宇宙航空研究開発機構 サイトマップ

TOP > レポート&コラム > ISASコラム > 宇宙・夢・人 > 第92回:「はやぶさ」が教えてくれた新しい世界

ISASコラム

宇宙・夢・人

「はやぶさ」が教えてくれた新しい世界

(ISASニュース 2012年6月 No.375掲載)
 
宇宙飛翔工学研究系 教授/月・惑星探査プログラムグループ プログラムディレクター 國中 均
くになか・ひとし。1960年、愛知県生まれ。工学博士。1988年、東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。同年、宇宙科学研究所助手。2005年、教授。2011年より現職。
Q: 國中教授は、小惑星探査機「はやぶさ」のイオンエンジンの開発や運用で有名ですが、子どものころから宇宙に興味があったのですか。
天文ファンで、ものをつくったり分解したりすることも好きでした。天体撮影が趣味となり、カメラを改造して望遠鏡に取り付けて撮影し、現像も自分で行いました。でも、天体撮影は高校のときにやめました。お金持ちの友達がいて、高い機材を使って撮影していました。きれいな天体写真を撮る勝負では、絶対に勝てないんです。それで、所属していた天文部で流星の2点観測を始めることにしました。30kmほど離れた地点で同じ流星を観測すると、それが太陽のまわりをどんな軌道で回っていたのかが分かります。観測に適した場所を探したり、泊まる宿の人と交渉したり。私は2010年に、流星となって帰還した「はやぶさ」のカプセルを回収しにオーストラリアへ行きましたが、昔から同じようなことをやっているなと(笑)。
Q: 大学は、京都大学の工学部に進学されました。
地上で星を見ているよりも宇宙に出掛けていく探査機が面白いと思うようになり、航空工学科に進んだのですが、基礎的な勉強ばかり。学部4年生のとき、京大の先輩を頼って東京大学の駒場キャンパスにあった宇宙研を見学しました。
Q: 宇宙研の印象は?
ここはすごい! まさに宇宙への扉が開かれている現場だ、と感じました。私は東大の大学院に進み、宇宙研で電気推進の研究をしていた栗木恭一先生の研究室に入りました。貧乏な研究室だったので(笑)、自分で設計図を引いて、毎日油まみれになりながら金属加工を行い、いろいろな装置を工夫してつくりました。私にはそれが楽しくて仕方ありませんでした。
将来の惑星探査に役立つような電気推進エンジンをつくろう、というのが栗木先生の方針でした。私は宇宙研に就職した1988年ごろから、独自の電気推進方式を発案し、開発を進めました。それがマイクロ波放電式イオンエンジンです。何とか目標とする性能に達し、念願かなって宇宙研の探査機に搭載することができました。しかも、その探査機「はやぶさ」が、小惑星イトカワからサンプルを持ち帰ってきてくれた。これほど幸せなことはありません。
Q: 現在、サンプルの分析が進められています。
小さな砂粒からそんなことまで分かるのか、と驚くばかりです。世界中の科学者たちが分析に手を挙げ、新しい世界を大きく広げてくれています。うれしい限りです。小惑星に行っても何も新しいことは分からないよ、という人もいたようですが、「はやぶさ」が撮影したイトカワの写真やサンプルにより面白いことが次々と分かり、欧米も小惑星探査に乗り出しました。「はやぶさ」が小惑星探査の幕を開いたのです。誰も行ったことのない場所へ行き、誰も見たことのないものを見ることで、予想もしなかった新しい世界が拓く。そのことを私は「はやぶさ」から教わりました。
Q: これからの夢は。
研究室では、学生たちと一緒に新しいエンジンの開発を進めています。将来は、木星の衛星エウロパに探査機を送り込んでみたいですね。エウロパの表面を覆う厚い氷の下には海が広がっていて、生命が存在するかもしれない、といわれています。厚い氷を突き破り、海中を潜航して生命を探す探査機。考えただけでもわくわくします。
もう一つの夢は、有人惑星探査です。火星などへの有人探査が、いずれ国際協力で始まるでしょう。そのとき技術や人材、経験の蓄積がなければ、日本は参画できません。日本は国際宇宙ステーションで、世界から信頼を得るだけの実績を挙げてきました。その力を着実に発展させていけば、有人惑星探査でも日本は中核的な役割を果たすことができるでしょう。
研究者は、研究すること自体が楽しくて、新しい知識を蓄積するだけで満足してしまうことがあります。しかし、少なくとも宇宙工学者は、誰も行ったことのない場所へ行き、誰も見たことのないものを見るためのものづくりを行うことで、新しい世界が大きく広がるように努力すべきだと思います。