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火星探査機「のぞみ」について



 日本初の惑星探査機である「のぞみ」のてん末については,すでに皆さんご存知とは思いますが,ごく簡単に述べてみたいと思います。

 写真を見ていただくと分かるように,「のぞみ」は8角柱の形状をした探査機です。直径1.6mの高利得アンテナが探査機の上面に固定されています。これを常に地球の方向に向ける(探査機の姿勢を変える)ことで,地球との通信を取るようになっています。

 「のぞみ」の主目的は「火星の上層大気と太陽風との間の相互作用の研究」であり,最近盛んに行われて話題となっている「生命探査」とは少し異なったものでした。簡単に言ってしまえば「火星からどうやって,どのくらいの大気が逃げ出しているのか」を,その場観測を行って調べようというものです。このために「のぞみ」には磁場・粒子・波動などのプラズマを測定するための観測器を中心に14(電波掩蔽観測のために用いる超安定発振機を科学観測器に含めると15)の観測器を搭載しておりました。

火星探査機「のぞみ」に搭載された科学観測器

 「のぞみ」は,内之浦宇宙空間観測所からM-Vロケット3号機にて,日本時間1998年7月4日早朝に打ち上げられました。当初の予定では,この年の12月に地球から離脱して,翌年10月に火星周回軌道へと投入する予定でした。しかし,地球離脱時にバルブの一つが完全には開き切らないという動作不良を起こした結果,燃料不足に陥り,当初の計画を遂行できなくなりました。しかし,軌道計画グループの年末・年始を返上した驚異的な粘りと努力により,火星への到着が4年少々遅れるもののミッションの遂行が可能となる新しい軌道が2週間ほどで見つかり,これを採用することとなりました。

 その後は,太陽風や銀河系間空間から太陽系へと流入してきている水素・ヘリウムガスの観測を続け,2003年末の火星周回軌道投入を待っていました。しかし,2002年4月26日,探査機からの電波に何も情報が載っていない状態となってしまいました。探査機からの情報が何も取れないので,この時点では何が起きたのかまったく分かりませんでした。その後,地上からの問い合わせに対して,その答えが“はい”であれば探査機からの電波の送信を止める,“いいえ”であればそのままにしておく,という手段を用いて探査機の内部状態を知ることができるようになりました。この方法を用いることで,つの答えを得るのに10分程度の時間はかかりますが,大変微弱な電波状態でも探査機から情報を引き出せるようになり,探査機のアンテナが地球の方向に向いていなくても通信ができるようになりました。どのくらい弱い電波でも大丈夫かというと,大ざっぱに言って2億km程度離れた所の携帯電話(送信電力を1Wと仮定)からの電波でもよい,というほどです。

 通信の結果,ある電源にぶら下がっている機器のどこかで短絡故障が起こり,そのために過電流保護回路が働いてしまい,その電源をオンにできなくなっていることが分かりました。また同時に,燃料が凍っていることも分かりました。搭載の科学観測器をすべてオンにすれば,8月末に燃料が解凍することが熱モデルを用いた計算から判明し,9月以降は姿勢を適切に維持することで,燃料の再凍結を防ぎました。燃料が解凍したことで,姿勢制御と小規模な軌道制御能力が復帰し,2度の地球とのスイングバイを経て2003年6月に「のぞみ」は火星へ向かう軌道へと乗りました。

 次に,「のぞみ」を火星周回軌道に入れるためには,不具合を解消し,メインエンジンを噴射できるようにする必要があります。火星遷移軌道への投入が確認できた後の7月から,不具合個所を焼き切りにより分離する復旧作業を開始しました。しかし,残念ながらこの作業は成功せず,2003年12月9日に火星周回軌道への投入を断念。14日未明に火星をフライバイし,「のぞみ」は火星の軌道に近い軌道を持つ人工惑星となりました。

 「のぞみ」は,火星での観測はまったくできませんでした。また,搭載の科学観測器のうちのほぼ半数は,まったくデータを取得できませんでした。地球周辺にいたときと,惑星間空間を航行していたときにいくばくかの科学的成果を得ることはできましたが,科学観測の立場からいうと不満足な結果となってしまいました。

 しかし,冒頭にも記したように「のぞみ」は日本初の惑星探査機であり,科学観測だけではなく工学技術の習得という側面も担っていました。こちらの観点からは,得るものが多かったと思います。惑星探査を行う上で重要な軌道設計・制御・決定,超遠距離通信など,さまざまな技術についての経験を深め,自信を持つことができました。今後は,今回習得した技術とともに,われわれは何を間違えて,なぜ失敗したのかを追求し,その結果をほかのミッションへと展開していくことが責務であると思っております。

 最後になりましたが,「のぞみ」を応援してくださった皆さまに心からの感謝を表して筆を置きます。

(早川 基) 


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ESA宇宙科学計画の全面見直し“New Cosmic Vision”

  ベピ・コロンボ(BepiColombo)日欧共同水星探査計画,次のステップへ 

 2003年11月,ヨーロッパ宇宙機関(ESA)の科学プログラム委員会(Science Programme Committee:SPC)は宇宙科学計画の全般的な見直しを行い,“New Cosmic Vision”と銘打って再出発することになりました。その結果,大型の国際水星探査計画「ベピ・コロンボ」に関しては,かねてより技術的・経費的リスクが懸念されていた着陸機を本ミッションから切り離し,日欧協力の中心である2機の探査機(MMOMPO1月号のベピ・コロンボの項参照)を一体で,ソユーズ・フレガート2Bロケットによって確実に2011〜2012年Windowに打ち上げることになりました。SPCの結論を踏まえ,ESAではMPOに搭載される観測装置を公式選定するための作業が1月から始まりました。JAXAMMOの観測装置について同様な作業を開始します。紳士協定で行ってきたJAXAESA間の協力も文書化する必要があり,LOA(Letter of Agreement)の準備を進めているところです。

(向井 利典) 

日欧共同水星探査計画「ベピ・コロンボ」


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南極気球実験

南極における大気球放球準備


 ここ南極の昭和基地における今年度の大気球観測は,テストフライトを12月23日に放球,次いで回収実験を12月26日1月5日の両日に行い,また,昨年放球されなかった宇宙線観測器を1月4日に地上風速4m/secの中で放球した。さらに12月27日1月6日9日と,オゾン観測を目的とした3回の高々度気球の放球を行った。回収実験では,2回とも大気のサンプル採取に成功し,2回目では「しらせ」に搭載してあるヘリコプターによるスリング回収が行われた。高々度気球も3回とも新方式である「パッキング放球法」により放球し,指令電波によりすべての動作が正常に行われ,放球作業を5,6人で行うことが可能となった。今回の南極における気球実験は,国内の研究者たちの協力で準備もよく,昭和基地での調整作業を簡単に行うことができた。南極周回気球の宇宙線観測器はおよそ13日間1万kmを飛翔したことになる。支援していただいた多くの皆さまに感謝します。

(並木 道義) 

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ISASニュース No.275 (無断転載不可)