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ISASコラム

宇宙・夢・人

種子島に恩返しがしたい

(ISASニュース 2012年3月 No.372掲載)
 
宇宙教育センター 主査 小野瀬 正道
おのせ・まさみち。1977年、東京都生まれ。大東文化大学法学部政治学科卒業。2000年、宇宙開発事業団(NASDA)入社。種子島宇宙センター会計課、筑波宇宙センター契約2課、同センター研究開発本部プロジェクト研究協力室を経て、2011年10月より現職。
Q: 昨年10月から宇宙教育センターで仕事をされているそうですね。
小学〜高校生を対象に、学校の先生と協力して、宇宙を取り入れた授業の支援を行っています。理科の授業の一環として行うことが多いのですが、ほかの教科の宇宙授業支援も行っています。先日は家庭科の授業として、宇宙農業の研究者が、カイコのサナギを混ぜた「火星クッキーづくり」を指導しました。火星環境で自給自足するためにカイコを育て、サナギは貴重な動物性タンパク質として食料に、繭は絹糸を紡いで洋服にするというアイデアです。宇宙飛行士の訓練を取り入れて心身を鍛える「ミッションX」という保健・体育に関係するプログラムも進めています。理科が苦手な子どもたちにも、宇宙を身近に感じてほしいですね。
Q: 宇宙授業の評判はいかがですか。
子どもたちはみんな目を輝かせながら授業に参加してくれます。先日、学校の先生から「普段は落ち着きのない子どもたちが、宇宙授業には集中していた」と感謝され、宇宙の魅力はすごい、とあらためて実感しました。子どもたちからは、予想外の質問が飛び出してきます。しっかり答えられるように、勉強し直しているところです。
Q: ご自身も、子どものころから宇宙に興味があったのですか。
特に宇宙が好きだったわけではありません。父の影響でラグビーに熱中していました。小学校のときからクラブチームに入り、高校まで続けました。しかし足を痛めてしまい、憧れだった大東文化大学のラグビー部には、マネジャーとして入りました。
Q: どのような仕事ですか。
100名以上の選手たちと寮生活を共にし、選手の生活管理から食事の献立づくり、会計、試合日程の調整やマスコミ対応まで、チームに関わるあらゆる仕事を担当しました。トンガ出身の留学生もいて、とても自由な雰囲気のチームでした。みんなやんちゃで、ここでは話せないことも……(笑)。
Q: チームをまとめるコツは?
先輩や後輩に対しても、丁寧に話をよく聞くことを心掛けました。就職のとき、NASDAに採用されたのは、個性の強い選手たちの面倒を見た経験が評価されたのかもしれません。
Q: 最初の赴任地はどこでしたか。
ロケットの打上げを行う種子島宇宙センターです。普段は契約の仕事で、地元の業者の人たちとやりとりをしました。打上げのときには、職員が総出で対応します。船を出して警備に当たっていたとき、海の上から見た打上げがとても印象に残っています。
今も続けているサーフィンやダイビングを覚え、海が大好きになったのも、種子島にいたときです。宇宙センターの目の前が海で、そこはサーフィンの絶好のポイントなんです。大失敗もありました。あるとき、先輩たちと3人で朝からヨットで海に出たら、風がなくなって、半日間、漂流してしまいました。午後から仕事だった先輩もいて、戻ってこない、と陸では警察も動く大騒ぎに。やがて漁船に発見され、陸まで曳航され、そのまま宇宙センターに連れていかれました。普段、とても温厚な上司も激怒して、水着姿のまま3人並んで叱られました。そのときの上司の一人が、宇宙教育センターの現在のセンター長です。
Q: 今後、どのようなことを目指していきますか。
宇宙授業では、宇宙の話が中心ですが、海や種子島のこと、ラグビーでの経験、旅行で訪れた外国の様子など、私がこれまで経験してきたことも子どもたちに話していきたいと思います。好奇心の対象は宇宙に限る必要はありません。宇宙をきっかけに、子どもたちに、いろいろなことに興味を持ってほしいのです。
そしていずれは種子島に戻って働きたいと思っています。JAXAは敷居が高く、とっつきにくい、と思っている地元の方もいます。もっと島の人たちとJAXAとの交流が進むような活動をしてみたいと考えています。島の人たちは、今も家族のように接してくれます。そして大好きな海を教えてくれた種子島に、私はとても感謝しています。その第二の故郷に恩返しがしたいのです。