No.236
2000.11

ISASニュース 2000.11 No.236

- Home page
- No.236 目次
- 研究紹介
- お知らせ
- ISAS事情
- 東奔西走
- 惑星探査のテクノロジー
+ いも焼酎
- 編集後記

- BackNumber

化石の思い

辻 篤 子  

 宇宙科学研究所が打ち上げる衛星に世代があり,おそらくそれぞれの衛星を担当なさった先生方にも世代があるように,担当記者にも世代がある。

 私が内之浦で旅立ちを見送ったのは,2代目線天文衛星「てんま」だ。今では,周囲の記者に話そうものなら,「てんまぁ?」。何しろ,打ち上げは1983年だから,ふた昔近くも前のことになる。挙げ句の果てには,「『てんま』だなんて,そりゃ,辻さん,間違いなく化石ですよ」。当の田中靖郎先生にまで,あっさりいわれてしまった。以来,化石をもって任じている。

 化石時代以来,取材に直接関わった時間は決して長くないが,いくつもの出来事が記憶に残っている。

 「へえーっ」と意外に思い,同時にうれしくも感じたのが,1990年,月をめざした「ひてん」の打ち上げだ。私はボストンに留学中だったが,このニュースはニューヨーク・タイムズ紙やボストン・グローブ紙の一面に取り上げられた。夕方のテレビのニュースでも報じられた。米ソに次いで,日本が3番目に月に探査機を送る国になる,というのだった。

 当時,米国の経済はどん底であえぎ,日本はバブルのただ中だった。その日本がついにここまでと,経済と絡めてのとらえ方も一部あったかもしれない。しかし,基本は,月という別世界をめざす「挑戦」への素直な関心だったように思う。月はアポロ以来,米国が特別のこだわりを持つ天体とはいえ,なるほど,こうした広い意味での「文化活動」が関心を呼ぶのだと改めて思った。こうした活動が,外から見た日本の「顔」を作っていくのだろう。

 「意外」といったのは,米国の方がむしろ,この探査機の「人類史的意義」から「大事件」としてとらえているように思えたからだ。日本発のニュースといえば,もっぱら経済面,それ以外のニュースが登場する機会はほとんどなかったから,日本発の「大ニュース」は,久々にうれしいニュースだった。

 97年夏から3年弱,科学担当の特派員として米国に滞在したが,田中先生が米科学アカデミー会員に選ばれ,ワシントンでのお披露目総会にお供をさせていただく機会を得た。会う人,会う人から「鉄のスペクトルの発見はすばらしい」と次々に声がかかる。「日本がデータで貢献できるなんて,かつては思いもしませんでしたけどねえ」と田中先生は穏やかにおっしゃったが,世界の科学への貢献が,確実な手応えとして感じられた。発端は「てんま」での観測。化石時代に思いを馳せ,誇らしくも思ったのだった。

 米国では米航空宇宙局(NASA)の取材をする機会が多かった。その経験から,宇宙研にも望みたいことがある。それは,研究の成果,何をしているのかをもっともっと外にアピールしてほしいということだ。

 NASAは,「火星のいん石から生命の痕跡」との発表で世界中を興奮の渦に巻き込んだように,巧みな広報戦略で知られる。NASAの広報担当によれば,「知識の啓蒙がNASAの設立目的の一つとして明記されている」という。さまざまな探査計画には国民の支持が欠かせないし,一方で,国民に夢や驚きを与え続けていることも間違いない。米天文学会の広報担当を務めるNASAゴダード宇宙飛行センターのスティーブ・マーラン博士も広報の目的を,「科学がわかる市民を育てる。そのために,だれもが関心を持つ宇宙・天文関係のニュースは最高の材料だから」という。理科離れが言われる今,大人にも子供にも,驚きと興奮を与え続けてほしい。

 そして,外に向けても,世界の文化に貢献する「日本の顔」をもっともっと見せてほしい。

(朝日新聞科学部,つじ・あつこ) 


#
目次
#
編集後記
#
Home page

ISASニュース No.236 (無断転載不可)