No.291
2005.6

<宇宙科学最前線>

ISASニュース 2005.6 No.291 


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無容器浮遊と過冷却の科学 

宇宙環境利用科学研究系 石 川 毅 彦  

左上:微小重力空間で無容器浮遊する液滴
右上:静電浮遊炉外観
左下:静電浮遊炉電極間で浮遊する高温試料
右下:試料の拡大画像(試料直径は約2mm)

 スペースシャトルや国際宇宙ステーションの中は,重力が地球上に比べて非常に小さくなる「微小重力」の世界です。そこは,地上とは異なる現象が見られる不思議な空間です。密度の違いによる浮遊・沈降が起こらないので,地上では湯を沸かす鍋などで見られる「熱対流」が起こりません。ドレッシングの水と油の分離も起こりません。豆腐を積み上げていっても自分の重さでつぶれることもありません。こうした現象の中でも,コップなどの容器を用いることなく液体を保持できる「無容器浮遊」は,微小重力環境の最も分かりやすい特徴の一つではないでしょうか。

浮遊技術の開発

 「微小」とはいえ,宇宙ステーションの中には重力などがあるため,何もしないと浮遊させた試料は動いてしまいます。試料にレーザー光を当てて加熱したり,試料温度を精密に測定したりするには,試料に触ることなく空間にピタッと止める装置が必要です。

 世界の宇宙機関は,率先して浮遊装置を開発してきました。1980年代後半から1990年代前半にかけて,NASAは音波を使って試料位置を制御する装置を,ドイツは電磁場を利用する装置を用いて,スペースシャトル内でそれぞれ実験を行いました。日本も音波浮遊装置を開発して,1992年の毛利衛さん初のスペースシャトル搭乗時に実験をしました。

 残念ながら,これら初期の浮遊実験は試料を浮遊させるのが精いっぱいで,無容器浮遊のメリットを存分に生かした実験で成果を挙げるまでには至りませんでした。微小重力でも試料をピタッと安定浮遊させて,溶かすのは簡単ではなかったのです。しかしその後,各宇宙機関は地上の浮遊装置の製作などを通じて研究開発を進め,浮遊技術を飛躍的に進歩させました。1997年にスペースシャトルに搭載されたドイツの電磁浮遊炉は安定して金属試料を浮遊溶融させ,数多くの貴重なデータを得ることに成功しました。

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静電浮遊技術

 JAXAは,国際宇宙ステーション用の浮遊実験装置として,静電浮遊法を採用して研究開発を進めてきています。この静電浮遊法は,帯電させた試料とその周囲に配置した電極との間に働くクーロン力(プラスとマイナスとの間に引力が働き,プラス同士またはマイナス同士では斥力が働く)を利用する浮遊方式です。この方法は,音波や電磁力を利用する方法と比べて試料に与える擾乱が小さい,帯電すればあらゆる試料を浮遊可能など優れた特徴を持ちますが,試料位置の調整に高速のフィードバック制御が必要となるなど技術的な課題から開発が遅れていました。JAXAでは,惑星探査で有名なNASAジェット推進研究所(JPL)で確立された静電浮遊法の基礎技術を継承して研究を進めてきています。

図1 静電気浮遊法の位置制御の仕組み

 図1に静電浮遊法の位置制御の仕組みを示します。レーザー光により試料の影を位置センサーに映して試料の位置を測り,その位置と目標位置とのずれに応じてコンピュータが電極間の電位を調整して,安定した浮遊を達成します。この方式を用いて,1998年に小型ロケットでの6分間の無重力実験を行いました。この実験ではセラミックス試料を浮遊させ溶かすことに成功しましたが,溶融した際に試料の電荷が減少して位置の調整が困難になるという課題を残しました。これを受けて現在私たちは,地上において位置制御技術の向上を進めるとともに,浮遊技術を利用した研究分野の開拓を進めています。

 表紙の写真は,JAXAで内作した地上研究用の静電浮遊炉です。この炉では10mm間隔の電極(直径25mm)の間に試料を浮遊させます。地上では重力に打ち勝つ力を発生させるため,電極間に1万5000V程度の電圧をかける必要があります。これにより直径2mm程度,重さは数十mgの試料を浮遊可能です。試料の加熱は炭酸ガスレーザーで行い,試料の温度を放射温度計で測定します。位置制御は現在,試料を50μm以下の位置変動で浮遊できるまでに向上しています。そして,試料を3500℃以上に加熱する性能を備えています。

無容器浮遊のメリット

 無容器浮遊では,容器の方が先に溶けてしまうような高温の液体を取り扱うことが可能となります。次に,容器から不純物が溶け込んだりしないので,液体試料の純度を保つことができます。さらに,試料を容易に「過冷却状態」に保持することが可能になります。

図2 液体試料の冷却

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 図2は,液体を冷やしていったときの温度の時間変化を示したものです。容器がある場合,液体試料は融点に達すると容器壁から「核」が発生して,凝固を開始します。凝固が終了するまでは凝固潜熱により一定の温度に保たれ,固体になった後再び温度が下がっていきます。一方容器がない場合は,凝固の開始となる核がなかなかできないため,融点以下になっても液体状態(過冷却状態)のまま,温度が降下していきます。厳密にいうと,容器を用いた場合でも若干の過冷却状態は得られるのですが,その過冷却の度合いは非常に小さいものです。一方,無容器の場合は,融点以下100℃に達する過冷却が容易に達成されます。さて,過冷却液体の温度を下げ続けると,通常は核が発生して固体になります。この際,凝固潜熱の放出により試料の温度が急に上昇する復熱現象が見られます。まれに過冷却液体がそのままガラス化してしまうこともありますが,いずれにしても大きな過冷却状態を長時間にわたって得られるのが,無容器浮遊の大きな特徴です。

静電浮遊法を用いた高融点金属の熱物性計測

 物質が持つさまざまな性質を数値で表したものを物性値といいます。密度や比熱,熱伝導率などが代表的なものです。水の物性値は一般によく知られていて,水の密度が約1g/cm3であることや,比熱が1cal/gKであることなど,ご存じのことと思います。金属も固体状態の物性値はよく調べられていて,『理科年表』にまとめられています。しかし,液体状態の金属となると,様子が違ってきます。融点が1000℃を超える金属あたりから測定データの数は少なくなり,また測定値のばらつきが大きくなってきます。これは,容器と液体金属試料が反応してしまうことが大きな原因です。鉄やニッケル(これらの融点は約1500℃)といった実用的な材料についてさえも,液体状態の物性値の精度は水に比較して1桁以上悪いのが現状です。実用的な金属・合金や半導体の液体状態の密度や比熱,粘性係数などの物性値は,半導体単結晶の引き上げや,鋳造・溶接といった製造プロセスの条件を決める上で重要な基礎データです。近年コンピュータシミュレーションを用いて鋳型の設計が可能となってきましたが,シミュレーションに用いられる数学モデルの進歩に比べて物性値の精度向上が追い付いていません。さらに高温の2000℃以上や3000℃以上の融点を持つ金属については,こうした温度に耐える適切な容器がほとんどないので,測定例もほとんどありません。

 無容器浮遊を用いれば容器の問題がないので,従来の方法では測定が困難な高温液体の物性値を求めることが可能です。また,過冷却液体の物性値も得られます。静電浮遊法では浮遊に伴う試料の変形がなく,地上でも液体状態の試料は球形になるので,試料の画像解析から容易に体積を求めることができ,密度の算出ができます。また,試料液滴に振動を加え,その振動の周波数や減衰から試料の表面張力や粘性係数が求められます。図3にタングステンの測定結果を示します。タングステンは約3420℃という最も高い融点を持つ金属で,物性測定の例はほとんどありません。特に粘性係数は,これまでまったくデータがありませんでした。静電浮遊法による地上研究の結果,2000℃以上の融点を持つ金属元素の大半について,これらの物性値を測定することができました。

図3 静電浮遊法によるタングステンの密度と粘性係数の測定

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静電浮遊法による新機能材料の創製

 鋼は,高温状態から急冷する「焼き入れ」により硬くなることが知られています。これは,急冷によって通常の凝固時とは異なる結晶ができるためです。このように材料の性質は,熱処理の仕方によって大きく変わります。無容器浮遊では,深い過冷却という普段は得られない温度条件が実現できます。こうした特異な温度条件で試料をプロセスし,特異な結晶組織を実現させることにより卓越した機能を発現させる。これが,浮遊法による新機能材料の創製研究です。

 一例として,静電浮遊炉におけるセラミックス試料の研究について紹介します。研究の対象としている試料はチタン酸バリウム(BaTiO3)という酸化物で,電気回路に欠かせないコンデンサの材料として広く使われている物質です。この試料を地上の静電浮遊炉で溶融/凝固させた後,試料の比誘電率を測定しました。その結果を図4に示します。比誘電率は,コンデンサ材料としての性能を示す数値の一つです。通常のチタン酸バリウムも3000程度と高い値を示すのですが,静電浮遊炉で処理したものは通常に比較して30倍程度大きな比誘電率を持つことが明らかになりました。また,温度を変えても高い誘電率を保持し続けるという優れた特性も兼ね備えています。

図4 チタン酸バリウムの比誘電率の測定

 浮遊技術を用いた新機能材料の創製研究は始まったばかりですが,今後もこの例のような優れた材料創製が大いに期待されます。

宇宙ステーションに向けて

 浮遊技術は近年急速な進歩を遂げ,地上においても安定して試料を浮遊溶融させてさまざまな研究が行われるようになってきました。また地上での研究を進めていく中で,微小重力環境の必要性(地上では難しいこと)も明らかになってきました。地上では浮遊できる試料の大きさが非常に小さいこと,地上では浮かせることが非常に難しい試料種があることなどです。さらに,地上では浮かせた試料に重力が働いていますから,水と油を混ぜたような試料では重力による分離が起こってしまい,均質に混ぜることは困難です。こうした問題に対しては,宇宙ステーションを利用した実験が有効です。地上と宇宙とを有効に使い分けて効率的に実験・研究を進めていくことが肝心です。

 国際宇宙ステーション用の静電浮遊炉は,現在地上研究の成果をもとにして設計検討を進めている段階です。装置サイズなどの宇宙ステーションの制約を加味した設計,搭乗員の生命を確保する多重の安全設計などさまざまなハードルがありますが,搭載に向けて着実に研究開発を進めていきたいと思います。

(いしかわ・たけひこ) 


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