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ISASコラム

第12回
第6号科学衛星「じきけん」その1

(ISASニュース 2003年9月 No.270掲載)

総重量約92kgのこの衛星は1978年(昭和53)9月16日14時00分、M-3Hロケット3号機によって打ち上げられ、近地点高度227km、遠地点高度30,051km、軌道傾斜角31.1度、周期8時間44分の長楕円軌道に投入されました。先の「きょっこう」とともに国際磁気圏観測計画に参加し、プラズマ圏より磁気圏深部に至る領域の研究を行うことを目的としました。

観測では多くの成果を挙げましたが、地上300kmの電離層上部から6万km以上にわたる広大な地球磁気圏空間での観測運用では、電離層擾乱による通信障害、帯電現象によるLogic回路の反転など、いろいろな出来事に遭遇しました。長楕円軌道のため可視時間が長く、観測データはほとんど実時間で送られてくるためデータレコーダは搭載せず、可視領域外でのPCMデータは10Kbitのメモリへ記録し、可視の時に再生するようにしました。

「じきけん」には、初めてデータ管制装置(DPU)を搭載しました。これによって、衛星の位置、軌道、観測目的等に応じて自動的にデータ伝送のパラメータを最適状態に制御し、観測者が地上からの指令によってDPU内にメモリした任意のプログラムに従って各観測機器のパラメータ設定を逐次制御し、データの集積、蓄積、編集を行いました。

このDPUの最大の特徴は、オーガナイズドコマンドと呼ばれる複合コマンドを任意のシーケンスに配列し、このコントロールコマンドをもって衛星の自動管制を行うことで、1周8時間あるいは数日間にわたり衛星にコマンドで指令することなく自動的に衛星管制され、データの取得が行われました。特に遠距離で回線が厳しい所では大変有効でした。

忘れられない難航した60mアンテナ伸展作業

この伸展作業は「じきけん」のオペレーションの中でも最も重要なものでした。片方60mのアンテナ伸展は、我が国では全く未経験の作業で、専門家の協力を得て60mアンテナ伸展チームをつくり、手順を決めて9月23日から作業にかかりましたが、アンテナ伸展用のモータ駆動により発生した雑音によって、コマンド受信機が干渉を受け、コマンドが効かなくなり、一時コマンド回線が不通になりました。このためアンテナ伸展を止められない危険な状態にも遭遇しました。

さらに伸展中、伸展駆動機構の負荷が次第に拡大し、制御回路の温度が上昇するという不具合も発生しました。そして伸展作業末期には、モータの反動により全頂角15度程度の首振りが誘起されました。そこで伸展作業は一時中断し、現地で先生方の度重なる検討の結果、大部分の観測はこの状態で支障がないことが分かったため、全伸展をあきらめ、2対のアンテナがそれぞれ等しい長さにそろったところで打ち切りました。

これらの不具合の原因は、モータがブラシ付であったことと、伸展機構については真空中における歯車機構の摩擦増加と推定されました。これらの経験は今後の衛星設計に生かされました。この伸展作業中、衛星テレメータセンターのボロボロのソファーに座っておられた衛星主任の大林辰藏先生が「井上君、僕は薄氷を踏む思いだよ」と、その時の心境を語っておられたことが、鮮やかに思い出されます。

観測結果

「じきけん」は打ち上げ後、約1ヵ月で全機器が動作状態になってから、本格的な科学観測に入りました。そしてオーロラキロメートル電波の機構、プラズマポーズの形成機構に関するデータなど歴史に残る成果を挙げながら、1981年、そのミッションライフを閉じました。

(井上 浩三郎)