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ISASコラム

第1回
日本初の人工衛星「おおすみ」誕生(前編)

(ISASニュース 2002年8月 No.257掲載)

L-4S-5号機は、1970年2月11日13時25分に発射されて順調に飛翔し、燃焼を終えた第4段は日本で最初の人工衛星「おおすみ」(1970-011A)になりました。この「おおすみ」の名は打ち上げた大隅半島の地に因んで当時の玉木先生が命名されたものです。

このL-4S(ラムダ4Sと呼ぶ)ロケットはミューロケットによる本格的科学衛星打上げのための模擬実験機で、5号機でようやく衛星軌道投入に成功しました。L-4SはL-3Hを母体として、その上に直径480ミリの球形モーターを付け4段式にしたもので、姿勢制御なしで飛翔し、最終段のみを姿勢制御して水平に打ち出す方式をとる、いわゆる「重力ターン方式」が採用されました。

「おおすみ」は、チタニウム合金で出来た第4段モータの上にアルミニウムのカバーを持つ計器部が取り付けられており、外側には2本のフック型アンテナ、4本のベリリウムカッパーのホイップ型アンテナ(円偏波)が付いています。重量は計器部8.9kg、第4段モータの燃焼後重量14.9kgを合わせて23.8kgです。

搭載機器は、縦方向精密加速度計、縦方向加速度計、ストレーンゲージ型温度計、テレメータ送信機、ビーコン送信機、パイロット送信機などで、その他に送信機等へ電源を供給する容量5AHの酸化銀ー亜鉛電池が搭載されています。

第4段打出し直後から、追跡に協力した米国航空宇宙局の各追跡局で次々とテレメータ信号電波と136MHzビーコン電波をとらえたとの連絡が入りました。グアム、ハワイ、キトー、サンチャゴ、ヨハネスブルグと……。

内之浦では、発射後約2時間半を経過した15時56分10秒から16時06分54秒までの間、「おおすみ」の信号電波の受信に成功、本当に地球を1周まわってきたことを実感しました。実験班全員の勝利の瞬間でもありました。まんじりともせずテレメータセンターの片隅で受信の瞬間を待ちつづけておられた実験主任の野村民也先生の心境はいかばかりであったか、「おめでとうございます」と先生と握手したことが思い出されます。

内之浦では、当初より軌道の分散が大きいことが予想されたため、最初に衛星を捕捉する受信アンテナは、気象台地にあったビーム幅が広い捕捉用の136MHzトラッキングアンテナとテレメータ台地の口径が大きい18mφパラボラアンテナを使用しました。「おおすみ」からの信号電波は予想より約2分半遅れて西の山の方向から到来しました。両アンテナとも正常に捕捉受信し追跡することができました。約10分間の受信でしたが、搭載機器は正常で、温度計測によればロケットモータケース表面の温度(T1)が約50℃、計器部搭載のテレメータ送信機水晶発振部の温度(T2)が68℃と、かなり高温になっていました。(続く)

(井上 浩三郎)