No.305
2006.8

ISASニュース 2006.8 No.305 

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広報としての私 

渡 邊 遊 喜 枝 


 宇宙研広報担当としての業務は1997年から3年間,そして他機関の広報として2年間,再度,宇宙研広報として3年間,合わせて8年,広報の仕事をさせていただいた。

 私が仕事を辞めてから1年4ヶ月になる。仕事を辞めたからといって語れること,語れないことがいっぱいある。

 初めて広報担当に異動してのあいさつ回り。その都度,皆さんから返ってくる一言が「お手柔らかに!」であった。それまで長い間仕事をしていたが,このような言葉が返ってくることは少なかった。1〜2ヶ月がたったころに2件の記者会見が入り,まずは記者対応をしていただく先生にお願いしなければと,研究室に伺った。「私に記者対応をしろということか?」と大きなカミナリが落ちた。もしかしてこれは大変なところに異動させられたのかぁ〜,と少し不安になった。

 マスコミからの問い合わせがあり,担当の先生に「○○新聞社から取材です」と言うだけで,鬼にもなり仏にもなる先生方が大勢いることで,最初のあいさつの「お手柔らかに!」の意味を理解する羽目になった。

 周囲から,広報の仕事として一番怖いのがマスコミであるから気を付けるように,と言われていた。「『あすか』――宇宙X線背景放射の……」の記者会見が行われたときには私の頭では内容が理解できず,記者会見が終わってから,会見の内容を説明してくれと記者の方に頼んだくらいである。私には研究内容が分からないことが多く,周りの方に質問すると「そんなことも理解できないのか? 勉強不足ではないのか」と言われるため,記者の方に聞いた方が楽なのである。何人の記者に助けてもらったのだろう。

 ロケットの打上げが終わって報道席から記者室まで戻るのに,記者の車に便乗させていただいたこともある。私が担当した2回目の「宇宙学校・相模原」では,たまたま見ていたテレビで科学教育の話をしていた解説委員の方に,「素晴らしいイベントを開催しているので来てほしい」と依頼したら,カメラを持って取材に来てくださった。

 マスコミが一番怖いというが,本当に怖いのは私だったのかもしれない。

 相模原ではいろいろなことがありながらも,息抜きをさせてくれる場所が,鹿児島宇宙空間観測所(旧名称)だった。私には分からない言葉が飛び交い,まるで外国にでもいる感じもあったが,広報は観測所の職員の協力がなければやっていけなかった。

 私の「広報」という文字は「後方」であったと思う。いつも対外協力室の後ろから付いて歩くという意味での「後方」と,長い間,勘違いしながらも,よくぞあれだけやっていけたものだと思う。

 広報は,ますます重要視されていく業務である。研究活動,教育,そのほかの活動を外部の方々に知ってもらうことが広報の役割であるが,そのためには職員全体が宇宙研の情報を正確に理解しながら共有していれば,お互いにうまく進めていけると思う。説明が足りないために誤解を招くことがないよう,意欲的な広報の発展を進めていただければと希望する。

 怖い顔をしている研究者も,好きなことをしているときには穏やかな顔をしている。私も別の人生を見つけ,穏やかな顔になりたいと思う。今までできなかった女性としての勉強の場を見つけてもよいのではないだろうか。定年を待っていたら,私の頭の構造では間に合わないため,仕事を辞める道を選んだのである。

 宇宙研時代に大勢の方々とお会いでき,皆さまから助けていただきました。私の最後の仕事の場が宇宙研であったことに心より感謝申し上げます。

ISASの見学に訪れた中学生と一緒に

(わたなべ・ゆきえ) 


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