No.027
1983.6

ユーゴスラビアに
ロケット推進薬製造技術のうりこみ(1963年)
ISASニュース 1983.6 No.027

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- No.027 目次
- 国際地球観測年(IGY)記念号にあたって
+ 我国での宇宙観測のはじまり
- IGYの頃
+ ユーゴスラビアにロケット推進薬製造技術のうりこみ(1963年)
- IGYと初期のロケット研究
- 我国の電離層ロケット観測の成果
- 大気光および大気光学観測
- 電磁圏観測
- お知らせ
- 編集後記

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戸 田 康 明  


1)はじめに

 東京大学で開発されたカッパ型ロケットは1957年からはじまった国際地球観測年になんとか間にあい各種の計測がなされた。これらの成果は1958年ストックホルムで開かれたIAFで糸川教授が,ロケットの性能,今後のみとおしなどとあわせて発表された。今まで白紙であった日本のロケットは各国から予想外の注目をあびた。各国のうちユーゴスラビア宇宙協会所属の技術者が特に興味をもち1960年以降数回にわたり数グループが来日,秋田におけるカッパ型ロケット打上技術を見学,また東大教授から指導をうけ,カッパ型ロケットの購入と,又その推進薬製造技術を購入したい由東京大学に打診してきた。

 三井物産の努力で関連各省の許可を得,実行にうつされることになり,カッパ5機とその推進薬製造技術ノウハウの輸出契約の商談がユーゴ宇宙協会と三井物産で成立した(1962年)。


2)推進薬製造技術ノウハウ契約の実行

 輸出商談にともない推進薬の製造設備,検査器具,ロケット燃焼実験用設備を新たに製造,またカッパ型実機5機も契約,年内(1962年)に逐次ユーゴ宇宙協会あて船便で輸出されることになった。この年日本から先方におくりとどけた設備が,現地で設置され製造が開始されるまでの期間は約1年を見込み,本格的に製造を始める事前に日本の専門化学者2名を約1ヶ月現地に派遣して,最終的にカッパ型の推進薬と全く同じ性能のものができるよう指導する,ということが契約におりこまれた。そこで1963年になり,とりあえず先方工場での情況をたしかめる必要を生じた。筆者は1963年3月30日渡米,米国において数社のロケット会社を訪問後,4月2日米国からスイス経由ユーゴスラビアに行き先方工場の情況を調査することになった。

新緑が美しいVITEZ近くの水源地 

3)ベオグラードからビテツ(VITEZ)ヘ

 ユーゴの首都ベオグラードのロケット協会で種々打合せの後推進薬工場のあるビテツの町にゆくことになる。この旅行はいささか不便である。まずサラエボ(ユーゴ中央部の旧都)まで空路一泊の後,北西に走る山脈にそい約70km車で走ることになる。ベオグラードからサラエボまでの空路は何とDC-3で,まづ大戦中の古物プロペラ機。南方に向けとび立ちサラエボ着。空港といっても何もない田園風景,木柵の外に羊がたわむれ,外では農夫が畠をたがやしている。翌25日朝サラエボを出発車でビテツに向う。西北山脈にそい直線の道路を走る。新緑の美しい並木道,やがて水源地へ出た。炭酸水のふきでている公園,ベンチにじっとすわって明るい日ざしをあびているおばあさん。ユーゴは治安もよく,田舎でものんびりした生活をたのしんでいるようだ。やがてビテツに到着。


4)推進薬工場(SPS-Slobadam Princip Seljo)

VITEZのSPS工場前で(1963年4月)

 ビテツにあるこの工場は旧帝国火工品川越工場によく似ている。工場敷地は平坦だが右,左手とも小高い山にかこまれている。入口正面ちかくに新築二階建の研究所があり,すでに日産から輸入された各種試験機が搬入すえつけられ,引張り試験の試験片も多数みられ,引張り切断された破片も多数見られた。壁には推進薬の粒度分布を示す拡大写真もみられた。推進薬製造室には石川式撹拌器が稼働しており入場禁止の赤らんぷが点滅していた。カッパ型用推進薬実物も完成しており要はユーゴ側の技術者の熱心な努力によって短期間に諸設備が稼働状態に入っていた。

 そこで日本から専門技師を急拠よびよせ本格的に技術指導をする約束をし,当社加志村技師(故人)又日本油脂から竹中技師を現地に至急当着するよう手配した。両氏は5月10日ベオグラードに到着,直ちにSPS工場に約1ヶ月半滞在し詳細な指導をしたが,娯楽もない田舎町で食事も焼肉が主体という環境の中よくがんばって指導してくれた為,完全なカッパ型推進薬が先方の手でできるようになり感謝された。


5)ビテツでの歓迎宴

 筆者が4月25日ビテツに到着の夜,町からやや離れた山すそにあるレストランで歓迎宴をしてくれた。先方は社長以下10数名,英語のわかる人は3名ほど,当方は筆者1人。午後6時まだ明るいので庭を散歩する。養魚場があり多数の鱒がおよいでいる。庭から山道に入る。木々は新緑うす緑のふんいきにつつまれ,地面も一面の緑,すみれの紫,黄や赤い小花が咲いている。空気がおいしい。レストランに近い小川のほとり,下に炭火をおこし生の羊をぶっとおした木ごと回転させ,トルコ帽をかぶったおじさんが焼き始めている。やきあがるのに3時間位かかるという。やき上るまで飲みつつ時間を過さねばならぬ。食堂にて小生を中心に社長以下にとりまかれ,シルモビッチ(すももの酒,ウォッカに近い)で乾杯につぐ乾杯。手まね足まねで会話。歌もうたう。羊が焼けた。まるごと焼けた羊を前後2人の人がかつぎこみ,のこぎりとかなづちで料理。大皿に一ぱいの肉塊。やわらかくておいしい。酔った上満腹となる。友情を感謝し帰路につく。空は晴れ満月であった。


6)おわりに

 ユーゴスラビアに送られたカッパ5機は同国西部ドブロブニク海岸で同年夏飛しょう試験が行われた。これには東大の森,野村両教授,日産から城田が参加,実験は成功した。

 また推進薬製造はSPS工場でつつがなくつづけられたが,その後何となく通信がとぎれた。しかし協会のゲンチッチ理事は今なお健在である。

(とだ・やすあき 日産自動車(株)顧問) 


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