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ASTRO-E II 計画始まる

 2005年初頭の打ち上げをめざして,ASTRO-E計画ASTREO-E IIとして再スタートし,6月7日第1回の設計会議を行った。ASTRO-E以来ずっと参加されている方々,今回新しく参加される方,それぞれ,会議途中で写し出されたASTRO-E衛星の鹿児島クリーンルームにおける写真を前に,これをもう一度作るんだ,という新たな決意を感慨とともに持たれたのではないかと思う。

 ASTRO-E IIASTRO-Eと同じものを製作することを基本としており,プロトモデルを製作せずフライトモデルを4年で製作する。しかし,ASTRO-Eの設計を開始してからすでに10年近く経過しているため,入手不可能な部品が多数でてきてしまっている。このためある程度の設計変更は避けられない。一方,観測装置からは,可能な範囲で改良を行い科学的な成果を少しでも大きくしたいという希望もある。現在,これらの設計変更および変更の可能性が詳細に検討されている。次回設計会議までに衛星全体に関わる主要な検討項目は収束させる予定である。

 ASTRO-Eの時の設計会議と比べると,プレゼンテーションの多くがパソコン画面のプロジェクター出力で行われるなどの様変わりした点はいくつかあるが,なんといっても強い指導力で計画全体を引っ張ってこられた小川原先生がおられないことが一番の違いであろう。その分,全員の力をこれまで以上に結集し,是非ともASTRO-E IIを成功させる覚悟である。最後になりますが,ASTREO-E II再スタートのために御支援・御助力いただいた各方面の皆様に深く感謝致します。

(満田和久) 


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 dash 再使用ロケット実験機第2回離着陸実験 dash  

 近ごろ都に流行るもの,へそ出しルックに行政改革,信頼性向上の伝染病・・・。
「お父さん,たったの9mで宇宙まで行けるの
こいつら新聞を見やがったらしい。
「あほー,千里の道も一歩からじゃ」

 再使用ロケット離着陸実験は6月9日から能代実験場で始まりました。2年前第1回実験ではエンジンむき出しの機体をふらふらと浮かしたのですが,それでもなんとか2回連日で飛ばして再使用とか繰り返しとかをやってみました。今回は大幅に機体に手を入れて,もう少しスマートな離着陸と,液水ロケットの繰り返し飛行をさらに効率よくかつ安全に行うことを目指しました。耐久性設計をしたエンジンをはじめ,RTK-GPSを用いた航法誘導など多くの部分が新しくなっています。機体はもっと高度を上げるのに備えて空気力を管理するためエアロシェルで覆いました。このため燃料の水素漏れには十分な対策や監視の仕立てを用意して運用しました。消火器まで載っています。将来高頻度で宇宙との往復を行う輸送システムや有人仕様の安全性の考察など,次の時代に求められる輸送システムに必要な技術要素の勉強の結果から,特に繰り返し飛行に関わる大事な課題を自ら経験して完全再使用のシステム構築のための基礎データを蓄積することがこの仕事の目的です。

 実験は梅雨の北の端が上がったり下がったりする中,エンジン燃焼確認試験に引き続き,3回の離着陸飛行を行いました。高度は10mから20mへ,誘導ループにGPSを入れてと順次進め,6月25日の最後の実験では22mの高度まであげてしゃきっと着陸。着地点のずれは5cmGPSを用いた誘導もうまく機能し,2日遅れながら予定した全ての実験を無事に終えることができました。前回と違ってゆったりやろうと目論んでいたのですが,天候のせいもあって結果は最後の3日半の間に3回の飛行といういつも通りのドタバタになってしまい,また図らずもQuick Turnaroundを実践することになりました。

 「おーい山川ちょっと見てみ」
気球を上げて風の様子見。
20mってあそこまで。怖いな。やめとこか」
弱気の実験主任はいつでも止める理由を探しています。これにうち勝つには大丈夫という裏付けと実験班の熱意が必要です。ヤケクソではできません。どの飛行も結果は良好で,機体やエンジンをこのくらい手なづけておけば出来上がりはこのくらい,という感覚はだいたい分かってきました。でも調子に乗ってはいけません。高度は22m,いや機体の先っぽは25mだ,と高さを競うのはほとんど意味がありませんが実験班の達成感と歓声の大きさはやはり高度に比例します。この調子では100mも上がって降りてきたらとんでもないことになりそうです。光学記録も含め保安監視のビデオまで良い映像を撮ろうと追跡に懸命です。結果はただの物笑いご愛嬌追尾カメラも出ましたが,いくつかのシーンでは少しは「未来のにおい」がするものも撮れました。においだけでは勿論ダメですがこれも大事でしょう。

 この実験は完全再使用という将来の宇宙輸送の革新のための基礎実験です。「少しでも未来に近づいた」のか「ただ危ないことをやっているだけ」なのかの判断はこれを読まれた方に任せます。我々はこのような小規模の実験でも経験することは多いと知ってさらに前に進みたいと思います。千里の道のゴールにあるのは「誰でも行ける宇宙旅行」とか,「太陽発電衛星の建設」とか今の宇宙の利用とは全くスケールの違うものです。勿論この実験の他にもやるべきことはいっぱいあります。千里の道のりを加速して世の中を前に進めることが我々の目指すところです。宇宙研のロケットの元気の源です。より一層のご批判とご支援をお願いします。

(稲谷芳文) 


>>>第1回打上げシーンを動画で(656K)  

>>>第2回打上げシーンを動画で(604K)  

  (参考)動画を見るにはquicktimeが必要です。
   quicktimeダウンロードサイトはこちら
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用語解説
エマルションチェンバー
2001年度第1次大気球実験

 2001年度第1次大気球実験は,2001年5月15日から6月5日まで三陸大気球観測所において実施されました。放球された気球は,BT1型2機B15型1機B80型1機およびB150型1機の計5機でした。

 BT1-5号機5月18日に放球されました。実験は東京工業大学の工学系学生が中心に手作りで開発が行われている超小型衛星の長距離通信,コマンド送信等の通信機能の検証を目的に行われました。三陸,東京および菅平による種々の通信機能や搭載機器の動作状態のモニタが実行され,衛星運用に関する多くの経験が得られました。

 BT1-4号機5月20日に放球されました。実験は東京大学の工学系学生が中心に開発が行われている超小型衛星の軌道上と地上局間の通信を想定した通信機能の検証を目的として行われました。三陸,東京および菅平からのデータ受信とコマンド送信が行われ,東京の地上局から420kmの距離を隔てて双方向の通信ができ,超小型衛星の打ち上げに向けて貴重なデータを得ることができました。

 B150-6号機5月23日に放球されました。実験は青山学院大学が中心になり,エマルションチェンバーを用いた高エネルギー一次電子のスペクトルを測定することによって,宇宙線の銀河内伝播の情報および宇宙線の源を調べることを目的として行われました。回収された観測器は現像を終わり,現在解析が行われており,100GeV領域の高エネルギー一次電子スペクトルを明らかにすることができるものと期待されています。

 B80-5号機5月30日に放球されました。実験は東北大学が中心になり,成層圏の大気を液体ヘリウムを用いて大量に採取するクライオジェニックサンプル法で高度14kmから34kmまでほぼ等間隔に11点,大気圧に換算してそれぞれ20リッターの大気を採集することに成功しました。得られた大気試料は関係機関に送られ,さまざまな成分の濃度や同位体の測定が行われ,成層圏における大気循環や光化学過程の解明に大いに役立つものと期待されています。

 B15-82号機6月4日に放球されました。実験は日没時に自動的にバラストを投下して高度を一定に保つためのオートバラストシステムの飛翔性能試験を目的として行われました。排気弁を用い数回にわたり疑似日没状態を作り機能試験を行い所期の目的を果たすことができました。

(山上隆正) 

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西村 純先生が藤原賞を受賞

 本研究所名誉教授西村 純先生がこの度第42回藤原賞をお受けになりました。

 藤原賞は,「製紙王」の藤原銀次郎氏が正力松太郎読売新聞社主の協力で1959年に設立された賞で,独創的で顕著な業績を挙げた自然科学の研究者に贈られる学術賞であり大変名誉ある賞です。西村先生は宇宙線研究に関して多くの業績を挙げ,長年にわたり世界的指導者として宇宙線学会を導くと共に,宇宙科学・地球科学の研究に不可欠な大気球観測技術を独創的発案で発展させ,国際的に多大な貢献をなされたことで,この賞を受賞されました。心からお祝い申し上げます。

(山上隆正) 

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ペネトレータ貫入試験

 新たに選定され,その有効性が昨年の貫入試験で確認されたポツティング材を適用したペネトレータの貫入試験が5月21日から6月8日迄,サンディア国立研究所の施設を借用して実施された。今回の供試体は,一部機器を除きフライトモデル同等品で構成されているため,準認定試験モデルと位置づけられる。別途用意したアルミニウム製ダミー供試体を用いた貫入条件出し試験の後,準認定試験モデルを用いた試験は,6月4日に実施された。月の砂を模した砂箱の砂を掘り出し,アンテナ部分のみを露わしたペネトレータにハットアンテナを装着した後,搭載通信系との通信が,予めタイマーでセットされた6月6日午前8時から開始された。最初は手順に手間取り,なかなかペネトレータとのShake Handが行えずやきもきしたが,通信系がロックし,ペネトレータからテレメトリデータが取得され画面上に表示されると一斉に歓声があがり,周囲で心配そうに見守っていた現地技術者も一諸になって喜んでくれた。

 その後砂中での機能試験を1日,砂から掘り出した後室内での試験を2日間行い,6月8日に,予定していた全ての試験を終了した。今後取得データ及び供試体の詳細な検討・調査を行う予定である。

 試験場は湿度10〜20%と低いが,連日35度を超す暑さ。その中,現地の技術者は早朝から夕遅くまで当方のスケジュールに合わせて作業し,又,今回の結果を自分の事のように喜んでくれた。もうLUNAR-Aチームの一員である。大変感謝している。

 今後は,2002年5月に予定している認定試験を経て,フライトに臨む事になる。

(中島 俊) 

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バスティーユ記念日の太陽フレア
 dash 「あすか」を不具にした憎いやつ dash

 1789年7月14日,バスティーユ監獄にフランス大革命の狼煙があがった。2000年のこの日,太陽で巨大なフレア爆発が起こり,その余波で「あすか」が再起不能のダメージを受けた。宇宙研にとっては憎んでも憎みきれないやつである。  バスティーユ記念日フレアと名づけられたこのフレアは,爆発の激しさと例外的に大きな爆発領域,太陽円盤中心近くで発生し観測条件に恵まれたこと,「ようこう」とTRACE衛星により詳細な同時観測(図参照)が実現したことなどにより,世界の太陽研究者の注目を集め,Solar Physics誌に特集が編まれつつある。  太陽フレアは,黒点群近くの強磁場領域でコロナの磁力線に捩れの形で蓄えられたエネルギーが磁気リコネクション(つなぎかえ)で解放される現象であると考えられている。つなぎかわった磁力線は太陽表面のN極・S極の間を素直に結んだ磁気ループのアーケードになるはずである。バスティーユ記念日フレアはこの予想を出来すぎというほどの見事さで証明した。「ようこう」の硬X線望遠鏡は平行リボン状の硬X線源を鮮明に写し出したが,これは打上げ後9年間で初めてのことであった。  憎むべき太陽フレアも,われわれ太陽研究者にとっては汲めども尽きない研究対象なのである。

(小杉健郎) 


紫外線(TRACE衛星),軟X線(「ようこう」),硬X線(同)で撮影したバスティーユ記念日フレア

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