PLAINセンターニュース第143号
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NASA/GSFC における高エネルギー天文衛星データ処理

海老沢 研
PLAINセンター

  私はPLAINセンターの現ポストに就く以前、1992年4月より2005年7月までNASA Goddard Space Flight Center (GSFC)の高エネルギー天体物理学研究室(Laboratory for High Energy Astrophysics;LHEA)に所属していた。途中、2001年8月から2004年12月までは、LHEAから派遣されてジュネーブでヨーロッパの天文衛星プロジェクトに従事した(これについては次々号のPLAINセンターニュースに執筆予定)。今回は、私が関わってきた、GSFCにおける高エネルギー天文衛星のデータ処理について紹介したい。なお、これに似たテーマで以前天文月報に書いた記事があるので(l996年7、8月号、2002年7月号;http://jvo.nao.ac.jp/tenmon-geppo/ebisawa.html)、興味のある方はそちらも参考にされたい。

 GSFCは、全米に散らばっているNASAの研究所のひとつで、ワシントンD.C.郊外、メリーランド州、グリーンベルトにある。総勢数千人の大きな研究所で、NASAの地球周回衛星の仕事を一手に引き受けている。地球観測、宇宙観測の両方を行っていて、宇宙観測においては、電波からガンマ線まで多波長にわたって天文衛星を打ちあげており、各分野で第一線の研究者を抱えている(最近では宇宙の年齢を137億年と決めたWMAP近赤外衛星が有名)。観測機器と衛星の製作、運用、そのデータを用いた科学的研究、およびデータのアーカイブス化、ユーザーサポートまで、打ち上げ以外、ほぼすべての人工衛星業務を行っている。

 私が所属していたLHEAは、1970年代、X線天文学の黎明期から多くの優れたプロジェクトを率いてきた、X線天文学の重鎮である。1980年代後半からしばらくはスペースシャトルの事故(1986年)の影響でアメリカ独自のプロジェクトが存在しない時期が続いたが、1993年打ち上げの「あすか」衛星で初めて日本と組むことになり、それは結果として日米双方に大きなメリットをもたらした。GSFCは硬X線を反射する軽量ミラーと、ユーザーソフトウェア、アーカイブスを担当した(MITがX線CCD担当)。「あすか」の日米協力によって、観測装置はあるが衛星のないアメリカはタイムリーにすぐれたデータを得ることができ、一方、日本は自前では調達できない観測装置と使いやすいソフトウェア、アーカイブスを手に入れたのである。現在では「あすか」のデータを使って1400本以上(2005年9月時点)の投稿論文が出版されている。

 私は1991年に宇宙研で博士号取得後、1992年にLHEAに新設されたASCA (当時はAstro-D)ゲストオブザーバーファシリティー(GOF)に採用された。ASCA GOFの仕事は、データフォーマットの標準化、一般ユーザーに使いやすいソフトウェアの開発、データアーカイブスの開発、ユーザーサポートなどである。「あすか」GOFのように、LHEAが担当する各衛星についてGOFが存在し、同じような衛星データ処理やユーザーサポートをおこなっている。

 天文分野ではFITS(Flexible Image Transportation System)フォーマットが標準的に使われているが、LHEAにはFITSの専門家が数人いて、GSFCだけではなく世界中の高エネルギー天文衛星が従うべき推奨フォーマットを提唱している。また、そのフォーマットに従ったファイルを解析する汎用ツールも開発していて、GSFCの標準フォーマットに従っておけば、他の衛星プロジェクトでもGSFCのソフトウェアが利用できて便利である。また、ユーザーのほうも衛星によって違ったソフトウェアを使い分けなくても良い、という大きなメリットがある。

 高エネルギー衛星データにおいて、本質的な情報は各光子の天球上の位置、エネルギー、到達時刻である。しかし、検出器から出てくるテレメトリには、検出器上の位置、パルスハイト、未較正の時刻情報が出てくる。衛星や観測装置に固有の機器較正をおこない、ユーザーが直ちに使えるような状態まで持っていくことは各GOFの大事な役目である。そのためのソフトウェアは、GOFが検出器チームと共同開発し、FTOOLSと呼ばれるパッケージとして世界中に配布される。自動化された「パイプラインプロセシング」でFTOOLSを走らせてデータの較正を行うが、それを行うためのソフトウェアツールも公開されていることが大事なポイントである。また、較正には検出器の特性を記述したキャリブレーションファイルが必要なわけだが、そのフォーマットもできるだけ標準化されて、すべて公開されている。そのようにして、GSFCでは衛星のテレメトリから科学的成果がでるまで、できるだけすべてのプロセスがユーザーにオープンにされている、またそのためのソフトウェアもすべてフリー、というのがポリシーである。また、ソフトウェアの機種依存性をとり除き、できるだけ多くのユーザーが好みの環境(たとえばLinux、Macなど)でデータ解析できるようになっている。

 我々が良く言っていたことは、データ解析環境は簡単(easy)なだけでは駄目で、とても簡単(very easy)でなければいけない。GOFの努力によって very easyになりうるものを、easyな状態に留めておくことはよろしくない。そうやって、GOFが徹底的にユーザーの便宜を考えた環境を整備することによって、世界中で実に多くのユーザーが、「あすか」のアーカイブスを使って、優れた論文を書けるようになったのである。

 天文衛星データの占有権については、各衛星ごとの面倒な取り決めがある。多くの場合、初期データは衛星および検出器チームに属し、オープンタイムのデータは一定期間(通常一年)は観測提案者に属する。しかし、占有期間の後、すべてのデータはアーカイブス化され、世界中の天文学者が自由に使えるようになる。データもソフトウェアも無料である。各GOFがプロセスし、占有期間が切れたデータは、LHEAのHigh Energy Astrophysical Science Archival Research Center (HEASARC)に移送され、永久にアーカイブス化される(http://heasarc.gsfc.nasa.gov)。HEASARCにアクセスすると、世界中すべての高エネルギー天文衛星データアーカイブスが使える、というのがHEASARCの目指すゴールである。また、HEASARCでは、衛星アーカイブス以外にも多くのユーザーサービスを提供しており、高エネルギー天文データを使った教育、啓蒙活動にも力を入れている。そういう活動にもNASAの予算がついている(実際、教育や啓蒙に関するプロジェクトは比較的予算を獲得しやすい)。

 私はLHEAで長く仕事をしてきて、世界で最高の高エネルギー天文アーカイブスを開発してきたという自負がある。その一方で、それは決して特別なことではなく、しかるべき体制があれば、他の機関でも十分できることだという印象を持っている。その、すぐれた天文衛星アーカイブスが構築されて「しかるべき体制」についての私見を述べてみたい。

  1. 科学者と技術者が密接に協力
    FTOOLSやHEASARCの運営には専任の技術者が張り付いている。プログラミングやデータベースの整備は科学者が片手間にやっているわけではなく、技術者が責任を持って業務としてやっている。しかし、技術者がサイエンスを知らずにそういう仕事をしていると、科学者にとっては使いにくいソフトウェア、データベースになってしまう。LHEAでは、数十人の研究者とほぼそれと同じ数の技術者が密接に協力して開発を行っている。それによって、科学者がもっとも必要とするソフトウェアやデータベースを迅速に開発できる。
  2. データの権利に関する政治的な取り決め
     1980年代までは衛星データの権利はあいまいであったが、1990年代より、NASAの関連する天文衛星に関しては、最終的にすべてのデータを公開する、というポリシーになっている。まず、そういう政治的な取り決め、あるいはトップダウンの決断がなければ、データアーカイブスは始まらない。
  3. 公的なプロジェクトの成果は国民に還元すべきだという意識
     アメリカでは税金で行ったプロジェクトは基本的に国民のもので、国民に成果を公開すべきである、また、すぐれたものをパブリックにするのは良いことだ、という思想が徹底している。たとえば、国立公文書館には、政治的、社会的に重要な文書が永久保存されているし、スミソニアン博物館、ナショナルギャラリー等、世界でもトップクラスの施設の入場料が無料である。同様に、優れた衛星アーカイブスこそ無料で公開されるべきだと、多くの研究者は考えているようである。
  4. アーカイブスを積極的に活用するコミュニティーの意識
     現在では実に多くの衛星データアーカイブスが構築され、それらを使って研究することは、世界の高エネルギー天文学者にとっては当たり前のことになっている。そうやってユーザーコミュニティーが広がるにつれて、ユーザーから正のフィードバックが働き、アーカイブの質が向上、さらにユーザーが増えて良質の論文が多く出る、という望ましい状況が出現しているように思う。
  5. アカウンタビリティーの要求と厳しい競争原理
     LHEAの多くの研究者は終身雇用の国家公務員ではない。少数の国家公務員と多くのコントラクター(期限付き採用職員;私もその一人だった)が一緒に仕事をしている。各GOFやHEASARCプロジェクトは、常にNASAのレビューの対象になり、その成果(「顧客の満足度」も含む)が問われる。成果が上がっていなければプロジェクトは縮小あるいは中止で、それに携わっていた研究者や技術者は職を失うことになる。畢竟、みんな必死で良いアーカイブスをつくり、たくさんの研究者に使ってもらい、成果をあげよう、ということになる。

 さて、目を身近に転じて、PLAINセンターの大事なプロジェクトのひとつに、科学衛星データアーカイブス、「DARTS」がある(Data Archive and Transmission system; http://darts.isas.jaxa.jp)。今年は「すざく」、来年はAstro-F、Solar-Bと、世界中の天文学者が心待ちにしているデータが宇宙研からどんどんと出てきて、これらはDARTSを通じてアクセスできるようになる。各衛星プロジェクトと密接に協力しながら、さらにDARTSを「とても使いやすく」改良し、世界中の天文学者にどんどん使って貰いたい。HEASARCを利用したことのない高エネルギー天文学者はおそらくほぼ皆無で、それがHEASARCプロジェクトに参加した私の誇りでもある。近い将来、DARTSがHEASARCを超えて、DARTSを使ったことのない天文学者はほぼ皆無である、というような状況を実現することが、私の新たな目標である。




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