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火星探査機「のぞみ」Q&A

みなさんから寄せられた主な質問にお答えします。

Q 「のぞみ」はこれからどうなるのですか?

A 「のぞみ」は12月14日、火星表面から1000kmのところを通過し、12月16日に火星の重力圏を脱出して、太陽中心の軌道に入りま した。そしてそのまま半永久的に太陽中心軌道の旅を続けることになります。

Q 「のぞみ」打上げのすぐ後で、何か不具合が起き たと聞いたことがありますが…

A 1998年7月、M−Vにより打上げ た後、しばらく地球を周回した「のぞみ」は、二度にわたって月の重力を使って軌道 を変更するスウィングバイを行い、さらに1998年末に地球のスウィングバイを行 いました。スウィングバイとは、天体の重力と運動エネルギーを利用して速度と方向 に大幅な変更を加える技術です。燃料をほとんど使わないので省エネルギーの航法を 実現することができ、惑星探査においては必須のテクニックとなっています。
 1998年12月20日の地球スウィングバイは、最終的に 地球重力圏を脱出するためのもので、単に地球の近くをそのまま通り過ぎるだけでな く、制御エンジンを噴かす「パワー・スウィングバイ」でした。その際、制御用メイ ンエンジンの酸化剤を送るシステムの一部に不具合が生じるという事態に見舞われま した。そのため厳密に計算され計画されたタイミングでの速度追加に不足が生じ、 「火星にどうしても到着しなければ」という願いを込めて再度の噴射が行われました が、これによって制御用燃料を使いすぎたことが判明しました。そのまま火星に接近 する予定の1999年10月に制御エンジンを噴かしても、燃料不足のため、計画し た火星周回軌道に「のぞみ」を投入することは不可能になる見通しとなりました。

Q どのようにしてその最初の不具合を乗り切ったの ですか?

A 問題が明らかになった1998年のクリスマス の頃、宇宙科学研究所のミッション解析グループの苦闘が始まりました。惑星探査の 場合、相手は猛スピードで動いている物体です。道半ばにしてこ ちらの道筋を変更することは非常に難しいことです。問題は、軌道計画を変更するこ とによって燃料不足を補う方法はあるのかということでした。
 一般に、いったん軌道に送られた衛星は波乱万丈の一生を送 ります。無傷で全く何の問題もなく活躍して天寿を全うする衛星は、おそらくこの世 に一つも存在したためしはないでしょう。何か事が起きたとき、その「事の致命性」 が最も重要なファクターであることは論を待ちませんが、人間業に属する事柄であれ ば、衛星チームのリーダーの指導性と班員の高い能力と献身性こそが、問題を乗り越 えられるか否かの大きな分岐点となることは疑いありません。どんなに順調に素晴ら しい業績をあげた衛星や惑星探査機でも、その主要なスタッフに訊ねてみると、とて つもなくピンチな状況をいかに英雄的に乗り越えてきたか、わくわくするようなエピ ソードを語ってくれるに違いありません。
  「のぞみ」については、今回の危機を除けば、最も危機的 な状況の訪れたのが、この1998年の暮れでした。宇宙科学研究所のミッション解 析グループの死に物狂いの格闘が始まりました。グループは1998年の年末と19 99年の年始を返上して懸命の「新軌道発見」に取り組みました。そして白々と19 99年の扉が開いた頃、ついに探し求めていた軌道が見つかったのです。このまま 「のぞみ」を太陽中心軌道に放置し、さらに二度の地球スウィングバイを敢行して軌 道を変更すれば、2003年の暮れには、予定した火星周回軌道を達成できることが 分かったのです。頭脳とコンピュータを駆使した不眠不休の、一糸乱れぬ奮闘の勝利 でした。
  こうして、「のぞみ」グループは軌道を変更し、火星への 到達を1999年10月から2003年12月に変更することとしました。ただし問 題点がないわけではありません。「のぞみ」はすでに惑星間空間にあって、太陽中心 軌道上にありました。4年間の長きにわたって太陽中心軌道に探査機を回しておいて 大丈夫だろうか。衛星システム・グループの厳密な検討が行われました。そして「不 慮の事件がおきない限りシステムとしては大丈夫」ということが確信され、「のぞ み」は予想を超えた長旅のモードに移りました。

Q その待ち時間の間、「のぞみ」は何もしないで 太陽の周りを回っていたのですか?

A ただ飛んでいるだけでは面白くありま せん。搭載機器のチェックも兼ねて、「のぞみ」は太陽系空間にあっていくつかの重要な観測を行う計画を立てました。 「のぞみ」の紫外線撮像分光計は、惑星間空間の水素ライマン・アルファ光を測定し星間風がどの方向からどのくらい入ってくるのかを観測しま した。極端紫外望遠鏡は、ヘリウムイオンが引き起こす太陽からの極端紫外線の散乱光を捕える事で世界で初めてこの領域を外側から見る事に成功しました。ダストカウンターは恒星間ダストを検出しました。高エネルギー粒子計測器の太陽フレアの観測、電子エネルギー分析器による月ウェイクの観測、イオンエネルギー分析器の星間風の観測も行われました。イオン質量分析器と磁場計測器は地球から遠く離れた観測点として太陽風の貴重な長期モニターとなりました。Xバンドを用いた電波科学観測による太陽近傍ガスの詳細観測なども加え、多くの成果をリストアップすることができます。

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Q 新しい軌道を運動し始めた「のぞみ」は、どうして調子が悪くなったのですか?

A システム・グループが指摘していた唯一の心配である「不慮の事件」が起きた のです。それは1億5000万kmの彼方からやってきました。2002年春、太陽面で 大きなフレアが発生したのです。「のぞみ」は太陽からの高いエネルギーを持つ粒子 群の直撃を受けた後にその回路系の一部がやられたのです。この為にその回路に電力 を供給している共通系電源は過電流保護回路が働いて立ち上げる事が2002年4月 26目から出来なくなってしまいました。この結果テレメータデータが送信できず、 かつ熱制御回路が動作しない状況が現在まで続いています。
  その電源は、姿勢制御に使う燃料を温めるヒーターを司っており、しかも衛星の 状態や観測結果を地上局にテレメータデータとして送る際の(送りやすくするため の)変調をも担当しています。ただし「のぞみ」はスピンで姿勢を安定しているた め、半年程度の放置は問題のないことを確認しました。 調べてみると、電源は正常なのですが、その下流にぶら下がる複数のサブシステム のうちの一つでショートが起こっていると推定されました。そのため、電源にオンコ マンドを送ると、短時間(約2msec)電源オンとなった後、過電流のため、電源保護用 のブレーカーが働いて、オフになるのです。保護するはずが邪魔をするという皮肉な 展開となってしまいました。

Q その後の経過を教えてください。

A 2002年の春、絶望的なムードに陥っていたチームの考えは、「2002年の 10月には地球のスウィングバイがある。 地球に接近する頃になると太陽との距離 が縮まってくるから、ヒドラジンは溶け始める。それを気長に待つことにしよう」 というものでした。その後、衛星の保温の為、観測機器を順次オンとし、合わせて詳 細な熱解析を行った結果、凍結している推進剤は2002年9月には自然解凍するこ とが予測されました。
 テレメータ・グループの壮絶な努力が開始されました。2002年5月15日、当 該電源への連続オンコマンドにより、コンデンサに電荷を蓄積させ、電源電圧を一定 の値まで高める操作を実施しました。これは、電源電圧がコマンド実施可能領域に 達することを期待して実施したものです。その過程で、ビーコンを喪失しました。こ れは、電源電圧の不完全な立ち上がりにより、通信系の制御回路のリレーがランダム にオン・オフされ、結果的にオフになったと推定され、地上のハードウエア試験によ ってこの現象を確認しました。
 一方、この結果より、逆に、電源へのオンコマンドによるリレー状態が元のモード ヘ復帰する可能性も期待されることになりました。そして電源オンコマンド送出を約 7500回試行後、2002年7月15日に、上記の期待通り、ビーコンが復活し ました。さらにテレメトリの代替機能として、搭載の自律機能を用い、時間をかけれ ば、ビーコンのオン・オフだけで探査機の状態を知る手法を発案し、探査機のハウス キーピング・データを監視することができるようになりました。
  活用されたのは、探査機自身の自律的な判断により、人間の介入なく一定の動作 をする目的で備えられた機能です。通常は人間が監視・制御しているので用いる必要 がないのですが、一朝事あるとき、人間が地上からコマンドを用いて指定した探査機 の状態を示す数値を探査機のコンピュータが読み込んで、その値に基づいて、探査機 がコマンドを実施するようにしてあるのです。
 例えば、ある部分の温度を探査機がチェックし、その値が指定した値を越えていれ ば、ビーコンをオフにするような設定が可能です。ビーコンの、オンとオフを確認し ながら、この温度指定範囲を不等号で狭めていけば、時間さえかければ、温度の範囲 を絞り込んでいくことが可能になるというわけです。探査機との距離が離れている場 合は、1回の不等号の確認に数十分を要するため、この一連の作業は相当の時間を要 します。ビーコン・モードだけの心細い通信路と「のぞみ」に賦与してあるこの自律 化機能をフルに活用して、ちびりちびりと「のぞみ」の健康状態をチェックする気の 遠くなるような作業が続けられました。
 2002年8月下旬、太陽までの距離が近づいた結果、予想通り、凍結していた姿 勢制御用のヒドラジンの温度がじりじりと上昇しはじめました。そしてついに解凍温 度に到達したことを確認。この結果、姿勢・軌道の制御が可能となり、不具合発生後 初めての姿勢変更を成功裡に実施しました。
  2002年9月から12月にかけて、地球スイングバイの為の軌道微調整を4回 実施し、12月20日に地球から3万6000kmの距離を通過させるスイングバイ を成功裡に完了しました。その後、いったん黄道面を離れて時間稼ぎをした「のぞ み」は、再び地球にじりじりと近づいてきました。そして2003年6月、軌道の精 密決定・微調整と姿勢変更を経て、6月19日23時59分53秒、「のぞみ」は 高度約1万1000kmを通過、見事にスウィングバイを完了しました。
 その後、2003年6月末から7月中旬にかけてスウィングバイ後の軌道微調整と保温のための姿勢変更を行い、7月から10月末にかけて不具合箇所復活のためのオペレーションを実施してきましたが、2003年12月9日(火)午後8時30分の時点で不具合の箇所を修復することができなかったことを確認し、火星周回軌道への投入を断念せざるを得なくなりました。そこで、同日午後8時45分から9時23分まで、火星への衝突確率を下げるための軌道変更のコマンドを打ちました。その結果「のぞみ」は、12月14日に火星の表面から約1000kmのところを通過し、12月16日には火星の重力圏を脱出して、再び太陽を中心とする軌道上の旅を続けることになりました。

Q なぜ「のぞみ」が火星に衝突してはいけないので すか?

A 火星には生命が存在している可能性が あり、それを探査する努力を人類は続けています。その生命探査への影響を避けるために、宇宙科学関連の研究者組織である国際宇宙空間研究委員会(COSPAR)から「特別な処置を施していない火星周回衛星に関しては打上げ後20年以内に火星に落ちる確 率を1%以下にするという方針」( COSPAR planetary protection policy )が出されているのです。私たちは、研究者として、可能な限りその方針を遵守する道義的責任があります。「のぞみ」は当初火星への最接近距離が894kmになる軌道を運動していました。探査機の軌道決定には一定の誤差が含まれており、1%の確率で火星に衝突する誤差は排除できませんでした。もし科学観測が不可能となった場合は、せめて「1%の確率」をさらに下げるため軌道変更をして、火星への最接近距離を1000kmまで遠ざけたのです。

Q 火星周回軌道に乗らなかった場合、「のぞみ」の ために使われた予算は無駄づかいだったのですか?

A 「のぞみ」は、日本で初めての惑星探 査ミッションです。惑星探査機の設計技術、スウィングバイをはじめとする制御技 術、遠距離通信、惑星探査機の運用技術、軌道計画の柔軟な運用など、今後の日本の 惑星探査に数々の貴重な経験を蓄積できたと考えています。その成果は、2003年 5月9日に打ち上げられた小惑星探査機「はやぶさ」に最大限に生かされています。
 科学観測においても、前述したいくつかの成果が得られまし た。もちろん現在の最大の障害を乗り越えて、来年1月にアメリカやヨーロッパの火 星探査機が火星に集合する「マーズ・ラッシュ」に間に合うことが私たちの願いで す。JAXAは、これまでの経験と教訓を未来の探査活動に生かし、人類の知の蓄積 に大きな貢献ができるよう努力するつもりです。今後ともよろしくお願いします。

2003年12月27日

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