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ISASコラム

第15回
日本初のX線天文衛星「はくちょう」その2

(ISASニュース 2003年12月 No.273掲載)

はくちょう

念願のX線天文衛星誕生の喜びの中、「はくちょう」は約90分で地球を1周し、データレコーダに蓄えられた1周分のデータを内之浦上空で約10分間地上に送り続けました。

機上データ処理装置と地上データ処理

「はくちょう」には、観測したデータを効率よく地上に伝送するために、近藤一郎先生を中心に開発した機上データ処理装置が初めて搭載されました。これは、データの編集、X線の強度変化やエネルギーの分布を処理し、また観測器の動作を詳細に制御するため、通常のコマンド4項目を用いて16の機器にその動作を指定する8ビットの情報を伝えるなど、従来にない特長を持ったものです。これによって、多くの観測データの処理が行われました。

一方、地上においては、当時急速に発達したコンピュータによる処理が盛んに行われるようになっていました。「はくちょう」のデータ処理においても、内之浦では、ミニコンピュータ(U-200)によるデータのクイックルック、姿勢データの取得と処理、データ伝送などが行われました。また駒場では、大型コンピュータ(F230-38、F230-75)による最終的な観測データ処理、解析などが敏速に行われました。

小田稔先生の発明による「すだれコリメータ」を備えた軟X線検出器

威力を発揮した「すだれコリメータ」

「はくちょう」には、小田稔先生が考案された「すだれコリメータ」が搭載されていました。これは広い視野を持ち、かつ視野の中のX線源の位置を正確に決めることができるもので、いつ起こるか予測できないX線バーストの監視に大いに威力を発揮しました。「はくちょう」は、衛星に搭載したコイルに電流を流し、地球磁場との相互作用を使って衛星のスピン軸を任意の方向に向け、X線星を多数観測しました。

 「はくちょう」は打上げ後、短時日で定常観測に入り、全国のX線天文研究者(大学院生を含む)で観測班が組織されました。駒場で運用責任を持つ“当番”と、内之浦でのトラッキング班とが昼夜を分かたず密接に連絡を取り合って、機動的な観測が続けられ、大きな成果を挙げました。

成果の主なものとしては、X線バーストを観測したこと、中性子星周辺の物質を明らかにしたこと、ラピッドバースターを発見・観測したこと、X線パルサーの周期が異常に変化することの発見、ブラックホール候補のX線星の観測などがあります。さらに、世界各地の光学天文台との共同観測にも活躍しました。

このように「はくちょう」は多くの成果を挙げ、特に中性子星での爆発現象と考えられるX線バーストの研究では、国際的に高い評価を受けました。そして1980年、これらの功績で「はくちょう」チームは朝日賞を受賞しました。このとき、苦楽を共にしてきた多くの「若きウィドウたち」の喜びの顔が思い出されます。

当時急速に発達したミニコンピュータによる「はくちょう」の動作チェック風景

日本のX線天文学が世界の主役の座に

大変難産だった「はくちょう」の成功は、その後、わが国のX線天文学が世界の主役の座に座る大きなきっかけとなりました。活躍した「はくちょう」は、1985年4月15日、大気に突入しながら最後のX線を観測して6年を越える天寿を全うしました。「はくちょう」衛星打上げ成功をもって、当初計画されたM-4S、M-3C、M-3Hロケットによる衛星打上げ計画はひとまず終了しました。

(井上 浩三郎)