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ISASコラム

宇宙・夢・人

第二の人生にワクワクしています

(ISASニュース 2012年9月 No.378掲載)
 
宇宙物理学研究系 教授 村上 浩
むらかみ・ひろし。1952年、愛知県生まれ。理学博士。名古屋大学理学部卒業。同大学院理学研究科物理学専攻博士課程中退。名古屋大学理学部助手を経て、1988年より宇宙科学研究所助教授。1997年より教授。「あかり」プロジェクトマネージャーを務める。
Q: 1988年から24年間にわたって宇宙研で赤外線天文学に取り組まれてきましたが、9月で退職されます。
奥田治之先生が宇宙実験・観測フリーフライヤ(SFU)という人工衛星に日本初の赤外線望遠鏡を搭載する計画を始め、それを手伝うために名古屋大学から宇宙研に来ました。SFUは1995年に打ち上げられました。赤外線天文衛星「あかり」のプロジェクトには最初から参加し、松本敏雄先生の退官後にプロジェクトマネージャー(プロマネ)を引き継ぎました。
Q: プロマネとして苦労も多かったのではないですか。
苦労はなかったかな。私は人を引っ張っていくのが得意ではありません。そんな私を見かねて、みんなが動いてくれました。「あかり」は、打上げ直後に、太陽センサーが太陽を捉えられないなど、いくつか問題が発生しました。そのときも私は、「何とかなりますよ」と楽観的に構えていたのです。そうしたら、危機感を持った皆さんが動いてくれて、無事観測を始めることができました。ぐいぐい引っ張っていくタイプのプロマネに憧れます。
Q: 「あかり」は赤外線の全天マップを完成させるなど数多くの成果を挙げました。特に印象に残っている成果は?
予想外という意味では超新星爆発の観測です。赤外線は温度が低いところを観測するのが得意なので、高温の超新星爆発には向いていないと不勉強にも思い込んでいました。ところが、惑星などの材料になるちりが誕生する現場を捉えることに成功したのです。
Q: 「あかり」は2011年11月に運用を停止しました。そのときの心境は?
私にとっては、特別に大きな出来事ではありません。これまでに行ってきたロケット実験や気球実験、SFUもすべて同じです。自分たちがつくった観測装置が動いて、きちんとデータが取れたときはうれしい。その積み重ねです。
Q: そもそも、なぜ赤外線天文学を?
ずっとさかのぼると、糸川英夫先生がペンシルロケットの実験を始めたのは私が3歳のころで、当時、子ども向けのマンガ雑誌にも紹介されていました。小学生のときには、「将来は糸川先生のようなロケットの仕事がしたい」と書いた記憶があります。また、小学5年生のときに名古屋市科学館ができて、友達に誘われて毎月プラネタリウムに通っていました。一方、医者だった父の顕微鏡を借りていろいろなものを観察するのも好きで、名古屋大学に入ったときは、分子生物学か天文学か、まだ決めかねていました。最後は、宇宙が好き、宇宙を知りたいという気持ちが勝ち、天文学の道へ進みました。
赤外線天文学は、私が大学院へ進む数年前に、名古屋大学の早川幸男先生が奥田先生、松本先生と始めたばかりでした。松本先生には「早川先生が生んではみたものの育つのかどうか分からないと言っている」と言われましたが、新しい波長の電磁波を使うと新しいものが見える、それが魅力でした。装置はすべて手づくりで、はんだ付けをしたり旋盤を回したりしていました。自分で工夫をしてものをつくり上げていくことが、とても楽しかったです。
Q: ものづくりは好きなのですか。
好きです。趣味が高じてログハウスも建てました。設計して、材料を調達して、組み立てる。衛星と同じです。「宇宙研で衛星をつくっていて、休みの日にまで物をつくるか」とあきれられたこともありますが、楽しいのです。
Q: 日本の赤外線天文学は大きく育ちました。
宇宙研では次の赤外線天文衛星SPICAを検討中ですが、ヨーロッパが一緒にやりたいと言ってきています。30年前には考えられなかったことです。昔は、宇宙が好き、知りたいという人が集まってガヤガヤと衛星プロジェクトを動かしていましたが、SPICAほどの規模になると組織的に仕事をしなければ動きません。しかし、仕事だからではなく、やりたいから、楽しいから、という部分を忘れないでほしい。それがなければ新しいことは生まれません。
Q: 研究者に必要なことは何ですか。
物事にこだわること、かな。
Q: 退職後は?
太陽系外惑星の観測などまだやりたいことも残ってはいますが、大学や研究機関に所属して研究を続ける予定はありません。ずいぶん長く赤外線天文学をやってきました。そろそろ第二の人生として別のことをやってもいいかな、と考えたのです。今は20歳の若者に戻ったように、これから何をしようかとワクワクしています。