No.255
2002.6

<研究紹介>   ISASニュース 2002.6 No.255

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再使用型宇宙輸送システムとATREXエンジン

宇宙科学研究所 佐 藤 哲 也  



はじめに

 宇宙活動の大衆化や商業化に伴い,これまでの軍事的背景と国家の威信をかけた宇宙開発から,将来的には,ビジネスを睨んだ大量宇宙輸送時代へと転換していくことが予想される。その実現のためには,安全性,信頼性が高く,環境にも優しくかつ低コストである,輸送システムの完全再使用化が極めて有効であることは,世界的にも共通認識となっている。しかし,技術的および経済的なハードルの高さから,スペースシャトル以来,斬新な輸送システムは実現しておらず,当分は現行の使い切りロケットの信頼性向上と並行して,開発は進められて行くであろう。我が国においては,当面は図1に示すような水平離着陸方式の完全再使用型二段式スペースプレーン(TSTO)を目標とし,システム,材料,推進系等の基盤技術を構築している段階である。


図1 二段式スペースプレーンの概念図


 宇宙科学研究所では,1986年よりTSTOの初段推進システムへの適用を目的とした,エキスパンダサイクル・エア・ターボ・ラムジェットエンジン(ATREX)の基礎開発研究を進めており,私も1992年より研究グループに加わった。本文では,ATREXエンジンの紹介,開発研究の一例,最後に,飛行実証を含めた今後の展望(野望)について記述する。


ATREXエンジンシステムの概要

 ATREXエンジンは,航空用ジェットエンジンと同じブレイトンサイクルエンジンであるが,地上静止状態からマッハ数までの飛行領域を単一のエンジンで作動できる点が特長である。エンジンのフロー図を図2に示す。離陸からマッハ数程度まではファンによる圧縮を主とし,それ以上ではラム圧縮を主とするコンバインドサイクルである。


図2 ATREXエンジンフロー図

 ジェットエンジンの作動領域をマッハ数からマッハ数に拡大した場合,最も大きな技術課題は主流全温への対応である。飛行マッハ数がになると主流の全温は1,670Kに到達し,従来の金属材料を用いたファンはこれに耐えうることができない。さらに,温度が上がると燃焼生成物の解離が激しくなり,燃料を加えても温度が殆ど上昇せず,推進エネルギが取り出しにくくなる。そこで,ATREXエンジンでは,主流の空力加熱からファンを防護するシステムとして,ファンの前に燃料の液体水素を冷媒としたプリクーラと呼ばれる熱交換器を装着している。プリクーラによって,ジェットエンジンの飛行領域を拡大することができるだけでなく,さらに圧縮過程における中間冷却効果によって,低速飛行時においてもエンジン推力,比推力を向上することができる画期的なシステムである。プリクーラを搭載したエンジンは過去に実用化はされておらず,エンジンに搭載して性能が確認されたのもATREXエンジンが最初である。

 また,本エンジンは巡航マッハ数を持たない加速機用エンジンであり,幅広く連続的に変化する外気条件に対応するために,エアインテーク,ノズルが,従来のジェットエンジンと大きく異なる。すなわち,明確な設計点を持たないため,広範囲な動作環境に適応するための可変機構および制御システムが技術課題となる。連続的な熱的条件の変化は,構造部材の熱変形に大きく影響するため,コアエンジン部においても,従来とは違った熱流体と構造の設計手法が必要となる。更に,耐熱および重量軽減のためには,高温での比強度の高い複合材料の開発が不可欠である。

 この様な観点から,これまでに,エンジンシステム地上燃焼試験,要素風洞試験,炭素/炭素複合材料のエンジン部材への適用研究等を実施し,基礎データを取得してきた。ここでは,全てを紹介することはできないので,一例として今年度行うシステム燃焼試験について述べる。


ATREXエンジンシステム燃焼試験

 エキスパンダサイクルの実証,プリクーラ,ターボ機械等,エンジン要素の開発を目的として,ATREX-500と呼ばれるファン直径30cm,全長4.5m,推力500kgf級のサブスケールエンジンを用いた燃焼試験が,今までに計56回2840秒,実施された。燃焼試験の画像を図3に示す。近年では,エンジンの主要要素であるプリクーラの開発を主として進めており,今年度は,プリクーラの実用化に際して危惧されている,アイシング問題を解決するための試験を行う。

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図3 ATREXエンジン地上燃焼試験

 アイシングとは,主流空気中に含まれる水蒸気が,プリクーラの冷却管表面で厚く低密度な霜層として固着し,冷却性能,空力性能の低下を招く現象である。プリクーラにおける着霜は,冷却面温度が極低温(30K)から氷点までの幅広い領域で起こることが特徴であり,従来の冷凍機等を対象にした比較的高温な冷却面における着霜研究では,推し量ることができない。ここ数年,極低温冷却面における着霜に関する基礎研究を行い,凝縮性物質,特にメタノールをプリクーラの上流側から気流中に混入することによって,アイシングが軽減されることを明らかにした。図4にその原理を示す。図(a)は,水蒸気のみの着霜で,密度が低く,空隙が多い。一方,凝縮性物質を混入すると,凝縮または昇華した物質がその空隙を埋めるように着霜する(図(b))。更に,霜層表面温度が混入した物質の融点に達すれば,凝縮液として霜層の内部に浸透することにより,より高密度で薄い霜層へと変化する(図(c))。


図4 凝縮性ガス混入効果の原理図

 図5に基礎試験結果として,プリクーラチューブ表面における着霜画像を示す。図左は,着霜防止対策を施さない場合,図右はメタノールを噴射した場合である。この様に,霜層を高密度化(または,融解)することによって,プリクーラ伝熱性能および空力性能は向上する。また,凝縮性物質の中でメタノールが最大の着霜低減効果を上げる理由として,凝縮性物質の混入による融点降下が支配的であることがわかった。


図5 プリクーラチューブ表面の着霜の画像         
    (冷却面温度215K,左:水蒸気のみ,右:メタノール混入)

 今年度の秋に行うシステム燃焼試験では,この手法をATREX-500エンジンに適用し,実機モデルによって確認する。実機試験では要素試験と異なり,プリクーラ各部で主流の温度,湿度,水蒸気の状態およびチューブ冷却面の温度条件が分布を持っているため,着霜現象は複雑である。メタノール噴射弁の設計も重要な技術要素で,主流の流量,流速に応じたメタノールの均一な混合噴射が要求される。システム試験によって,定量的にメタノール噴射の効果を調査し,実機への適用を検討する予定である。

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今後の展望

 ATREXエンジン開発の今後の展開としては,高空高速状態におけるエンジンデータの取得とシステムの実証であると考える。地上試験では行うことが困難であるエンジンの非定常熱流束データの取得,制御技術の確立に関しては,飛行試験によって実証する必要がある。また,飛行試験によって,機体設計,航法誘導,再使用オペレーション等の超音速飛行試験技術を修得する目的もある。これまで検討してきた実証試験プロファイル例を図6に示す。


図6 ATREXエンジン飛行実証実験の例

 以上長々と述べてきたが,ATREXエンジンは,将来輸送系において戦略的なキーテクノロジのひとつであり,早期の開発が重要であると考える。とは言え,現段階では,再使用輸送系ひいては,液体水素を燃料とする極超音速ターボジェットエンジンは,夢物語か遠い先の話であると考える人も少なくない。壮大な夢を描きつつ,着実に基盤技術を構築し,まずは,エンジンシステムがフィージブルであることを認知してもらい,ぜひとも飛行実証を実現したいと思っている。

 開発研究を続けてきて感じることは,エンジンはシステムであり,多くの要素について,それぞれが抱えている先端の課題を追求しつつも,常にシステム全体という広い立場からのトレードオフを考えなければならない。すなわち,大きなテーマと細かいテーマが多分野にわたって混在しており,研究者としては,悩ましくもあるが,やりがいもあるところである。

 今後は,さらに多分野にわたる研究が必要になるため,いろいろな方々に相談に伺うことになると思いますが,よろしくお願いいたします。

(さとう・てつや) 


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