No.227
2000.2

ISASニュース 2000.2 No.227

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その3

液体水素の巻

長 友 信 人  

 私は大学の卒業設計で日本最初の液体水素エンジンの設計をして以来,液体水素ロケットを作りたくて仕方がありませんでした。しかし,電話一本で液体水素を届けてくれる現在とは違い,水素ガスを買って自分で液化する以外に方法がない時代です。その液化器も,液体水素ロケットというのはまだ日本国の宇宙開発の予定表にはなかったので,宇宙予算からは出てきません。そこで私は講座研究費をヘソくって2年かかって毎時2リットルの研究用の液化器を買いました。これを駒場の今はなき耐爆実験室でこっそり組み立てていたのですが,原料の水素ガスを真っ赤なボンベで何十本も運び込むと一騒ぎ起きそうなので,白状したところ「能代でやれ」ということになりました。

 能代実験場は固体ロケットの地上燃焼実験設備しかなかったのですが,その少し前から二次流体噴射の推力方向制御の実験に必要だとか何とか理屈を付けて建物や台車の運べる軌道を作ってもらい,これを100%利用する台車式のテストスタンドを作りました。諸先生のご理解で推進研究班の基礎開発研究費をいただき,経費節約のために主なものは基本的な加工だけをユシヤ製作所に外注し,残りの鉄骨の枠組みや配管は,日本最初の液体水素ロケット実験チーム(私と橋本保成君の二人)が自らアセチレンと電気溶接機を使って作ったのであります。

 このチームの目標は再生冷却式推力1トン燃焼器の実験で,この燃焼器も最終の銀蝋付けを三菱名航にお願いした以外はパイプの購入,成形加工までは工作工場と協力して完成させ,何が何でもやり遂げたいという気がありました。

 ただ,液化器がだだっ子で,メーカーの住重平塚の楠井さんがあやしているうちは良いのですが,調整が終わって帰ってしまうと途端に気むずかしくなり,これに慣れるのに2,3回能代往復をしました。最初の実験チームの旅費は私の教官旅費だけで,とても旅館には泊まれず,しばらく能代実験場の三浦さんにお世話になりました。

 液化器はいつも付き添って面倒を見ているとまあまあご機嫌よく,運転にも慣れてきました。普通は朝5時に起きて液体窒素で予冷し始めて,ジュールトムソン弁が働き出すのが7時前9時に液面計の針がぴくぴく動き始めて溜まってきたぞと眺めつつ,運んできた朝飯をその場で食べる。そうやって昼飯も食べる。時々液体水素をロケットのタンクに移して,これが冷えて溜まってくれば本当に燃料として使える液体水素です。もともとロケット燃料として使うような量を作る装置ではないので,夕方の5時頃にはむずかりだすのでここで止めて,液化器の水素をロケットのタンクに全部移して晩飯です。

 夜なべは液化器の台車からロケットの台車を切り離して,実験する位置に押し出して計測の配線をし終わった時は,100キロ推力の燃焼器では10時1トン推力の燃焼器の場合は翌日の午前1時過ぎです。そこで気を落ち着けて最後の準備というわけです。


液体水素ロケット推力1トン燃焼実験装置

 1トンの時は大事をとって海岸近くの大型テストスタンドの所までエンジン台車を出しました。私は実験主任の特権で近くのテストスタンドの建屋の陰にかくれて秒読みを待ちました。風もなく波が静かな夜で,秒読みの声がはっきり聞こえます。バルブが次々と開く音が聞こえます。シナリオ通りであれば,「次はこの辺り一帯が轟音に包まれて昼間のように明るくなる」はずの瞬間,音響はシャーッと弱々しく,夜目にも白くガスと液体が流れ出しました。確信は期待に,期待は疑惑に変わり,いつまで続くのかと思われる長い間むなしく流れ続け,やがて静寂が戻ってきました。実はその間数秒,まるまる1日かけて作った液体水素は液体酸素と共に能代海岸の夜空に蒸発してしまったのであります。明るいシナリオは掻き消えてただの暗闇の中,重い気分で押すロケットの台車のこれまた重いこと。眠たい頭の中では,点火器への疑い,火付きの悪い水素への愚痴,実験の金の心配等,要するに悔しさだけが目覚めていました。

 結局,私が本当にやりたかった液体水素ロケットは,1トン燃焼器の試作をしただけで,あとは水素の液化や装置作り等,やりたくもない仕事ばかりやって終わりになりました。それから20年以上経って久しぶりに能代に行ったときもこの実験を思い出して,「1トンの実験は出来なくて残念だった」と思いこんでいたのですが,最近,日記を読み返していて「今度はうまくいった。うれしかった」と一言書いてあるのを発見して驚きました。失敗したショックが強過ぎて,次の実験に成功した記憶が残らなかったらしいのです。
(この項終わり)

(ながと・もまこと)


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