No.252
2002.3

ISASニュース 2002.3 No.252

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子供心

齋 藤 猛 男  

 キーワード:木炭カマ,ペンシルサックロケット,太陽系の謎,
       スプートニク,ガガーリン

 私が院生として,駒場の宇宙航空研究所の13号館,通称本館3階の山崎毅六先生の教授室の扉を叩いてからちょうど35年になります。当時東大ロケットが,人工衛星の産みの苦しみを味わっていた時期でありました。それから3年後L-4S-5号機による日本初の人工衛星「おおすみ」の成功以来,この2月H-IIA-2号機による小型カプセル「DASH」の失敗まで,日本における数々の打上成功の報を聞き心を躍らせ,失敗の報を聞き心を曇らせてきました。この様に,私は日本の宇宙時代の幕開けから成長期,更には成熟期に掛けて,宇宙航空研究所から宇宙科学研究所と名称は変わりましたが,日本の宇宙科学のメッカで仕事が出来たことを非常に幸せだったと思っております。これも一重に皆様のおかげであると感謝致しております。

 今63年間の人生を振り返ってみますと,私がこの道に入る切っ掛けとなった出来事が,いくつか子供時代にあったような気がします。

 「いざ来いニミッツ・マッカーサー・・・」を口ずさんでいた戦争中,お袋に連れられ田舎へ買い出しに行くのに乗った木炭カマ(後に「木炭ガス発生炉」と言う正式名を知りました)をお尻に付けたバス。昇り坂になると乗客が降りバスの後押しをする光景を目のあたりにしてきた私にとっては,絵本の中のロケットが何を燃やしてあんなに速く,あんなに遠くへ飛んで行くのかと不思議に思ったものでした。

 戦後の小学生時代になると,よく近所の畑でロケット遊びをしたものです。セルロイド製のフィルムを切り刻んで鉛筆のサックに詰め込み,ペンチで出口をつぶし,少しはみ出たフィルムの端にマッチで火を着けるとピューッと言う笛のね音の様なおと音をたてながら一瞬の内に10m20mもそら高く飛んで行きました。まさに「ペンシルサックロケット」です。全然ちゃちではありますが,今の水ロケットに相当するかも知れません。そんな子供時代のほのかな思い出がロケット燃料に興味を持たせたのかも知れません。さらに,低学年の頃,焼け跡に出来たバラック校舎での理科の時間に見た「太陽系の謎」(多分?)の映画は後々まで心の片隅に焼きついていました。この映画により,月に行けたら,火星人は実在するのか,太陽系の端や宇宙の果てがどんなになっているのかと宇宙への興味を掻き立てられたのを思い出します。

 中高時代には,勉強そっちのけで野球に精出し,甲子園を夢見,宇宙のウの字も考えたことがありませんでした。しかし,浪人中,世界初の人工衛星スプートニク号の成功に世界が沸き立ったこと,さらに,ガガーリンがボストーク号に乗って宇宙飛行に成功し生還したことは,子供時代の夢が現実になった驚きと共に,ロケット工学の素晴らしさに,宇宙への夢,さらに私にとってはロケットへの夢が蘇ったようです。この様に,これ等の出来事が切っ掛けとなり,子供心の片隅に灯されていた炎が急に燃え上がり,私の人生を定めたような気がしてなりません。其の後,ロケット燃料の研究を目指し始めた駒場時代に,アームストロングとオルドリンが月面活動の後,無事地球に帰還した有様をテレビで見,ロケット工学研究の末席を汚していることに誇りを感じたものでした。

 宇宙研の皆様,これから機関統合問題等重要な問題が山積みしておりますが,是非これからも一般公開,宇宙学校等の催し物を通して,幼稚園児や小中学生の心に宇宙の夢を育ませてあげて下さい。いつしか,その中から何人もの宇宙科学を志す若者達が生まれるのではないでしょうか。

「子供達に夢を!」

 長くもあり,短くもありの35年間でした。皆様,ほんとうに有り難うございました。

(さいとう・たけお) 


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