No.300e |
ISASニュース 2006.3 号外 No.300e |
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楽しかった宇宙研宇宙科学情報解析センター 橋 本 正 之
●宇宙研へのきっかけ 宇宙へのきっかけは、東京大学電子工学科の林友直先生の研究室にお世話になったことに始まる。最初は質量分析装置の回路製作などを行っていたが、1年もたたないある日、「駒場の宇宙航空研究所に移るぞ」と告げられた。予想もしなかった展開に少し驚いたが、いったいどんなところなんだろうと思い偵察に行った。構内にはツクシなども生えていて、山育ちの自分としてはなぜかワクワクしたことを覚えている。
以後は、内之浦への出張が日常的になった。我が国最初の人工衛星打上げ実験が開始され、主にテレメータ、コマンド関係の仕事にかかわった。度重なる失敗続きで、一オペレータの私でさえ、東京に戻ってみんなに合わせる顔がないと思った。しかし、何が何でも成功させるという強烈な気迫に感動した。
「おおすみ」も成功し、科学衛星が普通に上げられるようになると、衛星追跡も大きな仕事になった。おおよそ1時間半ごとに回ってくる衛星からの電波を1日5〜6回受信した。開始前の準備、終了後のデータ整理以外に、毎周のコマンド計画作成、受信データを収録した磁気テープの整理と発送など、本当に忙しい時を過ごした。夜間追跡が1週間も続くと疲労限界に達し、もうろうとした。それでも文句も言わず夢中になって仕事を続けたのは結局、宇宙の仕事が好きだったからだと思う。
在職中に訪れた海外出張にも忘れられない数々の思い出がある。オーロラ観測衛星「きょっこう」の追跡で、カナダのハドソン湾に面したチャーチルに3ヶ月ほど滞在した。現地担当者を含め3人きりでの深夜の衛星追跡の合間に受信基地屋上のドームに上って毎晩見上げた千変万化のオーロラや、ブリザードの雪道で出会った純白の北極キツネの美しい姿は、今でも脳裏に焼き付いている。GEOTAIL衛星の打上げ作業参加のためフロリダに滞在した3ヶ月も忘れられない。宇宙センターを最初に訪問した日に「明日からネクタイを付けてきたらハサミでちょん切るぞ」と言われてなぜかうれしかったこと、外でギラギラ照り付ける強烈な南国の日差しを避けて影の所に座ったら、そんなに遠慮せず日の当たるこちらに座れと本気で言われたこと、そして何よりも現地で発生したさまざまなトラブルに骨身を惜しまず対処してくれた米国担当者の方々に深謝したい。それからSFUの訓練チームに参加し、ジョンソンスペースセンターでスペースシャトルの搭乗員が受ける訓練の一部を受講したり、ずうずうしくもスペースシャトル搭乗員に対してSFUについてのプレゼンテーションを行ったことなど、今考えても赤面することも多い。
Mロケットの打上げではロケットからのテレメータ電波を確実に受信する目的で、発射点の内之浦実験場以外にもダウンレンジ局と呼ばれる受信局を設置した。2段目燃焼中のデータ受信を主目的とした宮崎局、3段目対応の小笠原局、そして赤道直下のクリスマス局での作業にも参加した。特に宮崎大学には何度もお世話になり、そのたびに格別の便宜を図っていただいたことに心から感謝する。
林先生の研究室では電子回路、観測用センサー、高電圧電源などハードを主体としたものを、林先生退官後、中谷研究室所属になって以降PLAINセンター所属の現在に至るまでは、探査機異常監視・診断システムや衛星運用工学データベースなどソフト的な研究・開発に転向した。広範囲な領域に関係した結果、特定の分野を深く掘り下げられなかったフラストレーションもあったが、後半の仕事ではこれらの広い経験が非常に役立った。
宇宙研在職中はロケット、衛星・探査機の研究、開発、試験、運用とさまざまなことにかかわり、各方面の優れた専門家と接触させていただいた。これによりものの見方を広げ、非常に有意義な楽しい生活を送れた。今後も一人一人の方が望まれることを思う存分でき、退職者にとってもそこに籍を置いたことが誇れる組織として発展されることを切望します。 (はしもと・まさし) |
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