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ISASコラム

第9回
南極周回気球観測

(ISASニュース 2003年6月 No.267掲載)

1980年4月に東京大学宇宙航空研究所から国立極地研究所に移った直後、スウェーデン北部のエスレンジから打上げる大気球実験に誘われた。実験をする為の合意書の取交しに始まり、機器の設計・製作・試験・梱包・輸送と慌ただしい日々が過ぎ、8月に現地入りした。2機続けて飛揚し、打上げは成功した。青空の中へゆっくりと上昇する気球は何とも言えない美しさであった。この時生まれて初めてオーロラを見て感動した。翌々年には真冬に同じエスレンジで再び気球を打上げた。昔三陸で気球実験をしたことがあるが、これが私の極地での気球事始めである。

1983年11月南極昭和基地で観測ロケット実験を行うべく砕氷艦「しらせ」の船上の人となった。(気球もロケットも全面的に宇宙科学研究所にお世話になっている。)その11月30日に「気球観測に関する打合せ会」が開催されて、南極を周回する気球が討議された。年の明けた1984年2月の「第7回極域における電離圏磁気圏総合観測シンポジウム」の将来計画のセッションで西村純先生が、南極大陸の上空を周回して長時間観測を行うポーラー・パトロール気球(PPB/南極周回気球)は、高度約30kmにゼロプレッシャー気球を周回飛翔させ、バラストによる高度の維持で、夏期に約22日間で西周り一周が可能であること、及び、衛星を使ったテレメータ伝送の可能性を指摘した。

同年夏には、「ポーラーパトロールバルーンの開発と利用技術」と題して研究小集会が開催され、技術面の検討と、PPBによる観測の多くの提案がなされた。さらに、同年秋には三陸大気球観測所において、アルゴスシステムとバラストによる自動レベル制御の気球搭載試験が行われている。翌1985年、PPB開発の一環として、ノルウェーからアイスランド上空を目指してバラストを搭載した長時間飛翔観測実験が実施され、多くの経験を蓄積することができた。

私が南極から帰って来たのは、1985年3月であった。南極での試験飛揚は、1986年に出発する第28次観測隊で行うことになった。テスト気球の放球後、1987年12月に1機目放球、南極大陸を1/3周することができた。2機目も放球したが、種々の不具合が発生した。その結果を踏まえ本格的な試験飛翔を第30次隊で行うべく準備をして、1990年1月放球、南極大陸を約8/9周、28日間の飛翔に成功した。これまでの実験に基づき、太陽地球系エネルギー国際協同研究計画(STEP)の一環として本格的な南極周回気球実験が計画された。第32次隊が3機の気球を持込んだ。第一号機は1990年12月に放球され、14日間の飛翔の後、南極大陸を一周して所期の目的を達成することができた。第二号機は、1991年1月に放球、30日間の飛翔を行った。図にそれまでの航跡を例示する。

南極周回気球の軌跡(テスト及びPPB#1と#2)

第三号機は冬明け厳寒の9月に放球、オゾンホールの観測を行った。第34次隊と第33次隊ではB40を2機(4、5号機)とB60を1機(6号機)、各々9日間、43日間、27日間の飛翔を行い貴重な観測結果を得た。特に6号機は完全に一周して昭和基地上空を再び通過していった。総重量も約500kgであった。次の第二次実験として、B50の気球を磁気圏境界領域に同時に3機編隊飛翔させ、地球を取り巻く宇宙の空間及び時間変動を観測するバルーンクラスター計画と、B100の大気球により行う高エネルギー1次宇宙電子線観測計画が立案され、第44次隊で実施されることとなった。2003年1月に2機の気球による編隊飛翔に成功し、貴重なデータを取得できたが、宇宙線の観測機器は放球できず、次の機会に託すことになった。

この南極周回気球実験には、南極の現場で苦労した人も含め、20年の長きにわたり計画立案から実現まで大勢の人達が関与している。しかしこの計画は、故永田武先生の存在があって初めて実現したプロジェクトである。

(江尻 全機)