質量降着は、深い重力ポテンシャルを作る天体にガスが落下する現象で、そのエネルギー開放効率 の高さから宇宙の様々な高エネルギー現象の源になっている。ブラックホールは表面がなく、それ 自身が輻射を出さないことから、質量降着により重力エネルギーが輻射に変換される過程を調べる うえで、最も適した天体である。恒星質量ブラックホールが通常の恒星(伴星)と近接連星系をな す場合、伴星からブラックホールにガスが流れ込み、その周りに降着円盤を形成する。降着円盤は、 ブラックホール近傍では1千万度ほどの高温になり、もっぱらX線を放射する。したがって、降着 過程を明らかにするには、X線観測が重要である。過去の様々なX線観測によると、ブラックホール X線連星は質量降着のgeometryに対応して、いくつかの異なる状態を取ることが知られている。例 えば、比較的質量降着率が高い場合は、光学的に厚く幾何学的に薄い(標準)降着円盤が発達する ものの(high stateと呼ばれる)、質量降着率が低くなると、ブラックホール近傍から標準降着円 盤が消え、高温プラズマにより逆コンプトン散乱された冪函数放射が卓越するようになる(low state)。また、相対論的ジェットが見られたり、外向きのアウトフローが観測されたりすること もある。このような多様な振る舞いの起源や各状態のgeometryなど、詳細はまだ良く分かっていな い。 本研究では、特異なブラックホールX線連星V4641 Sgrを選び、解析した。V4641 Sgrは1999年に非 常に明るいアウトバースト(12 Crab)を起こして発見されたブラックホール連星で、相対論的ジェッ トを伴うことからマイクロクエーサーと呼ばれている。我々は、2014年の増光時の「すざく」衛星 による観測データを解析した。それによると、V4641 Sgrは、エディントン限界光度の0.1%ほどの 光度しかなかったにも関わらず、そのエネルギースペクトルは標準降着円盤のモデルで記述でき、 high stateであることがわかった。しかし、降着円盤内縁の温度が約1.5keVと非常に高く、その内 縁半径がシュバルツシルト半径の0.1-0.3倍で光度に依存して変化していた。また、等価幅が約 200eVのH/He-like Fe輝線も検出された。これらの結果を矛盾なく説明するため、ブラックホール は降着円盤によって隠されており、周囲のプラズマによる散乱X線のみが見えているという geometryを考えた。この仮定のもと、観測パラメータがどのように説明されるか、またX線放射領 域の真のパラメータがどのようになっているか検討し、過去の観測結果との比較および考察を行なっ た。