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ISASコラム

第1回:飛び出せイプシロン 森田 泰弘 宇宙航行システム研究系 教授 イプシロンロケット プロジェクトマネージャー

(ISASニュース 2012年1月 No.370掲載)

 我が国における宇宙開発は、糸川英夫博士らの手によるペンシルロケットの水平発射実験に始まったとされますが、それに先立って示された博士のロケット輸送機の研究提案にこそ原点があるといえます。このころすでに英国ではジェット旅客機「コメット」が就航しており、「いまさらジェット輸送機の研究をしても追い付き追い越すまでにはなかなかなるまい。それなら後塵を拝するよりも、いっそのこと欧米に一歩先んじた研究に取り掛かろう」という見事な発想の転換です。これこそが糸川精神であり、常に世界一を目指す我々のエネルギーの源流をなすものです。

 日本の固体ロケット開発は以来、一貫して国産技術として着実な発展を積み重ね、ラムダロケットによる我が国初の人工衛星「おおすみ」の打上げを皮切りに、M-3S-II型ロケットによる我が国初の太陽系探査ミッションである「さきがけ」と「すいせい」、さらに「ひてん」の実現、そしてM-Vロケットによる世界初の小惑星サンプルリターンを果たした「はやぶさ」の惑星軌道への投入に至るまで、輝かしい成果をもたらしてきました。

 イプシロンロケットはこのような固体ロケットシリーズの最新鋭機であり、これまでの慣性をさらに超えて「未来を拓くロケット開発」をスローガンに革新技術の開拓を進めているところです。初号機は2013年度に小型科学衛星1号機SPRINT-A/EXCEEDを載せて、内之浦宇宙空間観測所から晴れて打上げの予定です。


内之浦から打ち上げられるイプシロンの想像図

 さて、2006年7月、国の宇宙開発委員会でM-Vロケットの運用終了と次期固体ロケットの研究開始が正式に決定されました。私はM-Vと共に人機一体の精神で育ったようなものですから内心悔しい気持ちでいっぱいでしたが、最終号機による太陽観測衛星「ひので」の打上げを間近に控え、「有終の美ではなく、未来に向けた第一歩にしよう」と実験班のみんなに言い続けたことを覚えています。その後の道のりは決して平坦なものではありませんでしたが、つらくてもみんなで頑張った成果はようやく形になって表れてきたと思います。

 というのも、M-Vの初号機が上がった直後(もちろんJAXA統合前のこと)から、すでに宇宙研内ではM-V後継機をどうするかという検討を始めていたのですが、現在のイプシロンはそのときの機体とほぼ同様のコンセプトでつくられているからです(1段目にSRB-Aを使うという意味も含めて)。しかも、2011年1月には、打上げ射場も固体ロケットの聖地「内之浦」に決まり、これで夢の舞台もすっかり整いました。シンプルな固体ロケットとコンパクトな射場の組み合わせで宇宙開発の未来を拓こう、というのが我々の狙いです。

 イプシロンロケットの目的は、ロケットを打つ仕組みを簡単にして、みんなの宇宙への敷居を下げよう、宇宙科学や宇宙利用の裾野を拡大しようということにあります。これは宇宙輸送系の視点で見ると、打上げシステムの革新、つまりアポロ時代から変わらないお祭り騒ぎのような打上げ方式を改革しようということに尽きます。すなわち、射場設備と運用はもとより、製造プロセスから搭載系に至るまで、およそロケットの打上げに必要な設備や運用をとことんコンパクトで身軽なものにしていこう、それが未来への扉を開く鍵である、というコンセプトです。未来のロケットは、飛行機くらい簡単に飛んで行けないと困りますからね。これまでのロケット開発では打上げ能力の拡大と軌道投入精度の向上のみが図られてきましたが、固体ロケットの歴史上初めて打上げシステム全体の最適化が図られようとしているのです。この点が、イプシロンがM-V時代までの殻を破る最大の部分です。

 イプシロンロケットでは、このような壮大なビジョンを実現する第一歩として、ロケットのインテリジェント化やモバイル管制などの超革新技術を開拓し、射場作業の効率化を図っています。例えば、第1段ロケットを発射台に立ててから数えると、打ち上げて後片付けをして帰るまでにイプシロンはたった7日間です(M-Vは実に42日間)。このような斬新な取り組みは世界でも初めての挑戦であり、未来のロケットに不可欠なものでもあります。まさに未来を拓くイプシロンの真骨頂だと考えています。


(もりた・やすひろ)