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ISASコラム

第23回
ハレー彗星探査機「すいせい」その2

(ISASニュース 2004年9月 No.282掲載)

すいせい

真空紫外撮像装置(UVI)が初めてハレーの像をとらえたのは1985年11月14日でした。ライマンアルファ像の明暗の繰り返しを系統的に観察して、核の自転周期が2.2±0.1日という値を導き、結果がNature誌に投稿されました。1986年3月8日〜9日のハレー彗星への最接近(約15万km)に際しては、太陽風観測装置(ESP)もハレー彗星と太陽風の相互作用に関して大変貴重なデータを取得しました。

ハラハラする場面にも遭遇しました。印象に残っているものを少し挙げてみます。

きわどかったアンテナデスパンモータの不具合

探査機組立て作業を点検される衛星主任の伊藤富造先生(定年された平尾先生から引き継がれた)

まずは、1985年8月打上げに向けて最後の仕上げに入った総合試験でのこと。7月1日の射場輸送前の最終チェックを終了後、翌日のバッテリ特性試験の負荷設定で、デスパンモータを回転させようとしたらモータがびくともしないという事態が発生しました。このモータは地球との通信やハレー撮像時に使用するもので、動作しなければミッションができなくなるほどの重要なところです。当然、関係者は懸命にその原因究明に当たりました。

1回転360度を少しずつ動かしながら、7月11日までチェックを繰り返し行いました。その結果、不具合の原因が、アンテナと衛星との相対速度を検出するタコパルスと、衛星との相対位置を検出するための位置パルスを処理する回路が、非常に狭い動作範囲において初期起動用トルクを発生しないことにあるということが判明しました。

原因究明を担当したNECの川口氏の執念が実り、奇跡的に原因を突き止められました。検討の結果、運用上は問題ないとの結論に達し打上げに臨みましたが、ミッション中はまったく問題なく動作しました。もしこの原因が不明だったり、修復に時間がかかってしまって打上げに間に合わなかったら、と思うと肝を冷やす出来事でした。

失敗できない最接近時の観測データ取得

「すいせい」は2個の観測装置を載せて最接近時のデータを取得したわけですが、失敗するとあと76年待たなければなりません。「すいせい」のシステムを担当された元NECの上村さんは、「この探査機の運用で一番緊張したのは、打上げでも軌道修正でもなく、最接近時のESPの運用コマンドプログラムの作成でした。最接近時のハレー彗星の方向と時刻情報からESPを制御しつつ観測し、取得したデータを確実にデータレコーダに記録しなければなりません。ESPとデータレコーダの動作を図に描いたり、何度もシミュレーションしました。何年もかけての成果がこの瞬間に懸かっていると思うと、絶対にミスはできないという最高の緊張状態で作業しました。予定どおりの観測データが得られた時は、正直“ホッ”としました」と、当時の思い出を語っておられます。

真空紫外撮像装置(UVI)によるハレー彗星の水素コマ像
左:1986年2月27日に撮った暗い位相のもの
右:1986年3月1日に撮った明るい位相のもの

名物教授のタバコと「世界一小さい深宇宙運用管制室」

駒場キャンパスのクリーンルームに造られた管制室には、探査機の軌道を担当された西村敏充先生がよくおみえになり、軌道運用に当たられました。先生はヘビースモーカーとして有名でしたが、初めての深宇宙ミッションにおける軌道決定を心配されてか、そのタバコの本数はますます増えて、軌道を担当した富士通の西郡さんは「灰皿を持って先生の後をよくついて回りましたよ」とエピソードを語っておられました。

西郡さんの話によりますと、実際に少人数で行った軌道決定作業は大変タイトなスケジュールで、打上げ時には布団を持ち込んで徹夜で軌道ソフトを作ったりもしたそうです。まさに自転車操業で、計算機を導入し、初めての臼田局との高速回線を導入したり、大変な地上システムの構築でした。また、運用を担当された上杉先生が外国からのVIPをこの管制室に案内され、「世界一小さな深宇宙管制室です」と説明されていたことも思い出されます。

(井上 浩三郎)