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1999.9

ISASニュース 1999.9 No.222

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墨流しから水紋画へ

黒田隆二  

 日本に古来から伝わる「墨流し」という技法があります。「墨流し」は1118年頃(元永年間)に刊行された「西本願寺本三十六人集」に見られるものがわが国最古のものとされています。そこでは,福井県の武生では広場治左衛門家が1151年(仁平元年)に神託により「墨流し」を家業として始めたと述べられています。

 このようにして始まった「墨流し」は以来約850年もの間わが国独特の工芸として受け継がれてきました。不思議なことに,技法そのものは現在に至るまで全く変化していませんでした。その「墨流し」を学問の対象として取り上げたのが理化学研究所に席を置いていた寺田寅彦でした。中谷宇吉郎の著した「冬の華」(昭和13年,岩波書店)の中でも,寺田寅彦の論文を詳しく紹介しています。原文は英語で書かれています。

 寺田寅彦は,水面に広がった墨膜から墨の炭素粒の大きさ,炭素粒の間隔等を求め,この墨膜に電圧をかけると銅の陽極付近が硬化すること,金属イオンとの作用や圧力をかけると硬化すること等を研究し,墨を摺る硯の研究まで手懸けています。中谷宇吉郎の研究室ではこの研究を受け継いで,墨色の研究,墨と金属イオンの作用等を詳しく研究しており,趣味としての墨流し作品も残っています。また樋口敬二は,1951年に卒業論文の課題として墨流しの物理的研究をまとめています。

 ところが,これらの研究成果は工芸として墨流しを行なう人々には全く知られていませんでした。工芸の世界と理化学の世界との交流は皆無であったように思います。理化学の研究として取り組んだ寺田寅彦や中谷宇吉郎は,これらの研究が墨流しの発展に大きく寄与することを予知しつつも,自らがそれらを応用した美術としての墨流しの発展にまで踏み込むことはありませんでした。

 私がふとしたキッカケから墨流しを始め,文献を辿るうちに,これらの先生方の文献に触れ,新しい幾つかの発見があって「水紋画」という新しい技法が誕生いたしました。

 写真は日本ロケット協会という組織の英文誌の表紙です。「ビッグバン5秒前」というわけの判らぬ名前のつけられた図柄ですが,当然ながら名前は駄洒落です。しかし,じっと眺めていると,宇宙に漂う不思議な黒体の中で赤い火が今にもビッグバンを待っているかような錯覚を感じませんか。この図柄は水紋画の技法で水の表面に作られたパターンを紙に写し取ったものです。

 柔らかい薄膜,硬い薄膜を巧みに組み合せ,色の種類を増やし,更にマランゴニ効果(局部的な表面張力の差によって起こる流れ)を応用して,墨流しを美術の領域にまで高めることが出来たと自負しています。この「新しい墨流し」である水紋画は,外務省の対外広報活動用のビデオに新しい日本の工芸の誕生として収録され,15ヶ国語に翻訳され,世界120ヶ国以上に紹介されました。

 本年7月8月2ヶ月に亙り「中谷宇吉郎雪の科学館」で水紋画の企画展示会が行なわれたのも以上の関係があったからです。

(宇宙科学振興会常務理事,現代美術家協会会友 くろだたかじ)



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