第6回 暗黒星雲の化学進化
東京大学大学院理学系研究科 山本 智
星と星との間には,非常に希簿ではあるが分子ガスと塵からなる雲が存在する。それは低温(10〜100K)かつ低密度(103〜106B-3)の極限的環境にあり,それ自体は可視光を発しない。しかし,中に含まれている塵が背景の星の光を吸収・散乱するので,星空に横たわる黒い“しみ”のように見える。そのため,古くから暗黒星雲として知られてきた。1960年代後半から,電波望遠鏡によって,様々な分子(星間分子)の回転スペクトル線が観測されるようになり,暗黒星雲とそこでの星形成が活発に研究されている。現在では,C0,NH3,CH30Hなど多くの分子の存在が知られている。
暗黒星雲の化学組成については,国立天文台野辺山宇宙電波観測所のグループによって,牡牛座のTMC-1と呼ばれる場所でスペクトル線サーベイが行われてきた。これは広い周波数範囲をくまなく観測し,その中に含まれるスペクトル線を拾い上げることによって化学組成を徹底的に調べるものである。その結果,TMC-1においては,多種多様な炭素鎖分子(CCS,CCCS,CCCCCHのように炭素が直線状につながった分子)が豊富に存在することが最も大きな特徴であることがわかり,それは化学の常識を遥かに超えるものであった。
しかし,暗黒星雲はTMC-1だけではない。銀河系には無数の暗黒星雲がある。それらの化学組成はみなTMC-1と同しであろうか? もし,違うとしたらその理由は何か? この基本的問題を追求するために,我々は多くの暗黒星雲について10数個の基本的な分子のスペクトル線を50個程度の暗黒星雲で観測し,化学組成の特微を明らかにしてきた。その結果,化学組成は決して均一ではなく,暗黒星雲ごとに異なっていること,そして,それもでたらめに異なるのではなく,暗黒星雲における星形成の有無によって化学組成が系統的に異なることを示してきた。
我々が調べた中で,星形成の有無によって最も大きな変化を示す分子は,炭素鎖分子とNH3,HN2+イオンである。CCSのような炭素鎖分子は星形成がまだ起こっていない(少なくとも赤外線源が存在しない)暗黒星雲で豊富に存在するのに対して,星形成領域では非常に少ない。一方,NH3やHN2+は星形成領域では豊富に存在するが,星形成が起こっていない若い暗黒星雲では存在量が少ない。このような系統的な化学組成の違いは,暗黒星雲における星形成の過程で,化学組成が系統的に変化していることを示している。
このことは,化学モデル計算の結果とよく合う。希薄な星間雲から次第に重力収縮して星が形成するプロセスを考えると,炭素の主要な存在形態はC+,C,C0の順に変化する。即ち,希薄な星間雲では,炭素は星間紫外線によって電離され,C+として存在し,一方,十分時間がたった後では,炭素は様々な化学反応によって安定なC0分子となる。その時間スケールは自由落下時間と同程度である。従って,炭素鎖分子のように炭素を多く含む分子は,炭素がまだC0に固定される以前の比較的初期の段階で豊富に生成する。一方,NH3やHN2+は炭素の存在形態の変化とは関係なく時間がたつにつれて存在量が増える。このようにして,炭素鎖分子が星形成の起こっていない暗黒星雲に豊富にあり,NH3やHN2+が星形成領域で強いスペクトル線を与えることが説明できる。