No.302
2006.5

ISASニュース 2006.5 No.302 


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予想外の現象が面白い

JAXA技術参与 向 井 利 典  

むかい・としふみ。
1943年、徳島県生まれ。工学博士。
1968年、京都大学大学院工学研究科電子工学専攻修士課程修了。
同年、東京大学宇宙航空研究所助手。
1981年、改組に伴い宇宙科学研究所惑星研究系助手。
1993年、教授。日本のすべての磁気圏観測衛星、ハレー探査機に搭載されたプラズマ粒子観測の主任研究者を務める。
2005年10月よりJAXA技術参与(統括チーフエンジニア)。


 dash   宇宙にかかわるようになったきっかけは?
向井: 私は工学部電子工学科の出身ですが、たまたま入った研究室が前田憲一教授という電離層研究の世界的権威のところだったんです。今では知っている人は少なくなりましたが、1957〜58年の国際地球観測年にロケット観測をしようと糸川英夫先生に持ち掛けたのが前田先生です。私が大学院に入った1960年代後半、宇宙研の前身の東京大学宇宙航空研究所がロケットを打ち上げて、電離層の観測が盛んに行われていました。しかし、電離層のエネルギーの高い電子を観測する技術が、日本にはありませんでした。その計測装置の開発からやってみないかと言われて、自信はありませんでしたが、誰もやっていないなら、面白そうだからやってみようと思ったのです。

 実験室でセンサーの開発を始めたのですが、最初は何一つうまくいきませんでした。やっと3年くらいたって、ロケットに観測装置を載せて電離層光電子のエネルギースペクトルを観測することに成功しました。やがて日本でも衛星による観測も始まり、たくさんの衛星にかかわるようになりました。

  
 dash   最も印象に残っている衛星は?
向井: 何といってもハレー彗星の観測を行った「すいせい」です。ハレー彗星に接近して計測したプラズマのデータを初めて見たときの感激は、今でも忘れられません。まったく予想外のよく分からないスペクトルがたくさん現れ、いったい何が起きているのだろうと想像をめぐらしました。やっぱりサイエンスは面白い。誰も見たことがないものを見る、その感激は格別です。ハレー彗星という76年に1回しか来ないチャンスに、世界的にも評価される観測ができた。そういう巡り合わせはラッキーだったという以外にないですね。

 磁気圏のしっぽを観測する「ジオテイル」でも、最初に見たデータが印象に残っています。データの中に正体不明の点がポツポツと見え、それがシステマチックに変化していて、ノイズではないのは明らかでした。地球の上層大気から電離したイオンが流れてきていたのです。観測した場所は地球からかなり離れたところなので、そこまで電離層起源のイオンが流れくることは想定外でした。

 衛星計画には、もちろん設定した目的がありますが、実際に観測を始めると、当初の目的以上の、予想外の姿を自然は必ず見せてくれる。それが面白いんです。

  
 dash   現在は、統括チーフエンジニアとして、JAXAのすべてのプロジェクトに責任を持つ立場ですね。
向井: システムズ・エンジニアリング(SE)といいますが、ロケットや衛星システムをきちんとつくるためのプロセスや体制の整備を行っています。SEでは最初が肝心で、ミッション要求からシステムの機能分析・開発・試験・打上げ・運用を一気通貫で見通した計画を立て、個々の技術の成熟度やマージンの考慮、リスクの識別・低減を図っていくことが重要です。

 ロケットや衛星に搭載した観測装置で、きちんとデータを取る成功率が、私は高い方でした。しかしどの計画でも100%成功ではなく、うまくいかない部分が必ずありました。モットーにしていたのは、何か不具合が起きても、最低限の成果は出すこと。そのため、開発の最初の段階からスケジュールやチェックリストをつくり、開発途上の試験で何か不具合などが現れるごとにチェックリストに加えていくようにしていました。そして打上げの前には、チェックリストを1回では危ないので3回、間を置いて点検していました。途中、ベターは求めず、確実を旨としていましたので、若いころは、石橋をたたいても渡らない、と言われたこともありましたね。

 地上で何回も試験をしますが、たまたま1回だけ不具合の兆候が現れる場合があります。次に試験してもなかなか再現されない、そういうのが危ないんです。

  
 dash   そういうノウハウや危険な兆候を見抜く目は、どうやったら身に付くのですか。
向井: 私の場合、最初の3年間、何一つうまくいかなかった経験が大きいですね。毎日、実験室にこもっていましたが、問題が出てきては解決するという繰り返しです。その詳細をメモに残しました。失敗は成功の母といいますが、今の若い人たちは、すでにうまくいくようにできた装置を使ってデータが取れるという環境にいます。こういう環境では、本当のノウハウはつかめないかもしれません。

 長年、私は宇宙で面白いことをたくさん経験し、楽しませてもらったので、これからはプロジェクトがうまくいくように、若い人たちの手助けをしていきたいと思っています。


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