宇宙航空研究開発機構 サイトマップ

TOP > レポート&コラム > ISASコラム > 浩三郎の科学衛星秘話 > 第5回 試験衛星「しんせい」(前編)

ISASコラム

第5回
試験衛星「しんせい」(前編)

(ISASニュース 2002年12月 No.261掲載)

第1号科学衛星の第2のフライトモデルとして設計製作されたMS-F2は、1971年9月28日M-4Sロケット3号機によって打ち上げられ、軌道に乗って「しんせい」(新星)と名づけられました。研究者が待ちに待った科学衛星の誕生です。

1964年12月のシンポジウムで第1号科学衛星の観測項目の提案と糸川教授によるM-4Sロケットを用いた衛星飛翔計画の提案がなされましたが、途中M-4S-1の不具合や漁業問題のためロケット打上げ実験が約1年半中断するなどで遅れ、提案から実に6年9ヵ月の歳月を経て誕生したものです。宇宙工学者と理学者が一体となって実現した衛星でした。

この第1号科学衛星の観測項目をまとめておられた平尾先生によれば、選定にはかなりの議論があったそうです。選ばれたのは、ロケット観測に十分習熟している理研グループの宇宙線、天文台グループの太陽電波、電波研グループの電離層でした。

観測ロケットと異なり、衛星は極度に制限された重量と容積の中で設計しなければならず、軌道上では長期にわたる観測に耐える必要があります。そこで衛星を設計するための各種の技術研究を行うSA研究委員会が発足しました。発端は、1964年8月の観測衛星懇談会で、エレクトロニクス関係の研究者と理学研究者の十数名が衛星の概案を検討した会議でした。翌年1月から研究委員会は11の小研究班に分かれ、宇宙研、生研の他、全国の大学や研究機関、それに製造会社の技術者達が自発的に参加して活発な研究活動を展開しました。この時の勉強の成果が、その後の科学衛星の技術の基礎を永く培ったことは言うまでもありません。

「しんせい」は直径75cmの球に内接する26面体で、重量は66kg。構体はマグネシウム合金、外板は厚さ8cmのアルミニウム・ハネカム板。24面のハネカム板には、太陽電池が装備されています。

軌道上では、上記の科学観測を行い、さらに地磁気姿勢系、衛星環境計測器によって衛星の姿勢や内部の電圧、電流、温度などを測定します。電源として衛星の表面に貼り付けられた太陽電池によって二次電池を充電し、消費電力15Wを賄います。

観測データにはPCM-DPSK-AM方式を採用、周波数136MHzと400MHzのテレメータ電波で地上に送信します。衛星には磁気テープ記録方式のデータレコーダを搭載して1周分のデータを記録し、衛星が内之浦の見通し範囲にはいったところで、地上からのコマンドにより、データレコーダの再生信号を送信します。信号の再生は記録速度の19倍の速度で行われ、ほぼ1周分蓄積されたデータを約5分で送信するようになっています。テレメータデータの速度はリアルタイムで64ビット/秒、再生は1216ビット/秒です。コマンドは周波数148MHzで、テープレコーダの制御のほかに観測器の校正、電源のオン/オフなどを行います。

主な搭載機器は、
(1)短波帯太陽電波観測器(RN)
(2)宇宙線観測器(CR)
(3)電離層プラズマ観測器(ID)
(4)地磁気姿勢計(GAS)
(5)衛星内部環境計測器(HK)
(6)テレメータ送信機(TM-SA)
(7)データレコーダ(DR)
(8)コマンド受信機(CM-SA)
(9)電源(PS)
(10)衛星タイマ(MS-SA)
(11)ニューテーション・ダンパ(ND)
でした。

軌道に乗った「しんせい」は、内之浦での受信で電離層プラズマ・プローブの展開、太陽電波アンテナの伸展およびニューテーション・ダンパの作動を確認後、運用に入りました。

電子温度プローブが開頭直後に損傷したこと、第40周頃からCRのガイガーカウンターの一つが不調になったことを除き、搭載した機器および太陽電池の作動は、全て正常でした。

その後6ヵ月を過ぎても衛星の環境は極めて安定に保たれ、科学観測についても有意義な観測結果が得られ、また軌道上における衛星の環境、機能についても多くの工学データを得ることができ、十分に所期の目的を果たしました。大量のデータは宇宙研へ送られ電子計算機で処理され各観測担当者へ渡されました。

次回は当時の衛星運用についてお話します。

(井上 浩三郎)