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ISASコラム

宇宙・夢・人

わが町のロケット打上げ場

(ISASニュース 2007年5月 No.314掲載)
 
宇宙基幹システム本部 内之浦宇宙空間観測所総務係 井手郁夫
いで・いくお。
1952年、鹿児島県生まれ。
1975年、久留米大学商学部卒業。1976年、宇宙科学研究所鹿児島宇宙空間観測所(現・内之浦宇宙空間観測所)総務係。2003年より、現職。
Q: ロケットの発射場がある内之浦の地元のご出身ですね。
母校の中学は、発射場から3kmと離れていない場所にあります。私がちょうど中学生のとき、日本初の人工衛星「おおすみ」の打上げがありました。それを校庭で見た記憶があります。大型ロケットの打上げがあるときには授業が中断され、全校生徒が校庭に出て見学しました。

その後、福岡県にある大学を卒業して企業に勤めたのですが、親父が「帰ってこい」とうるさいものですから、地元に戻り家の農作業や役場のアルバイトをしていました。そして1年もたたないうちに、観測所で臨時職員の募集があり、運良く採用されました。1976年9月のことです。以来、ほとんどの期間を内之浦の観測所での総務の仕事に携わってきました。見学者の案内係もしています。
Q: どのような見学者が多いのですか。
今は少なくなりましたが、かつては多くの中学・高校の修学旅行コースになっていました。地元のリピーターも多いですね。見学者の質問に答えられるように、研究者や技官の人にいろいろと質問をして知識を増やすようにしているのですが、時々ロケットにすごく詳しい小学生がやってくることがあります。専門的過ぎて、質問の意味が分からないんです(笑)。
Q: ロケット打上げのときには、どのくらいの見学者が内之浦を訪れるのですか。
大型ロケットの打上げのときには、2000名くらいですね。2006年9月、M-Vロケットでの最後の打上げとなった太陽観測衛星「ひので」のときには、1万5000名もの人が来て、駐車場に入り切れず国道の片側に縦列駐車していました。観測所の近くに打上げの様子がよく見える小高い丘があるのですが、そこも満杯で、見学できる場所がなくて帰った人も結構いたそうです。

2006年2月、赤外線天文衛星「あかり」の打上げのときには、不思議なことがありました。朝6時半ごろの打上げだったのですが、数百kmも離れた長崎や下関から、「ロケットが飛んでいくのが見えたが、打上げは成功だったのか」という問い合わせが20件くらいありました。そんなことは初めてです。前日に雨が降って当日はきれいに晴れたので、蜃気楼のような現象が起きたのでしょう。
Q: 打上げの当日は、どのようなお仕事を?
進行を確認しながら、関係者の車や宿の手配をしたり、保安の関係で全国約120ヶ所に打上げの通知を行ったりします。数が多いので、その連絡がとても大変なんです。保安のために、M-Vのような大型ロケットの打上げでは、陸上は発射場から半径2.1km、空は半径約8kmの円柱の領域、海上は2.1km四方を封鎖します。海上封鎖では、海上保安庁や鹿児島県、地元の漁協の皆さんにご協力いただき、封鎖ラインを船でブロックします。
Q: ロケット打上げでは特に地元の方々の理解と協力が必要ですね。
そうですね。皆さんロケットに関心を持ってくれています。打上げのときには、町中がその話題で持ち切りになるんです。そして私の顔を見ると、男女年齢を問わず、打上げのことを必ず聞いてくれます。うれしいことですよね。地元の人たちは、観測所がもたらす経済効果にも期待しているのでしょうが、それだけではなく、ロケットや観測所に愛着を持ってくれているのです。
Q: ロケット打上げの何が人を引き付けるのでしょう。
私は音だと思います。まずカウントダウン。見学者の皆さんが声を合わせて、一緒にカウントダウンを始めます。そしてロケットが打ち上がるときの、あの轟音。すごい衝撃です。あの一連の音で、自分たちの夢を乗せてロケットが飛んでいくような気持ちになるのでしょう。
Q: 今後に期待することは?
とにかく内之浦から打ち上げた衛星によって研究者の先生方によい研究をしてもらうこと。これからも内之浦からどんどん打ち上げて、新しいことをやってほしいですね。職員としてだけでなく、地元の人間としても、そう願っています。