No.190 |
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追跡管制はSFU計画以前から,宇宙科学研究所と宇宙開発事業団との間で協力関係があり,人工衛星の軌道決定等を支援している。SFUにおいても,内之浦にある鹿児島宇宙空間観測所の運用を,宇宙開発事業団の沖縄追跡管制所が支援したが,沖縄からのデータは筑波宇宙センターを経由して,宇宙科学研究所内の相模原SFU運用センターまで伝送された。データ中継といえば,SFUの回収状況を刻一刻伝えたNASAセレクトTVの画像も,筑波宇宙センターを経由して,関係機関等へ配信された。
宇宙機の試験という観点では,筑波はSFUにとって「第二の故郷」と言える。SFUはスペースシャトルのカーゴベイに内接する必要から,日本の衛星では最大の直径であった。そこで,他の設備では出来ない各種のシステム試験を実施するために,筑波宇宙センターへ運ばれた。主な試験として,H-ロケットと,スペースシャトルの双方の宇宙機の,環境条件に適応していることを証明する,モーダルサーベイを含む振動試験や,写真に示す音響試験,そして,宇宙空間の過酷な環境を模擬する熱真空試験等が実施された。
図38. 筑波宇宙センターにおける音響試験
ところで,SFU実験機器部(EFFU)の,開発担当者は元から筑波宇宙センターに居た訳では無い。SFU計画が始まった時は,浜松町の本社地区で業務を行っていたが,SFU計画が折り返し点を過ぎた平成5年4月に,筑波宇宙センターに引越した。
宇宙科学研究所の所在地である相模原市は,狸が出没すると言うので有名だが,筑波宇宙センターも構内を雉が闊歩するというように,「田舎度」では決して他にひけを取らない。
かくして,会議の場を提供していただいている,無人宇宙実験システム研究開発機構まで2時間,宇宙科学研究所まで4時間と,移動だけで十分に「仕事」をしてしまう,と言う事になった。
いきおい,会議等への参加も必要最低限とならざるを得なくなった。従って,緊急を要する内容には,電話とファクシミリだけで対応するというように,関係各方面には,色々と迷惑を掛ける事となった。
そのような状況においても,SFU計画が有終の美を飾れたのは,やはり,人の和によるものではないかと思われる。
母体の異なる機関が,それぞれの役割分担を責任を持って実行する事はもちろんだが,他機関は相手機関が役割分担を果たすことを信じなければ,共同プロジェクトは成立しない。
国内のみならず,米国との共同作業もあったSFUプロジェクトは,見事にそれを示したと思われる。
と,言うわけで,なかなか本題に入れなかった(入らなかった?)が,筑波宇宙センターから関係者の皆様への感謝をこめて,結びの言葉としたい。
(武井 満,宇宙開発事業団)
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