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ISASメールマガジン

ISASメールマガジン 第337号

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ISASメールマガジン   第337号       【 発行日− 11.03.08 】
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★こんにちは、山本です。

先月来、携帯読者の一部の皆様に、【メルマガが届かない】という迷惑をお掛けしていましたが、やっと【メルマガが届く】ようになりました。

『謎はすべて解けた!』(???)
かどうかは 定かではありませんが、【原因】は、334号その2から取り入れた、短縮URLだったようです。

『大山鳴動してネズミ一匹』 でしょうか

今週は、固体惑星科学研究系系の矢野 創(やの・はじめ)さんです。

── INDEX──────────────────────────────
★01:うちゅうじんと四半世紀
☆02:宇宙科学講演と映画の会【新宿明治安田生命ホール】4月9日(土)
☆03:「はやぶさ」カプセル等の展示スケジュール
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★01:うちゅうじんと四半世紀


<終わりと始まりに立ち会う>

私と「うちゅうじん」の出会いは、今年で四半世紀になる。もちろん、「人」ではなくて「チリ」の話なのだが。
「宇宙塵(うちゅうじん)」とは、宇宙空間に存在する1mmよりも小さな固体微粒子のこと。この機会に、これまでの宇宙塵研究の道のりを縦軸に、宇宙研との関わりを横軸に置いて振り返ってみたい。

まずは現在の到達点を確認しよう。2010年。私は一つの深宇宙探査ミッションの終わりと、もう一つの始まりに、宇宙塵研究者として関わった。前者は「はやぶさ」、後者は「イカロス」だ。

「はやぶさ」ではサンプラー開発・運用に携わり、2010年6月には国中均教授の指揮下、ウーメラ砂漠でカプセルを拾って相模原に持ち帰る役目を担わせて頂き、その中に納められたサンプルキャッチャ・コンテナと7年ぶりの再会を果たした。採取されたイトカワ産試料はまさに宇宙塵そのものであり、初期分析成果は今週、ヒューストンで開催されているLPSC(月惑星科学会議)で日本全国の分析科学者のチームによって発表されるところまで来た。

「イカロス」には、「魔法のじゅうたん」のような膜面上に「アラジン」と名付けた、宇宙探査史上最大の検出面積(0.54平方m)を持つ宇宙塵検出器を搭載させて頂いた。2010年5月の打上げの一か月後より、地球近傍から金星近傍までの深宇宙空間の宇宙塵の分布を、かつてない精度で連続的に計測することに成功し、後期運用中の今日も、新たな宇宙塵の衝突をとらえ続けている。アラジンは、日本人が設計し、製作し、国内の衝突実験設備で校正した初めての「純国産」宇宙塵計測器だ。これによってようやく日本でも独自のその場計測データを出して、オリジナルな宇宙塵の科学を世界に発信できる時代になった。


<今も宇宙から降っている>

次に宇宙塵を研究する意義を整理しておこう。

宇宙塵の存在は、17世紀の天文学者カッシーニによる日没後や薄明前の「黄道光」の観測で確認され、19世紀の大英帝国のチャレンジャー6世号の調査航海では、海底の泥から球粒として発見された。20世紀以降は、成層圏や南極の氷やスペースシャトルで回収される低軌道衛星の表面などからも採取されるようになった。現在でも一日100トンほどの宇宙塵が地球に降り注いでいる。

宇宙塵のふるさとは、小惑星や彗星のような太陽系小天体、あるいは太陽系外の別の星と様々だ。日本の雪氷学の始祖、故・中谷宇吉郎教授は「雪は天からの手紙」と言ったが、地球に降る宇宙塵や流れ星の光は、いわば「宇宙からの手紙」なのである。地球大気に突入しても完全に溶けないで地上に到達するサイズもあるため、地球へ生命の原材料を宇宙からもたらす「運び屋」としての役割も注目されている。さらに昨今は、太陽系以外の惑星系の周囲にも観測されるようになり、惑星系の構造と物質を理解したり、地球型惑星を識別するためにも不可欠な研究対象と考えられるようになった。

このように、宇宙科学における宇宙塵の最もユニークな点は、望遠鏡による天文観測と、地球近傍で採取される試料の物質分析と、探査機による衝突物の計測や捕集による宇宙実験の全てから、多角的に研究できることにある。つまり、天文学と物質科学と宇宙探査がそれぞれ調べる「部分」情報を統合してこそ、初めて正しい「全体」像が見えてくる、まるでジグソーパズルのような学際領域なのである。


<宇宙塵と宇宙研に出会う>

そんな宇宙塵と私の出会いは、まだ宇宙研に足を踏み入れる前の、きわめてパーソナルな出来事からだった。1986年3月、18歳の私は沖縄県与那国島にいた。刈ったばかりのサトウキビ畑に立って、南の夜空に貼り付いたはぐれ雲のように、淡く滲んだハレー彗星を眺めていた。その半年前、米国留学から都立高校に復学して逆カルチャーショックを受けていた。正月には父が事故死し、その三週間後にはスペースシャトル・チャレンジャー号打上げの悲劇を深夜のTV生中継で目撃した。自分の将来を考える時期だったが、とても整理できる状況でなかった。頭を冷やしたかった。

そんな東京生まれの私には、南国の小島で一生に一度の天文現象と邂逅することが、最もふさわしい逃避行のように思えた。私のバックパックには、日本の探査機「さきがけ」と「すいせい」がハレー彗星の最接近に成功した、という新聞記事の切り抜きが入っていた。彗星を眺める自分の視野の中には、目には見えなくても日本の探査機がいるんだと気づくと、心の中の霞が少し薄れた気がした。

1991年。英国の大学院への進学を控えた渡英までの期間、文部省宇宙科学研究所(ISAS)赤外線天文研究系奥田研究室の研究生として過ごすことになった。指導教官の芝井広助手(現大阪大教授)からは、当時開発中のフリーフライヤー衛星「SFU」に載せる赤外線望遠鏡用検出器の地上校正チョッパーは米国製の市販品で性能が悪いので、赤外線吸収量を1/10に、チョッパーの周波数の可変範囲を10倍にした装置を作ってほしい、と告げられた。
南極氷床コアを溶かして宇宙塵を探し出し、そのフラックスと物理化学特性を分析するという卒業研究をしていた私にとって、黄道光の直接観測ができる赤外線天文学は魅力的な学問だった。

装置のアイディア出しから図面引き、部品購入、回路組立て、動作試験、最後の検出器試験まで、全て学生を尊重しながらもフランクなディスカッションを通じて軌道修正してくれる指導方法は、その後の私の「宇宙研観」の礎となった。結局、家庭用小型ビデオカメラのモーターを組み込むことで設計要求を満たした装置は、その後10年は働いてくれたようだ。


<工学者とチームを組む>

私と宇宙研の次なる邂逅は、1995年。スペースシャトルで回収した三機の人工衛星の表面に残った超高速衝突痕から天然の宇宙塵と人工の宇宙ゴミ(スペースデブリ)を峻別し、それぞれの起源を探って、地球近傍の宇宙固体微粒子環境のモデルを作るという研究で、私は英国で宇宙科学の博士号を取得した。そのとき確立した調査・分析方法をSFU衛星の飛行後検査に応用する研究計画書を書いて日本学術振興会のポスドク[*1]に応募し、宇宙研に戻ってきた。月周回工学試験機「ひてん」にドイツ製の宇宙塵検出器を搭載した惑星研究系の水谷仁教授(現ニュートン編集長)が受入指導者になって下さった。

[*1]
ポスドク= 博士号取得後に期限付きの職務に就いている研究者のこと。


SFU飛行後検査が成功すれば、宇宙塵だけでなく、日本初のスペースデブリの実測データも取得できる。しかしそこまでスコープを広げるには、私の科研費[*2]だけでは資金が足りなかった。そのことを正直に相談すると、SFUプロマネの栗木恭一教授(元宇宙開発委員)はすぐに、国内のデブリ研究の第一人者である航空宇宙技術研究所の木部勢至朗先生を紹介してくれた。
木部先生は私が立てた検査計画を即決で査定してどんどん設備を整備し、私の出身大学院から英国人研究者を二人も招聘して、短期間で万全な分析体制を築いてくれた。

[*2]
科研費= 文部科学省と日本学術振興会が公募し、国内の個人またはグループの研究者に、競争的審査を経て配算される研究資金のこと。正式には「科学研究費補助金」。


1996年2月に、若田光一飛行士によるSFU衛星のシャトル捕獲が行われた。宇宙研本館で生中継を見守っていた私は、うまく閉じない太陽電池パドルを二枚とも投棄するシーンを見て、愕然とした。宇宙塵のその場計測にとって、大面積で平坦で遮蔽もない、均質材料でできた太陽電池パドルは最高の「標本」だったからだ。困惑したまま衛星の飛行後検査のためにケネディ宇宙センターに飛んだ私は、同行した国中均助手(現教授)と二人で食事をした際、その無念さをぶつけた。

国中先生は中継では見えなかった運用室内で議論された様々な制約条件を丁寧に説明して、
「SFUは日本初の地球回収型衛星だ。たとえひとかけらになっても必ず地球に帰す、と決意してパドル放出を決めたんだ」
と語ってくれた。このとき、私は宇宙活動において理工学は一蓮托生であることと、宇宙研の工学研究者は命を預けられるほど信頼できるチームメイトであることを学んだ。14年後、国中先生と「はやぶさ」のカプセル回収作業をウーメラ砂漠でご一緒していたとき、しばしば当時の思いが蘇った。


<二種類の人材を教えられる>

1999年春。学振の任期が終わった1998年から二度目のポスドクとしてNASAジョンソン宇宙センターに勤務していた私は、三年計画で従事していた「スターダスト」彗星塵採取ミッションの職を辞して帰国し、宇宙研惑星研究系の助手となった。宇宙研とは三度目の縁だ。上司となった藤原顕教授は日本の衝突実験と小惑星研究の第一人者だ。その先生から、MUSES-Cのサンプル採取装置の開発から採取試料の初期分析・世界中の研究者への試料分配まで、最後まで面倒をみてほしいと指示を受けた。

ところが、である。着任当日所長室でお会いした西田篤弘所長(現日本学術振興会理事)に私が開口一番申し上げたのは、
「お久しぶりです。その節は本当に申し訳ありませんでした」
という謝罪だった。「その節」とは、1998-2002年に私が日本代表を務めた「NASAしし座流星群国際航空機観測ミッション(Leonid MAC)」で、ハイビジョンによる世界初の流星群観測を行った際、某メディアの記者が起こした、西田所長を怒らせたトラブルの件である。

西田先生は少し間をおき、私に紅茶を薦めて静かな口調で、次のようにおっしゃられた。
「世界のトップを目指すプロジェクトを担う宇宙研には、二種類の人材が必要なんだ。一つは、期日までに上司に言われたことを確実に実現するタイプ。もうひとつは、新しい挑戦を行って学問の世界を切り拓いていくタイプ。君は新しいアイディアに思い切り挑んでみればいい。それに流星群の論文は読ませてもらったが、大変面白かった。」
着任初日に頂いたその言葉に、私は今でも日々励まされている。


<糸川学校の未来を見つめる>

2011年。あれから12年が過ぎた。この間、「はやぶさ」の開発・運用・科学研究を主軸にしながらも、宇宙塵分析・超高速衝突実験・微小重力実験・彗星や黄道光観測・宇宙塵計測器と捕集器の開発など、「宇宙と私たちを直接つなぐ証し」である宇宙塵を切り口とした研究を続けてきた。その結果、「はやぶさ後継」、「ソーラー電力セイル」、「たんぽぽ」きぼう曝露部実験など、宇宙塵や太陽系小天体を鍵として太陽系探査にさらなる飛躍をもたらすような将来構想の企画立案やプロジェクトマネジメントにも、従事させていただくようになった。

来月で、ガガーリンが宇宙に出てから半世紀が経つ。それに比べれば、私が宇宙科学者として生きてきた時間は半分にも満たない。それでもその間に邂逅してきた宇宙研の諸先輩方から学び取ったことは、「糸川学校」あるいは「宇宙研的なもの」とは、半世紀前のベンチャー集団を起源に持ち、大胆な未来設計図を描きながら、自由闊達で人物本位な風土の中で未踏峰や世界最高峰に挑戦することこそが真骨頂だった、ということだ。それをさらに次の半世紀に継承するための要諦も、その歴史自体が示していると思う。
糸川学校そのものは、大学研究室、東大付置研、文部省直轄共同利用機関、JAXA本部、さらに輸送本部・研究開発本部・月惑星探査プログラムグル−プ等への融合と、時代の変化に応じて組織の姿を柔軟に変えながらも、したたかに本流を太らせてきた。そして、過去の成功に安住しない開明的なトップダウンの決断によって、あえてリスクに挑んで新しい能力や後継者を獲得し、未来設計図を一つ一つ粘り強く実現させてきた。

一粒ずつの宇宙塵は肉眼では見づらいが、このメルマガを読んでいる皆さんの肩にも降っている。「宇宙研的なもの」も過去半世紀の間、日本の宇宙活動にかかわってきた全ての人の心の中に、静かに積み重なってきたはずだ。
「宇宙塵」と「宇宙研」。それぞれには、それぞれの因果がある。その結果として、「はやぶさ」はイトカワ起源の宇宙塵を地球に持ち帰り、私は今ここにいる。これからも二つの接点の中で、自分の役割を果たしていきたいと思う。

(矢野創・やの はじめ)


ハレー彗星探査試験機「さきがけ」MS-T5
http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/sakigake.shtml

ハレー彗星探査機「すいせい」PLANET-A
"http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/suisei.shtml

工学実験衛星「ひてん」MUSES-A
http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/hiten.shtml

宇宙実験・観測フリーフライヤSFU
http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/sfu.shtml

小惑星探査機「はやぶさ」MUSES-C
http://www.isas.jaxa.jp/j/enterp/missions/hayabusa/index.shtml

小型ソーラー電力セイル実証機「IKAROS(イカロス)」
http://www.jspec.jaxa.jp/ikaros_channel/index.html

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※※※ ☆02以降の項目は省略します(発行当時のトピックス等のため) ※※※