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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第360号

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ISASメールマガジン   第360号       【 発行日− 11.08.16 】
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★こんにちは、山本です。

 「はやぶさ」の映画のHPで予告編がアップされてるよ
と友人が教えてくれました。
早速 予告編その1「特報」を鑑賞。先日映画館で見たものでした。
その2は、結構 感動的! 思わず映画館で すぐに観たくなりました。

 そのHPで見つけたのが、「はやぶさ君の冒険日誌」なる本。某新聞社から発行されているようです。(結構 いいお値段です。)

 モチロン オリジナルの「はやぶさ君の冒険日誌」は、以下のページ
新しいウィンドウが開きます http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/hayabusa/fun/adv/index.shtml

で、読んだりダウンロードできます。


 知らなかった。早速本屋さんにリサーチに出かけました。

 1軒目、横浜港北の大型ショッピングモールの本屋さん。
広い店内を見て歩いたけれど、見つからず、検索のPCで探してみたけれど、ヒットしませんでした。
 2軒目、私鉄駅の大型施設の本屋さん。
同じく見つからず、今回は店員さんに聞いてみる。在庫はあるけど、担当がいないので(因に児童書)わかりませんでした。
 3軒目、別の私鉄駅に隣接しているショッピングセンターの2軒目と同じ本屋さん。
児童書から始めて見て歩くが やはり見つけられません。

 検索用のPCがあったので、早速【検索】。

 アッター!

 この店は、理工学書の棚に置いてありました。
(エッ 【児童書】じゃないんだ)

 専門書の棚に置かれて 売れるわけないのに……

 セッカク映画会社がHPで『原案』と宣伝しているのに、チョット残念でした。


 今週も、宇宙の電池屋・宇宙探査工学研究系の曽根理嗣(そね・よしつぐ)さんです。


── INDEX──────────────────────────────
★01:宇宙の電池屋 −襷− その2
☆02:「あかり」宇宙からの謎の遠赤外線放射を検出!
☆03:「はやぶさ」カプセル等の展示スケジュール
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★01:宇宙の電池屋 −襷− その2

【先週(ISASメールマガジン 第359号)からの つづき】

 2010年6月、僕はグレンダンボにいた。
(お〜と、そこからか。我ながら、脈絡のない書き出しだ!)

 はやぶさカプセル回収のため、「放探班」の一隊員として、スチュワートハイウェー沿いのモーテルに泊まっていた。
(よっしゃ、これで過去のメールマガジンとの関連性はばっちりだ!)

 泊まっているモーテルは、両脇をガソリンスタンドに挟まれていて、向かいに公衆電話があった。クニに電話を入れてから、僕は、ガソリンスタンドに水を買いにいった。

 この2軒のガソリンスタンドが、色々な意味で僕たちの生命線だった。簡単な食料を売ってくれていたし、水もあった。レストラン(ファーストフード系)も兼ねていて、休みの日のお昼などは食べに行っていた。

 その日は、何となく、小さい方のガソリンスタンドに行った。
おばちゃんが店番をしていた。

「ねえ、あんた、どっから来たのよ。」

「あ〜、日本からです。」

「ジャ・パ〜ン!あんたって、もしかして宇宙から落ちてくるサテライトから
 ロックを取り出そうって言う、あれ?」

「あ〜、いや、岩じゃあないんですけど、それからサテライト(人工衛星)
 じゃあなくて、スペースクラフト(宇宙探査機)かも知れないけど、まあそんな感じかな。」

「へ〜え、ニッポンジンって、おもしろいこと考えるのねえ。そういえば、
 こないだ、ジャ・パ・ニーズがレンタカーで来てさあ、

 『どこでサテライト見られるか』

 って聞いてくるのよ。そんなの私に聞いたって解らないわよねえ。がはははは。」

「そ、そうですか。」

「だいたいさあ、その日本人ってば、

 『マクドナルドはどこか』

 って言うのよ。マクドナルドよ、マクドナルド。知らないわよねえ、そんなの。

 『この道まっすぐ500キロくらい行ったら、あるんじゃない』

 って言ってやったわよ。がはははは。」

「そ、そうですか。」

「だいたい、なんで

 『マ〜ク〜ド〜』

 なのよ。ハンバーガーくらい、ウチにだってあるわよ。ハンバーガーが食べたければ、
 そういえば良いのに。」

「え、

 『ハンバーガーならここで食べられるよ』

 って、言ってあげなかったのですか。」

「言わないわよ。がはははは。そのまま出てって、車で、私が言った方向に走って
 いったわよ。がはははは。ハンバーガー食べられたのかしらねえ。」

「そ、そうですか。」

「そういえばさあ、タコーラってところにいる友達のところに、ナ〜サって
 やつから電話があったらしいのよ。」

「そ、そうですか。」

「その、ナ〜サってやつがさあ、落ちてくるサテライトのこととか聞いてきた
 らしいのよ。そんなこと聞かれたって、知らないわよねえ。」

「そ、そうですか。」

「でさ〜あ、

 『あなたのところに泊めて下さい』

 って言ってきたらしいのよ。確かにその友達、ホテルをやっているんだけどさあ、
 その電話が朝の5時半でさあ。あんた、朝の5時半よ。」

「そ、そうですか。」

「その友達さあ、寝起きが悪くて、

 『うるさい』

 って言って、電話、切っちゃったらしいのよ。がはははは。」

「そ、そうですか。」

「そうなのよ。でさ〜あ、ナ〜サってあんたなんか心当たりある?」

「え、まあ、そういうのがアメリカにあるってことは知っているというか。
 まあ、その〜、何といいますか・・・・・。」

・・・・・・5時半はまずかったかな〜。


 こんな事とか、その他にも書くことにためらいを覚えることとか、現地ではあった。でもそういったことは流石に・・・・・だけれど、体力が続く限りは機会を頂いて、講演にお伺いさせて頂くようにしている。


 そう、元気が出ないときの『はやぶさ』だ!


 以前、震災の後で細田(ごめん、身内なので「敬称略」)が書いていた気持ちと同じだ。もしも僕が少しでも関わったプロジェクトが、僕だけでなくみんなの元気に繋がるならと思い、時にヘロヘロになりながらもお伺いしている。


 少々、変わった企画にもお伺いしてきた。

(おっと〜!話の展開が大胆だ。話は完結できるんかいや〜!)


 「かぐや」という、日本舞踊協会の演劇にお声がけ頂いた。

 「科学と芸術のコラボレーション」を目指した劇で、昼の部と、午後(夜)の部との間でお時間を頂いて、お話をさせて頂く企画だった。日替わりで講演を受け持っていて、私以外の皆様は、とてもとても有名な先生達で、私は小さな体が更に縮む思いで行ってきた。なんと、場所は「国立劇場(小ホール)」。

 広報から書類を見せて頂いた時、
「え〜と、クニタチゲキジョウってどこですか?」
「いえいえ、曽根さん、コクリツゲキジョウですって。」
「・・・・・・。すみません、僕、月のことは話できないですよ・・。私では力不足ではないでしょうか。」
「う〜ん、『はやぶさ』でも良いと思うし、内容は任せるって言ってくれているよ。やってみない?」
少し考える時間を頂いてから、お引き受けした。


 当日、ロビーには、凄いオーラを感じる方達がたくさんいた。


 僕が、サッカーでも、プロジェクトでも大事にしていることだけれど、みんなが力を入れている時に、如何にテンションを揃えておけるかということが大事だと思う。ぶっちゃけて言って、僕は、僕のいるサッカーチームでは、自他共に認めるスーパー・サブだ。サブの大事なところは、いつ自分に声がかかっても、試合中のみんなと同じテンションで、一気に加速できることだ。


 僕のテンションが低くて、本チャンの舞踊にご迷惑をかけてはいけない。

 昼の部を見せて頂き、(無理なことを承知で)テンションを少しでも劇に近づけたいと思った。

 凄かった。僕はアドレナリンが注入されてくるのを感じていた。
(そういえば、アドレナリンって映画があったよな。あれ、続編は、電池が命の僕的にはゾクゾクする話だった。そういえば、実はいつも思っていたことだけど、あの24時間で事件を解決していくアメリカドラマの主人公の携帯電話って、なんで電池切れしないんだろう。あんだけ話し続けても電池が切れないなんて、米国情報機関、恐るべし。しまった、今はそんな話題ではなかった。「軌道修正」だ!)


 「凄い!人間って、美しい。」
拝見して、本当にそう思った。もちろん主演の方達はとても美しく演技をされていたけれど、そればかりではなく、集団で舞台を作っている景色がとても美しかった。何か、プロジェクトに通じるような気がしていた。

 僕は、「はやぶさ」の本当に端のほうで混ぜてもらった立場だった。所詮、渋谷に本拠のある某テレビ局の「A to Z」にも出てこない存在だ。
(あんまり出てこないので、近所で、曽根偽物説が出回った程だ。)

 でも個人的には、僕みたいな小さな存在まで含めて、一人一人の意識がきちんとそろっているからこそのプロジェクトだと思っている。

 舞台の袖に引くとき、たぶんあの人達はその先でも型を崩していないだろう。
そう、それこそがプロジェクトだ。
その気持ちを、講演の中で伝えたいと思った。


 講演のあと、主催者側の方から温かいお声がけを頂いたことには、本当に恐縮してしまった。
僕が思っていたことと同じような気持ちを、主催者側の方達も感じて下さっていたようだった。
とてもうれしかった。


 外に出て、駅に向かって歩いている中で、何気なく電信柱を見た。
「おお〜〜〜〜〜!」
国立劇場前の電信柱に書かれている地名は、「隼町」だった。

 「かぐや」のストーリーを考えた古の人は、きっと今日のこの出会いを想定していたのだろう。
僕は身が震えた。
凄い、凄すぎる!


 よっしゃ〜、元気出てきた!


 前世からの「えにし」を感じつつ、僕は次の出張先に向かった。
出張先には、台風が迫っていた。
雨男なんて、中途半端はいやだ。何度か行っている九州の出張先だけれど、行くたびに記録的大雪だったり、台風だったりする所だった。

 こうなればドラムでもたたいて「嵐を呼ぶ男」でいこう!
(ビブラ、ユウジロウ様)


 実は、講演を引き受けさせて頂く中で、僕には夢がある。
いつか、もう少し僕が年をとったころ、まだJAXAで仕事をさせもらえていたとする。
そんな中、ひょっこり声をかけてくる若手がいる。
その若手がにっこり笑って言う。
「私のことを覚えていますか?」
(誰だろうか。ドギマギドギマギ、ドギマギドギマギドギマギドギマギ・・。)

 そもそも名前と顔を一致させるのが苦手な僕は、戸惑う。
(どこで会った人だろう)
その若手が言う。
「学生のときに、あなたの話を聞きました。JAXAに入りたくて、一生懸命勉強して、ようやく、たどり着きました。」
僕はたぶん、笑いながら泣いてしまうだろう。


 かつて、僕が、そうだった。


 まだインターネットなんてない頃、新聞広告や学校の張り紙、NHKの「お知らせ」を見て、少しでも「宇宙」というキーワードがついた講演会を探しては、聞きに行っていた。

 「宇宙科学と映画の会」にも顔を出していた。
ちょうど「ようこう」の映像をみせて頂けた会だったと思う。質問もしたことがある。
あのときお話をして下さったのは「ひので」のプロジェクトマネージャだった小杉先生のはずだった。
「ひので(SOLAR-B)」でご指導を頂いたとき、小杉先生にその時のことをお話したことがある。
「覚えていらっしゃいますか?」
小杉先生はとても困った表情をしていたのが、楽しかった。


 先日、長野県の諏訪地方で話をさせて頂いた。中学校の先生方への講演だった。少々異色とも思われる「子供」が座っていた。講演の後で、窓口になって下さった先生から声をかけられた。

「質問をしたいという学生がいるけれども、良いですか?」

「もちろんです。」

目に力のある生徒さんだった。

「昨年、講演に来て下さった中学校の生徒です。質問をして色々と答えて頂きました。ありがとうございました。」

「ああ、あの方でしたか。」

明確に記憶に残っていた。
『宇宙探査に携わるのには、どうしたら良いのか』
と、論旨の流れのある文章で質問を投げかけられた。

 大変に申し訳ないけれど、すべてのそうした質問に答えることはできない。ただ、とても切実に感じられる、印象に残る文章だった。どうしても答えようと思った。後日、校長先生を通じて返事を送っていた。その学生が、聞きに来てくれていたのだった。


「曽根さんに聞きたいことがあります。調べると、はやぶさの後継機で、はやぶさ2や、そのほかにも開発をしたいとお考えの探査機があることを知りました。
 曽根さんも関わっていますか?どういうスケジュールで進むのでしょうか。」

「はやぶさ2は、かなり近い将来に打たれると思います。そのほかは、・・・・・」

 答えはじめて、目をみて、ハッとした。一瞬、悲しげな表情をしたように見えたからだ。
その学生は、宇宙探査の事が単に好きで、興味とか好奇心だけで質問を投げかけているようには見えなかった。切実な表情だった。

 この子の関心事は、自分分自身がどのタイミングで宇宙探査に合流できるか、それを知りたくて訪ねてきているのだと感じた。


 僕は、目を見ながら、答えを選んだ。
「はやぶさ2は、はやぶさの経験を生かして、短期間で開発して実現をしたいとみんなで考えている。はやぶさの実績をフルに生かして、一生懸命開発が進められている。
 君が社会に出るまでには、打ち上げられてしまっているだろうし、順調に進むなら、たぶん還ってきてしまっているかとも思う。

 でも、こういう開発を進めながら、宇宙を科学する志を繋いでいきたいよね。
 僕は小さな力しか持っていないけれど、自分ができることを探している。


 将来についていえば、例えばプロジェクトにはなっていない『ワーキンググループ』という集まりがあって、その中ではイカロスみたいな探査機で木星に挑もうなんてプランもある。
 これまでに無いような望遠鏡衛星の試みも進んでいる。君が大人になったとき、一緒に探査の仕事ができるように、頑張るよ。

 何を勉強すれば宇宙探査に関われるか、以前、校長先生経由の手紙で書いたように、僕自身にも解らない。僕の場合には、運によるところがとても多かったと思う。
 いつも常々思うことだけれど、そもそもやりたいことを能動的に実現することって難しいと思う。
 たまたま偶然手に入れるのではなくて、努力して狙って手にすることって、
 実はどんな場合でもとても大変なことなんだと思っている。

 夢は、妥協ができないからね。

 ただ、僕が大事だと思っていることが一つある。

 一生懸命勉強して努力をしたからといって報われる保証はない。でも、努力をせずに、欲しいと思う物を手にできたり、成し遂げたいと思う気持ちが報われることは、無いと思っている。偶然はあるかもしれない。でも、そんなことを期待してはいけない。


 何をしたら宇宙探査に関われるか?

 学校の勉強は大事だよ。僕たちの世界でいえば、英語も大事だし、数学も大事だし、もちろん理科も大事だし、『はやぶさ』では国際調整をしてくれる人が、とてもとても大事だったりした。

 ウーメラで、現場で一番大事だったのは、実は家庭科と技術科だった。僕は破れたリュックサックを返し縫いで繕って、毎日少しずつ直していた。
 アンテナを短期間で組み立てて連携をとって作業を進めるには、専門知識とは別に、現場のカンとチームワークが大切だったように思う。

 あと、体力も大事だよね。最後までやり遂げるには、体力的にも精神的にもタフでないといけないよね。


 どんな分野から入り込むか、それは自分との相談になるのだろうけれど、何かのプロになることは大事だと思う。

 その上で、本当に、すんごく大事なのは、色々なことが自分の頭で考えられる大人になることだと思う。

 君も、頑張って体と心を鍛えていていてね。

 いつか一緒に仕事をしよう。」

「はい。」


 まっすぐに見つめられていた。
僕は大それた教員ではないけれど、期待を裏切ってはいけない。
強く目に力を込めて、話をした。


 そうだ、僕も元気になってきた!


 さて、今日、
関わってきたプロジェクトを忘れることはできないし、そんな必要もないと思う。
また、過去にこだわりすぎるつもりもない。
ただ、その時に、その場にいたからこそ感じられたことは、これからも伝えていきたい。

 僕が子供の頃、学生のころ、勇気を失いそうになったその時々に、そういう話を聞きたかったから。

 失敗に学ぶことは多く、成功に学べることは、実は少ない。でも、成功は勇気を導く。


 中学生をして、
「自分はいつから、どのプロジェクトからなら合流できるのか。」
そう思ってもらえたら、どんなに幸せだろう。
子供達をして、自分の未来を期待させる技術者集団の一員でありたい。
また、そういう科学技術であって欲しい。



 そうだ。
「そう、ここに願う。」


 僕は、また、あの大マゼラン星雲への旅の話を振り返ってみた。

 遊星爆弾の攻撃で傷ついた地球を救い、緑なす大地を取り戻すため、絶望を希望に変えるために、宇宙戦艦は一縷の望みを繋ぐ旅に出た。


 さあ、前に、進もう!


 頑張ろう!日本。


(曽根理嗣、そね・よしつぐ)

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※