No.291
2005.6

ISASニュース 2005.6 No.291 

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安全の限界 

垣 見 恒 男 


 昭和30年(1955)10月に打ち上げられたベビーRロケットは,ロケット頭胴部の分離技術の確立により,搭載した小型カメラ回収の可能性を実証する成果を挙げた。この分離技術を確立されたのは,東京大学工学部火薬学科教授だった山本祐徳先生である。

 同じ年の4月に日本最初のロケットであるペンシルの水平発射試験を西国分寺の旧銃機テスト場で行ってから半年,ペンシルの実験を繰り返しながら一方ではベビーロケットの設計を推進していた私は,ベビーRロケット分離機構打ち合わせのために山本先生の研究室をたびたび訪問していた。

 先生は無類の酒好きであり,またチェーンスモーカーといわれた愛煙家である。偉大な教授にありがちの,見た目には乱雑極まる教授室である。細長い部屋の机のあちこちに火薬らしき試料と一緒にお酒の瓶があり,その中で先生は悠然と煙草をふかしておられた。

 その部屋で,いすを寄せ合って打ち合わせをしたのである。火薬に素人の私は,煙草の火が火薬に移るのではないか,爆発するのではないかと気が気でない。落ち着いて打ち合わせをするどころではない。当時,相当なヘビースモーカーであった私でさえ,その部屋で煙草を吸う気持ちになれないのである。

 ついに,たまりかねて先生に質問した。先生は日ごろ我々に,ロケットの近くでは禁煙だよ,火薬会社に行くときは煙草を持っていかない方がよい,などと指導しておられるのに,なぜこんな火薬のある部屋で煙草を吸うのですか,と。

 先生はニコニコして答えられた。君はこの部屋では煙草を吸わない方がよい。しかし私は吸っても大丈夫なのだ。その理由は,私はどこまでが安全で,どこからが危険かという限界を知っている。君たちは,その限界を知らない。限界を知らない人には規制が必要であり,限界を知っている人には規制は不必要である。自己制御できるからだ。しかし,一般の人たちが大勢いるところでは,たとえ専門家といえども規則に従わなくてはならない,と付け加えられた。

 先生の部屋を辞去し,帰りの電車の中で先生の言葉をかみしめながら,安全の限界について経験も浅く,かつ十分に知らない私は,まだまだロケットの専門家ではないと反省するとともに,「限界管理」に対するヒントを頂いたと思った。

 当時は,アメリカに早く追い付きたい,という今考えるとばかげた目標があり,そのためロケット開発は急速な大型化を志向するあまり,失敗に対する十分な原因解明がなされないまま,次の段階に進まざるを得なかったことも事実である。初号機の設計には細心の注意を払い,自信のないところには安全率を大きく取ったり,多少の重量オーバーや性能の低下には目をつぶって,とにかく無事に飛翔させることに重点を置く。いったん初号機の飛翔に成功すると,人間には欲が出てきて,性能向上という大義名分のもとに改良を図り,その結果2号機の失敗につながったのも事実である。いわゆる「2号機のジンクス」である。要は,どこまでが安全であるかを検証するデータや能力が不足のまま,「たぶん大丈夫だろう」と簡単に次の段階に進むことを決定してしまったのが,失敗の原因ではなかったのか。

 その一方,ロケット開発の草創時代に糸川英夫先生は「無から有を生ずるロケット開発に必要な人材は,成績が良いといわれる優等生タイプではなく,とっぴなアイデアを出し,失敗を恐れずに積極的に挑戦し行動する,思考が柔らかく頭が良い人である」と言われたことを思い出す。そのような人たちによって発展した東大ロケットが,今日の宇宙開発の基礎を築いてきたと思う。

 ロケットも輸送手段の一つであるが,最近,身の回りでは輸送機関のトラブルが多発している。JR西日本の電車転覆事故をはじめ,陸・海・空のそれぞれの輸送機関で重大事故につながりかねないトラブル発生のニュースを耳にすると,安全の限界を経験し知り尽くした方々がそのノウハウを後継者に伝承する義務を果たしていないのではないか,また,山本先生や糸川先生のように一見識を持った方が少なくなったのではないか,と思うのは私だけであろうか。

筆者近景

(かきみ・つねお) 


訂正とお詫び

『ISASニュース』2005年4月号 No.289で垣見恒男さんのお名前を垣見恒夫さんと誤って記載致しました。大変ご迷惑をおかけ致しましたことをお詫び申し上げます。

(ISASニュース編集委員会) 


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