No.183
1996.6

<研究紹介>   ISASニュース 1996.6 No.183

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ヒートパイプ − 潜熱制御技術の確立に向けて

宇宙科学研究所  小林康徳  



 この春にスペースシャトルによるSFU回収成功のニュースが大きく報じられたことは記憶に新しい。ご存知のごとく,このSFUの構体は変形8角形をしており,バウムクーヘンを8分割したような台形型の実験箱をトラス構造の支柱にぶら下げた格好をしている。もっとも,1ヵ所だけはむき出しの赤外線望遠鏡装置が付いていたし,バウムクーヘン上部にも様々な機器が搭載されて多少複雑な外観をしていたが。それはともかく,各実験箱は熱・構造的に独立しており,箱の利用形態や管理については実験者が全責任を持つという衛星設計コンセプトはわが国では初めての試みであった。もう一つの初めては,実験箱が多数のU字型ヒートパイプ素子でぐるぐる巻きにされていたことである。図1のスケッチに示されているように、合計108本のヒートパイプが使われている。1987〜90年に打ち上げられたドイツ・フランス合作のTV-SAT/TDFシリーズ(ヒートパイプ技術者間では「ヒートパイプ衛星」と呼ばれる)では70本以上のヒートパイプが使われた例をはじめ過去の衛星に何度か搭載されてきたが,SFU の規模が最も大きく本格的なヒートパイプ衛星と言ってよい。

 前置きが長くなった。将来とも我々が宇宙活動を一層発展させていくならば,大型の宇宙構造物やインフラを作るにしても,高機能化された小型衛星を開発するにしても熱制御(排熱)技術の解決が成否の鍵を握ると言って過言でない。特に後者では新材料開発と共に必須になるだろう。ヒートパイプはそのような熱制御素子の一つであり,SFUで出番が与えられた意義は小さくないと筆者は強調したかったのである。以下にヒートパイプと関連熱流体研究の現状を紹介する。 前置きが長くなった。将来とも我々が宇宙活動を一層発展させていくならば,大型の宇宙構造物やインフラを作るにしても,高機能化された小型衛星を開発するにしても熱制御(排熱)技術の解決が成否の鍵を握ると言って過言でない。特に後者では新材料開発と共に必須になるだろう。ヒートパイプはそのような熱制御素子の一つであり,SFUで出番が与えられた意義は小さくないと筆者は強調したかったのである。以下にヒートパイプと関連熱流体研究の現状を紹介する。

 やはり,ヒートパイプとは何ぞや,という説明をしておくのが親切だろう。いたって単純直截な伝熱素子である。名前のごとく管状容器が多いが,原理的には純粋な液体(作動液体と呼ぶ)が一定量封入された密閉容器であればどんな形状,寸法であれヒートパイプとなり得る。容器の内部はその液体と蒸気の一成分二相状態にある。この容器の一部分を加熱し,他部を冷却すると内部の流体は熱力学の法則に則って相変化(加熱部で蒸発,冷却部で凝縮)を起こし速やかに新しい熱平衡に移行する。この時に冷却部に移動して凝縮した蒸気質量の持つ潜熱はそこの容器壁を介して外に廃棄される。この一連の熱流体現象は加熱部と冷却部間の潜熱授受が主役であるから蒸気と凝縮液の間には温度差がない。すなわち,外部から見れば密閉容器の加熱部に加えられた熱量は温度差がないのに冷却部に移動しそこから排出されることになる。まさに熱の超伝導体である。もっとも,実用に供せられるヒートパイプの有効熱伝導率は管材部などの伝導抵抗が避けられないので,銅のそれの数十倍から数百倍程度である。現在,宇宙ステーション「アルファ」で開発中のアンモニアを作動媒体とする二相流体ループもその作動原理や現象は基本的にヒートパイプのそれと同じで,潜熱授受が主役である。この観点で,大容量排熱手段である様々な形態の二相流体ループも広義のヒートパイプと定義することもできる。
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 ヒートパイプが最初に宇宙用等温化機器として使用された1963年から1970年代中頃にかけての初期のヒートパイプ理論は,蒸気の圧力降下と液体流の粘性損失を考慮した管内圧力の釣合条件に,作動流体の飽和蒸気−液体線図の二相共存領域での熱源条件を組み合わせた準静的熱力学論であった。宇宙用ヒートパイプがある一定熱流束内で定常的に作動している限りはこの理論で十分現象を説明できた。そこでは作動液体の局所的な渇き上り(dry-out)がヒートパイプの最大熱輸送性能(限界熱流束)を規定し、その熱輸送性能は高々 200W/E程度と小さかった。しかし,1970年代以降,ヒートパイプが地上でも広く利用されるようになると,新たな理論展開が要求される。重力による作動液体の還流能力の増大,従って蒸気流と還流液体との干渉,それに伴う沸騰・凝縮による撹乱など,準静的熱力学現象とは遠くかけ離れた熱流動現象が現れるからである。沸騰・凝縮問題に限れば伝熱工学では馴染みの研究対象であるが,ヒートパイプのような密閉容器内では蒸発端と凝縮端での熱流体現象がお互いに密接に関連し合っており(「ヒートパイプ現象」と呼ぶ),これらを個別に論じても必ずしも現象全体の解明に結び付かない。地上用ヒートパイプの渇き上り点と限界熱流束の増大,液流のフラッデング現象などはその典型例である。

 従って,現在ヒートパイプを開発する上で最大の問題は従来の理論に基づくヒートパイプの熱輸送性能予測が実験結果と大きく食い違うこと,すなわち出来上がったハードウェアの伝熱性能を正確に予測する方法が確立されていないことである。これが解決されない限り最適なヒートパイプの設計やそれを用いた熱交換器の改善はおぼつかない。ヒートパイプ管内の局所的な伝熱メカニズムから出発したより精密な解析予測が求められている。例えば,溝型ヒートパイプについて言えば,作動液の蒸発表面メニスカスと固体壁面の接触界面近傍の微小部分をマイクロ領域としてそれ以外の(マクロ)領域と区別して熱輸送性能を予測する方法がある。 マイクロ領域では液体分子と溝壁の固体分子間の干渉力(London-van der Waals force)を考慮して局所熱輸送量などを算出し,熱伝導が支配するマクロ領域のそれに滑らかにつなぐ手法である。ただし,このような解析手法もまだ発展段階にある。

 ここでは紙面の都合上,宇宙用ヒートパイプとして最も頻繁に用いられるアルミニウム/アンモニアの組合せによる管軸方向の溝形ヒートパイプについてそのような解析予測結果と実証実験の一端を示す。図2に解析に用いた典型的な溝型ヒートパイプの断面形状と寸法を示す。図3はマイクロ領域での熱流速とメニスカス形状の解析結果である。この解析では固体壁には液体との分子間力により「蒸発しない」液薄膜が常に存在するという前提条件を用いている。図3には約2ナノメータ(nm )の「蒸発しない」液膜厚さとそこから急激に厚さを増すメニスカス形状が示されている。この薄膜の存在は図4に示すごとく実験的にも実証されている。大略20〜50 ナノメートル(nm)の厚さで実験とはかなり異なるが,その説明は可能だ。
 これら一連の研究で明らかになったことは,溝部固体壁面と液体メニスカスの接触界面近傍のミクロン(μm)程度の極めて狭い領域がこの種の蒸発伝熱に大きく寄与するという事実である。ここで紹介されたヒートパイプの場合,全伝熱量の約半分がこのマイクロ領域を通ると予想される。蒸発伝熱のメカニズムの一端が明らかになったと言ってよいだろう。
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 最近,図5に示すような「ループヒートパイプ」がその熱輸送性能の優秀さで注目を集めている。このヒートパイプは内径1ミリメートル以下の細い金属チューブを幾重にも巻いた形状であるが,チューブの長さが適当でその本数が数十本のオーダーにならないと安定に作動しない,など幾つかの興味深い特徴を持っている。しかし現在,内部の流体挙動を適切に記述する支配方程式系が定まらず,熱輸送性能予測が出来ていない。何方かお知恵を貸して下さい。

 近年,微小な場所や物を対象とする研究が注目を集めている。ヒートパイプに限らず,他の伝熱の分野でも「マイクロスケールおよび分子熱工学」なる微小技術の世界が広がりつつある。量子効果の顕著な分子挙動と巨視的概念の伝熱とをつなぎ合わせる矛盾を指摘されそうだが,両者の接点であるメゾスコピック領域まで遡ってエネルギー移動を捕らえ,熱制御技術を創り出そうとする試みである。まだまだ暗中模索的な段階であるが,コンピュータの腕力にまかせた分子動力学シミュレーションが先行する形で活発化してきた。実験物理の世界では原子操作が可能になりつつあり,量子効果を利用するナノテクノロジー研究の活況から推しても,また近い将来マイクロプロセッサ1個の消費電力が 100W 級になることを考ても,除熱・排熱の問題は避けて通れない。伝熱はいま最先端技術開発の一翼を担う魅力あふれる工学に変身しつつある。

(こばやし・やすのり)


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