試験などを行い、多くの観測を行って、素晴らしい成果を挙げました。そのため多くの研究者が日本を訪れ、また日本からも英国、米国などへ訪れ、機器の開発やデータ解析などを行いました。

外国の研究者の中には1ヶ月以上滞在した人もおり、内之浦に滞在したイギリスの方(岸良の児玉旅館に宿泊していた)は大の魚好きで「1年分の魚を食べました」と喜んでいたそうです。

かくて1987年2月5日に打ち上げられた「ぎんが」は、1991年11月1日に大気圏に突入し消滅しましたが、すべての観測機器は最後まで正常に動作し、約350のX線天体を観測しました。消滅後もデータの解析および論文の作成は、外国の研究者と続けられました。

(井上 浩三郎)