No.228
2000.3

<送る言葉>   ISASニュース 2000.3 No.228

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勝負の荒木さん

中 部 博 雄  

 1965年,高校を卒業して直ぐに糸川研に入り,生研(麻布)を案内してもらいました。そこでまず,白衣を着た富田さんにお逢いしました。「さすがロケットの研究所には看護婦さんも居るんだ」と感心しながら,次ぎに長友研を訪れると,大きな装置の前で坊主頭の荒木さんと長友先生が働いていらっしゃいました。説明によると,プラズマロケットの実験だと言う。

 「荒木さんは,何で僕より若いんだろう」と不思議に思ったのが,荒木さんとの最初の出会いでした。その後,僕は千葉生研の秋葉研に移り,数年間ハイブリッド等の基礎実験に参加して,再び駒場に戻り,荒木さんと同室になって以来,30数年にわたり公私共に,お付合いをさせていただく様になりました。

 今は,知る人ぞ知るパソコン大先生で,日中パソコンと対話しておられますが,若かりし30数年前は,剣道の達人で,松尾所長,林さんを含む多くの剣豪をうち破ったと聞きます。

 KSCでは,毎日の様に管制室の別室で神谷さんと壮絶な卓球試合をやっていました。

 その頃,栗子国際でのスキーや乾徳山ハイク(写真),五色沼に絵を描きに行ったりもしました。

 NTCでは,森岳温泉で年に1度はカラオケ大会を催していました。荒木さんは自ら歌いたいのを押さえて,カラオケの進行係を率先してやっていたのは忘れられませんが,それ以外の夜間行動は秘密に包まれ,夜の帝王と言われたさんに聞かないと判りません。

 20年ほど前からは,剣道と卓球を捨て,テニスの勝負に生き甲斐を見つけられた様で,あの「幽霊の左手打法」でコート全面を有効に打ち分けていました。

 仕事面では,点火管制班の仕事もタイマ班との兼任で,作業は自主的に任せてもらい感謝しています。

 忘れられない荒木さんとの出来事は,350機以上の観測ロケットを打ち上げてきた中で,打上げ直前のエマストや点火管制装置の改修が間に合わずナイフスイッチによりモータに点火した事でしようか。ともあれ,本当に長い間お世話になり有り難うございました。今後のご活躍を期待しております。

(なかべ・ひろお)


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