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ISASコラム

第7回:初のライフサイエンス実験宇宙放射線が生物にどのような影響を与えるのか

(ISASニュース 2009年2月 No.335掲載)

 国際宇宙ステーション(ISS)の日本実験棟「きぼう」でのライフサイエンス実験がいよいよ始まります。その第一弾として放射線生物研究プロジェクトの2テーマの実験が、2月3日から10日にかけて実施されます。奈良県立医科大学の大西武雄教授が代表研究者を務める「哺乳動物培養細胞における宇宙環境曝露後のp53調節遺伝子群の遺伝子発現」(略称Rad Gene)と、理化学研究所の谷田貝文夫特別嘱託が代表研究者を務める「ヒト培養細胞におけるTK変異体のLOHパターン変化の検出」(略称LOH)です。いずれも宇宙放射線の生物影響を調べる実験で、「きぼう」に設置されている細胞培養実験装置(CBEF)を使って同時実施されます。その実験サンプルは2008年11月14日にスペースシャトル・エンデバーでISSに打ち上げられ、現在は「きぼう」の冷凍庫(MELFI)で凍結保存され、実験の日を待っています。今回はこれらのテーマの概要について簡単に紹介します。
 Rad Geneは、細胞の遺伝的安定性をつかさどるがん抑制遺伝子の一つであるp53とその調節遺伝子群にスポットを当てた研究です。放射線に被曝すると、細胞はp53の機能を発揮し始め、突然変異や染色体異常、がん化を抑制することが知られています。これまでの大西教授の宇宙実験で、宇宙飛行したラットの皮膚や筋肉では、地上対照群よりも多くのp53タンパク質が蓄積されていたという結果が得られています。今回の実験で、p53が宇宙環境でも正常に機能することが分かれば、ヒトが宇宙に長期滞在して宇宙放射線に被曝しても遺伝的影響を受ける可能性が小さいことになりますし、逆にp53機能のうちうまく働かないものが特定できれば、長期宇宙滞在のためにどのような対策をすればよいかが分かることになります。この研究により、月面や火星探査など長期間の有人宇宙活動における放射線対策の第一歩が踏み出せると、私たちは考えています。
フライト実験サンプル調整風景 Rad Gene/LOH用細胞培養バッグ
 LOHは、宇宙放射線による遺伝的影響を高感度に検出する実験です。このテーマでは、LOH(Loss of Heterozygosity:ヘテロ接合性の喪失)という現象を利用して、遺伝子の変異を高感度で検出する系を使います。生物は一般に、両親から1セットずつの染色体を受け継ぐため、細胞内に2セットの染色体を持っています。すなわち、同じ染色体が2本あることになりますが、ある一つの対立遺伝子に着目した場合、一方の染色体には正常型の遺伝子が、もう一方には変異型の遺伝子が存在するというように、2本の染色体で遺伝子の型が違うことがあります。この状態をヘテロといいます。ここで、例えば放射線の影響で正常型の遺伝子が変異してしまうと、両方とも変異型になります。これをLOHといいます。今回の実験ではTK(チミジンキナーゼ)遺伝子をヘテロに持った培養細胞を実験材料とし、TK遺伝子にLOHが起こった細胞のみ増殖する培養系を用いることで、宇宙放射線により遺伝的変化が起こる頻度を正確に求めようとしています。今回得られたデータは、長期宇宙滞在における遺伝的影響を評価するための重要な基礎データになると期待されています。
 ところで、宇宙におけるライフサイエンス実験は地上の実験とは違い、さまざまな工夫が必要になります。例えば「宇宙環境の影響」を調べるといったとき、そのまま宇宙で培養実験を行うと、地上と違った現象が起こってもそれが宇宙放射線と微小重力のどちらの影響なのか分かりません。そこで、CBEFに遠心機を搭載して地上の1Gと同じ重力環境をつくり、微小重力環境と1G環境の両方で細胞培養を行い、結果を比較することで、地上と違った現象が宇宙放射線と微小重力のどちらの影響なのかを特定できるようにしています。
 また、ISSへの輸送機会が限られているため、サンプルはおよそ3ヶ月間宇宙にとどまります。このような長期間、培養細胞を維持するのは非常に困難です。そこで、培養細胞を凍結状態で打ち上げ、実験直前に解凍し、培養が終わったら培養液に凍害保護剤を混合して凍結させ、地上に回収することにしました。ただし、微小重力環境で2つの液体を混合するのは困難が伴います。そのために宇宙実験用の特殊な培養バッグを開発しました。培養バッグを2つのパーテーションに分け、一方には細胞と培養液、もう一方には凍害保護剤を入れて培養します。培養後、片方のパーテーションに圧力を加えると仕切りが破れ、2液が混合される仕組みになっています。このようなたくさんの工夫が集積され、多くの人の努力により実験サンプルや実験道具が「きぼう」にすべてそろい、実験に供されるのを待っています。
 どうぞ、この2テーマの成果にご期待ください。