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ペンシルロケット実機の鑑定結果を日本天文学会で発表

日本の宇宙科学の歴史は1955年4月に東京大学生産技術研究所が行ったペンシルロケットの水平試射実験にさかのぼります。数多く作られ、試験も多くが陸上で行われて機体が回収されたにもかかわらず、その実機を見る機会は多くありません。常設展としては永らく、国立科学博物館と、日産荻窪工場跡地の「ロケット発祥之地」碑に埋め込まれたもののみとされていました。
しかもペンシルロケットは一種類ではありません。全長23cmの標準型だけでなく、全長30cmのペンシル300や、下段にブースターをつけた2段式ペンシル、ブースターを3つ束ねたクラスターペンシルなどが知られています。
また、同じ標準型でも、推薬の量(長さが120mmあるのがFull、半量の60mmのものがHalfで、それに応じてノズル形状が異なる)、先端部分が着脱できるかどうか(2ピースは2、3ピースは3)、尾翼の取付角(0は0°、2は2.5°、5は5°)、先端部分の材質(鉄はS、ジュラルミンはD、真鍮はB)に応じて、Full-25DやHalf-30Sなどと呼ばれています(図1)。
先端の材質を変えることで重心の位置を変え、尾翼の取付角を変えることで空力性能を確認しようとしたようです。無尾翼のものも実験に用いられたと記録にあります。

そこで、グループを率いた糸川英夫教授が2012年7月20日に生誕百年を迎えるのにあわせて2012年7月14日から9月2日にかけて開催された企画展「宇宙科学の先駆者たち〜糸川英夫と小田稔〜」(相模原市立博物館とJAXAの共催)のためにペンシルロケットの所在確認を進めました。その結果、上記企画展の時点でスタンダードペンシルを10機(国分寺で実射された記録が残るもの2機を含む)、ペンシル300を1機、2段式ペンシルを2機、クラスターペンシルを1機、展示することができました(図2)。

一堂に集めると差異や共通点が分かりやすくなります。存在が確認されながら借用できずに終わったものや、別の場所で保管されているもの、その後発見されたものも含めて鑑定を行いました(表1)。

軍事と切り離された学術目的でのロケット開発や、少ない予算で工夫を重ねることなど、日本の科学技術史においてペンシルロケットの持つ意味は少なくありません。実機はこれにとどまらず、実験の行われた東京都国分寺市、千葉県、秋田県周辺に残されている可能性があります。本資料の公開を通じて、より多くの実機の存在が知られ、より多くの人の目に触れるようになることを願っています。

標準型ペンシル2種の形状比較

図1:標準型ペンシル2種の形状比較。上がHalf-30S、下がFull-25D。ともに個人蔵。(c)JAXA

図2:2012年夏の相模原市立博物館での企画展「宇宙科学の先駆者たち〜糸川英夫と小田稔〜」に展示されたペンシルロケットの数々。国分寺で実射された記録が残るペンシルロケット2機(枠内、ともに個人蔵)を含む。(c)JAXA

表1:所在確認と鑑定の結果

標準型ペンシル
形式 所有者 展示形態
備考(来歴・特徴・鑑定結果等)
Half-30S 個人(廣川賢二氏) 公開展示(JAXA相模原キャンパス展示室)
鉄スクラップ業を営んでいた父親から譲り受けたもの。
詳細については 新しいウィンドウが開きます ISASニュース2011年2月号 いも焼酎 参照(PDFファイル)。尾翼に黒字で横向きに「26」「上」、赤字で「6」の文字あり。国分寺での実験記録の残る飛翔番号26(1955年4月19日実射)の機体。
個人 個人管理
廣川賢二氏の父親から譲り受けたもの。尾翼に黒字で横向きに「23」「上」、赤字で「5」の文字あり。国分寺での実験記録の残る飛翔番号23(1955年4月18日実射)の機体。
国立科学博物館 公開展示(国立科学博物館地球館)
廣川賢二氏の父親から譲り受けたもの。尾翼に黒字で「6」、赤字で「PK」の文字あり。機体の特徴は飛翔番号23、26のものと酷似するが、国分寺での実験記録の残る飛翔番号6(1955年4月18日実射)の機体はFull-30Sのはずなので別物と思われる。尾翼の数字の向きも異なる。
個人 個人管理
東京大学生産技術研究所の森大吉郎研究室職員が譲り受けたもの。尾翼に赤字で「20」の文字あり。
Full-30S 埼玉県本庄市立本庄西小学校 児童向け展示(本庄西小学校校長室)
敷地が広く、西側に隣接して国立高層気象台本庄出張所(現在は本庄市水道課の庁舎)があったことから、1956年に本庄西小学校の校庭でロックーン予備実験が行われ、実験の成功を記念して、糸川英夫氏より国立高層気象台本庄出張所の中島正一所長が譲り受けたものが、理科教育振興のために本庄西小学校に寄贈された。管理元には「4月15日に国分寺で実射された8本のうちの1つ」との記述があるが、「生産研究」の記載内容と合致しない。
個人 個人管理
高速度カメラ班として実験に参加した東京大学生産技術研究所の職員が譲り受けたもの。
個人 個人管理
東京大学生産技術研究所の森大吉郎研究室職員が譲り受けたもの。先端と燃焼室部分はレプリカ。ノズルの燃焼室側にはFull仕様の後期型の機体に採用された燃料押さえ板も入っている。
Half-20D 個人 個人管理
東京大学生産技術研究所の森大吉郎研究室職員が譲り受けたもの。今上天皇が皇太子の頃に松尾弘毅教授の案内でご覧いただいた。
Full-20D 個人 個人管理
東京大学生産技術研究所の糸川英夫研究室職員が譲り受けたもの。Halfの可能性もあり。
個人 個人管理
東京大学生産技術研究所職員が譲り受けたもの。尾翼の取り付け方が他の実機と異なる。ノズル内を黄色に塗装済み。
Full-25D IHIエアロスペース 法人管理(IHIエアロスペース富岡工場)
器材運搬要員として国分寺の実験に参加した富士精密工業の新井康弘氏が譲り受けたもの。資料館開設にあたって寄贈された。その後、野口宇宙飛行士とともにスペースシャトルSTS-114で地球を周回した。「開運!なんでも鑑定団」(2007年9月25日放送分)にペンシルロケット開発者の垣見恒男氏が出品して1300万円(宇宙へ行った価値が1000万円、ペンシルロケット現物としての価値が300万円)との評価を得た。
個人 個人管理
東京大学工学部火薬学科の山本祐徳教授が譲り受けたもの。尾翼に黒字で横向きに「35」とあるが、見えないほど薄い。分解可能だが、Full仕様の後期型の機体に採用された燃料押さえ板は入っていない。「火薬の量の確認のために実験室で砂袋に打ち込んだものと聞いた」(所有者談)。
JAXA 公開展示(JAXA内之浦宇宙科学資料館)
尾翼部分が途中までねじ込まれた状態で、全体表面をめっき処理済み。
その他のペンシル
形式 所有者 展示形態
備考(来歴・特徴・鑑定結果等)
ペンシル300 個人 個人管理
東京大学生産技術研究所職員が譲り受けたもの。尾翼に赤字で「8」の文字あり。
2段式ペンシル 個人 個人管理
東京大学生産技術研究所職員が譲り受けたもの。
個人 個人管理
東京大学生産技術研究所の森大吉郎研究室職員が譲り受けたもの。尾翼角0度、ブースターのノズルはHalf用。重心付近に追加で穴があけられ保持用の治具が取り付けられていた。メイン(2段目)の先端と燃焼室部分はレプリカ。風洞試験にも利用か。
クラスター
ペンシル
個人 個人管理
東京大学生産技術研究所職員が譲り受けたもの。ブースター部分が3本束ねられている。メイン(2段目)なし。実射されることはなかった。

2013年3月19日

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