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ISASコラム

第21回
ハレー試験探査機「さきがけ」その2

(ISASニュース 2004年7月 No.280掲載)

さきがけ

4つの開発課題

ハレー彗星を探査するPLANET計画は、
(1)M-3SII型ロケット
(2)惑星間を航行する探査機
(3)大型アンテナを持つ深宇宙局
(4)惑星間飛行用のソフトウェア
―この4つの開発を限られた条件のもと短期間で同時に実現しなければならない厳しいものがありました。新聞記者の人たちからも、「こんなにたくさんの新規開発課題を抱えてうまくいくはずがない」とまで言われましたが、終わってみると、数々の難関はあったものの、それらをすべて見事に突破した素晴らしいプロジェクトとなりました。

深宇宙局の建設と運用システムの開発

「ハレー彗星探査計画で超遠距離通信を可能にするためには大型アンテナが必要である」と、1978〜79年に関係者で議論され、宇宙研、三菱電機および日本電気の研究者、技術者より成る調査団を組織して1980年3月に世界各地の大型アンテナの実地調査を行い、引き続き国内での設置場所の検討が始まりました。
その条件は、
(1)極めて微弱な電波を受信するために、山に囲まれて都心雑音から遮蔽(しゃへい)されていること
(2)航空路や公共通信回線から隔離されていること
(3)データ伝送の面から東京に近い所、そして地元の協力が得られる所
などでした。候補地が10カ所に絞り込まれた後、長野県臼田町の現在の位置に決定しました。そして道路工事、土地造成、アンテナ資材の搬入、組立、調整と息つく間もない作業が続き、1件の事故もなく大型アンテナは完成しました。

このアンテナ建設と同時に開発・製造された深宇宙用送受信機などの地上ハードウェア装置と運用システムも、その性能確認のため昼夜試験が続けられ完成しました。1984年10月31日、このアンテナのもと寒風の中で行われた臼田宇宙空間観測所の開所式が思い出されます。「さきがけ」の打上げは、あと2カ月に迫っていました。

「さきがけ」との超遠距離通信を行った臼田64mアンテナ

惑星間軌道決定プログラムの開発

惑星間飛行に不可欠な軌道決定プログラムは、JPLでマリナー探査機の軌道決定に携わった西村敏充先生の指導のもと、富士通の協力を得て5年間かけて開発されました。少人数での大規模ソフトウェアの開発は大変なご苦労だったと推察されます。駒場の研究所近くで先生とご一緒したとき、「アメリカではこの規模のソフト開発には20人以上のスタッフがいましたよ」とおっしゃっていました。

大変だった相模原試験棟での総合試験

「さきがけ」の総合試験は、改組に伴い相模原の新しいキャンパス内に建設された新環境試験棟で行われました。できたてのクリーンルームは温度、湿度、クリーン度が不安定で大変苦労したことが記憶に残っています。また当時は交通が不便で、試験のために当番で駒場から相模原キャンパスへ通う日々は大変でした。

「さきがけ」の成果

平尾先生の報告によりますと、「『さきがけ』は予定通り最接近距離700万kmでハレー彗星を通過した後、打上げより約3年たって地球から見てちょうど太陽の反対側を通過しました。このハレー彗星が太陽風に及ぼす影響や太陽風そのものに関する研究、さらにいわゆるSolar Occultation(太陽掩蔽:えんぺい)時の電波の特性から太陽近辺の太陽プラズマの特性を調べるなど、多大の成果を収めています。また工学的には深宇宙探査に関する数多くの基礎的実験を成功裏に行いました」とあります。

超遠距離用に新設計されたSバンド送信機

初めての人工惑星となり、試験探査機としてハレー彗星に接近し、地球から3億km近く離れた超遠距離から観測データを送り続けたことは、大きな自信になりました。

(井上 浩三郎)