過去の「東奔西走」では,海外出張中の失敗を面白おかしく書く方と,実直に出張の様子を述べられる方に分かれる気がする。自分も若いころは(他人にとっては)面白い失敗も多く繰り返してきたが,さすがに40の坂を半ば越えると,失敗を失敗とも思わず,一日たてば忘れてしまうという態度が身に付いたため,さて何を書いたらよいものかと考えてしまった。やはり,まじめに出張の様子を述べ,若い人たちに「海外出張かくあるべし」と思っていただくようなことを書くことに致しましょう。
機内持ち込み手荷物の中は……
10月の初めにスウェーデンのキルナまで行った理由は,ESAが火星周回軌道に投入したマーズ・エクスプレスのデータを眺めるためである。
話は変わるが,先日,読み切れぬ数のメールに辟易し,なぜこのように多いのかと分類したところ,自分には宇宙研研究者という本務に始まり,末は自宅の犬の散歩係に至るまで20以上の仕事があって,それに関連するメールが矢継ぎ早に来ることが判明した(犬からはさすがに来ない)。道理で,研究などできっこないと半ば納得したが,それにつけてもときにはサイエンスの薫りにも触れたいものと,人様のデータながらスウェーデン宇宙物理研究所(IRF)がマーズ・エクスプレスに搭載したプラズマ観測機器ASPERAの初期の結果をのぞきに行ったのである。
行きの道中は,研究室D1の金尾さんと一緒だった。彼女は3ヶ月キルナに滞在して,ASPERAデータから火星プラズマ境界域の物理を盗み取ってくる腹なのである。成田空港で彼女と落ち合うと,異様に重たそうなバッグを抱えている。女性のバッグの中身を詮索するのもいかがなものかと思ったが,思わず質すと,日本食品だという。そんなものならば預けたトランクに入れればよかったじゃないか。しかし実は,トランクは満杯で,4kgの超過重量に対して3万円の超過料金を払ったという。その4kgが実はさらにトランクに入っている日本米の重量とピタリ一致というから,つまり1kg当たり7500円のお米を担いで北極圏まで出掛けたわけです。2日後,キルナでは彼女のロッジの台所で,高価なおにぎりをこしらえている様子を見ることができた。
火星周辺のプラズマの中は……
さて,コペンハーゲン,ストックホルムを経てキルナにたどり着いた我々を,冷たい雨が迎えてくれた。前回キルナを訪れたときとは大違いである。あの時は,全天を覆い尽くすオーロラが迎えてくれたのに。研究所にいる二穴君が来てくれ,IRFにて早速データの説明を聞く。病気をしていた山内君も前回に比べると驚くほどの回復ぶりで参加。教授となったStas Barabashも自慢げにデータの説明をする。
3軸制御の探査機にプラズマ観測装置を積むことの不利は頭では分かっていたが,実際にデータを見ると,なかなかこれは難物と思わされる。静電偏向電極で空間を角度スキャンしているため,一つの3次元速度分布関数を取得するのに3分という長い時間がかかる。その間に探査機は長い距離を飛んでしまうため,分布関数の変化からプラズマの変化する境界を同定することは困難に思われた。かといって電子のデータは2次元データに限られ,しかも磁力計を搭載していないので異方性をどのように解釈してよいのか,もう,よく分からない。これは苦労するなあと思いつつも,やはり,自分たちで観測装置を組み立て,自分の手でデータを取ったチームの心意気には頭を下げるしかない。しばらく眺めるうちに,だんだんと想像力も増してきて,火星周辺のプラズマの中で何が起こっているのか,ああでもないこうでもないと議論できる時間を,うれしく思うのであった。
初雪の中で……
キルナでは,食べることにはあまり苦労しない。悪く言えば選択の余地があまりないのである。最初の晩は町一番のホテルのバイキング,次の日は山内君のお宅にお呼ばれ。3日目になると行くところはなく,泊まっているロッジの台所でステーキを焼いて二穴君,風間君,金尾さんとワインを2本空ける。日本から持っていった「スターウォーズ」のDVDを皆で見て楽しくお開き。翌朝はロッジの周りを初雪が覆っていた。
帰る飛行機を待つ間メールをチェックすると,父が入院との報。17年前,新婚旅行先のバルセロナから自宅に電話すると祖母が亡くなってお葬式の準備最中ということもあったが,それほど早くは日本に帰れない。2日後,成田から病院に行けば,父は医者と喧嘩をするほどには元気で,それから2週間後にはペースメーカーを体に埋め込んで無事退院。一件落着のスウェーデン訪問でした。
(なかむら・まさと)