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ISASコラム

第14回
日本初のX線天文衛星「はくちょう」その1

(ISASニュース 2003年11月 No.272掲載)

はくちょう

日本初のX線天文衛星CORSAを搭載して1976年2月4日に打ち上げられたM-3Cロケット3号機は、姿勢基準装置の誤動作のため、衛星を軌道に乗せることができませんでした。これは、打上げ直前のコネクタ引き抜きの際の電磁的パルスによって、第2段と第3段を姿勢制御するためのピッチ角の基準値が入れ替わったためです。TVC制御による軌道が低すぎ、衛星の実現が不能となったので、地上から指令電波を送って上段の点火を停止したのでした。

驚異の復活

しかしながら、失敗直後からあがった「もう一度」という声とともに、また各方面からの励ましと協力により衛星計画は驚異的な早さで復活し、1979年2月21日、M-3Cロケット4号機によって、その間のX線天文学の進歩に合わせて観測内容や衛星の設計に一部変更を加えられたCORSA-bとして軌道に送られました。

この成功には、一言では表現できない関係者の苦労がありました。小田稔先生の報告には
「各大学の研究者たち、大学院を含めますと30人を超える“はくちょうチーム”は、メーカーの技術者の集団にも支えられて、夜と昼もなく内之浦で、駒場で働いた」
とあります。関係者全員の執念を背負って、野村民也先生の表現によれば「自分から軌道に飛び込んで」いきました。出来上がった軌道は、近地点高度545km、遠地点高度576km、軌道傾斜角29.9度でした。小田先生の強い要望があって、白鳥座のX線星にちなみ「はくちょう」と命名されました。

打上げ成功直後、笑みがこぼれるチーフ会議

曽野綾子さんのこと

隠れたエピソードを紹介しましょう。この打上げには、小田先生の友人である作家の曽野綾子さんが、特別に準実験班員として参加されていました。実験期間中毎日、鹿児島の鹿屋(かのや)から実験場に来られて、われわれ衛星班と行動を共にされ、打上げ前の準備作業を熱心にご覧になっていました。打上げに成功したとき、近くにおられた曽野綾子さんに
「“はくちょう”という名前になりましたよ」
と伝えたら、
「え、それは何時ごろ、どこで決まったのですか?」
と目を輝かせて、すっかり“作家曽野綾子”の顔になって喜んでいらっしゃいました。

3年前のCORSAの折は、失意の実験班に声もかけられず、そっと実験場を後にされたと聞いております。その後、衛星打上げの際には、実験班のために“おしるこ”を差し入れてくださったり、打上げの成功を祈ってくださいました。差し入れの話を聞かれたご主人の三浦朱門さんが、
「東大のロケットは“おしるこ”を燃料にしているのですか?」
とジョークを飛ばされたのは有名な話です。

打上げ成功後の美酒。小田先生(左)と曽野綾子さん

打上げ直前のデータレコーダの異常現象

2月18日(当初の打上げ予定日)の電波テストの第1回目の動作チェックにおいて、衛星搭載のデータレコーダに再生コマンドを指令したとき、正規のデータが再生されず、クロック信号だけ再生されるという異常が発生しました。

モードチェック後、再び再生コマンドを与えたところ、今度は正常にデータが再生され異常は回復しました。メーカーであるOdetics社とも連絡をとりながら緊急の検討とチェックを繰り返し行った結果、問題ないとの結論に達し、打上げに臨みました。天気などの理由で打上げが延期されたため、入念なチェックができたのも幸いでした。

このとき、小田先生は
「データレコーダがなくても世界のアンテナを駆使してデータを取得する」
とびっくりするようなことを言われました。打上げにかける意気込みを、ひしひしと感じたことが思い出されます。

(井上 浩三郎)