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ISASコラム

第6回
試験衛星「しんせい」(後編)

(ISASニュース 2003年2月 No.263掲載)

軌道に乗った「しんせい」は、ほぼ90分の周期で回って来て観測データを送り続けました。当時の衛星運用の周辺の事情についてお話します。

当時のテレメータ受信は内之浦一局だけで行い、受信回数は毎日5回か6回。現在の様に手軽に計算機が導入できる時代ではなく、伝送装置も無く、すべての運用管制の作業は人間の手で処理されました。衛星から送られてくるテレメータデータは、ペンレコーダ、アナログデータレコーダ、デジタルプリンタ等に記録されました。衛星の状態を見るためのクイックルック(QL)は、デジタルプリンタに印字される2進10進変換された値を換算表によって物理量に変換し、衛星の機器のオン・オフ等の状態把握は復調器に表示される2進のランプ表示モニタで行われるという状況でした。

また衛星へのコマンド送信は、衛星テレメータセンタに設置された指令コード発生装置のパネル面上にあるサムホイールスイッチによってコマンド番号を設定した後、実行ボタンを押すことにより行われました。これらの作業をまとめるのが運用管制の指揮者の作業でした。受信が終了すると取得したデータの整理、アナログテープの郵送等休む暇が無く、90分で1周してくる次の受信の準備に入らなくてはならないという具合でした。この運用指揮者を何回か経験しましたが、これを1週間も続けるとくたくたになったことが思い出されます。貴重な経験でしたが衛星運用がいかに忍耐強さを必要とするかを実感しました。その頃寝食をともにし、運用終了後酒を飲み交わした人たちとの友情は今では経験できない楽しい思い出になりました。

衛星から送られてくるテレメータデータはビットレート64bps(1秒間に64ビット)という、今では大変遅い速度で地上へ伝送され、地上の受信機や復調装置を経てアナログデータレコーダの磁気テープに記録されました。記録されたテープは、航空便または郵送で駒場の研究所へ送られ、そこで再生されました。再生して得られたテレメータ信号は、PCM復調装置でデジタル信号にし、大型計算機(HITAC-5020F)へ伝送されました。大型計算機はその信号をフォートラン(コンパイラー)のソフトで読める信号に変換してデジタルテープに記録しました。その後この処理は、当時のミニコンピュータ(M-4)を使用して、ビットレートの4倍の速さで一次処理され効率化が計られました。内之浦局でデータを受信して、研究者の手に渡るのに1週間位はかかったと記憶しています。専用の高速ディジタル回線を使用しリアルタイムでデータを処理・モニターできる今とは隔世の感です。

「しんせい」はスピンで姿勢を安定に保持していたため、姿勢を正確に決めることは、重要な要素でした。当時は専用の伝送回線が無かったため、姿勢データ(地磁気センサと太陽センサ)は、テレメータデータの中から姿勢データだけを紙テープに抽出し、当時50ボー(後に200ボー)の電話回線で時間をかけて駒場へ伝送し大型計算機で姿勢計算を行うという方法をとっていました。回線を使った初めてのデータ伝送でしたが、姿勢を決めるにも、大変な苦労がありました。

「しんせい」に搭載された3つの観測器からはそれぞれ興味ある観測結果が得られました。まず、南米大陸付近の異常な電離を見出し、太陽電波観測では短波帯の太陽電波の発生機構を明らかにし、宇宙観測装置も中南米地帯での異常カウントを見出しました。特に南米上空の異常現象については、その後打ち上げられた「たいよう」衛星で詳細に観測されました。当時、科学の伊藤富造先生は、

《我が国の電離層直接観測についてのハイライトは初の科学衛星「しんせい」による電子密度の観測であろう。これまでロケットだけに頼っていたために時間的および空間的に限られた範囲しか得られなかった直接観測データがworld wideに、しかも昼夜にわたって得られるようになったのは大きな前進である。》

と語っておられます。

第1号科学衛星「しんせい」は、はじめての衛星観測の経験でしたが、新しい事実が多く見出され、その価値の大きさを見事に証明した衛星でした。

(井上 浩三郎)