No.294
2005.9

<宇宙科学最前線>

ISASニュース 2005.9 No.294 


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気球を使った微小重力実験システムの開発とその将来 

宇宙航行システム研究系 澤井 秀次郎 

 現在,気球を使って微小重力の実験をするシステムの開発が行われています。微小重力とは文字通り,ほとんど重力がない世界です。そこでは「上」も「下」もないので,物は落ちないでフワフワと浮かんでいますし,混じり合った水と油は分かれることなく,「水と油の関係」とはなりません。例えば,最近テレビなどで,宇宙でのスペースシャトル内部の様子として宇宙飛行士が宙に浮かんでいる姿などが流れていましたが,これも微小重力のなせるワザです。微小重力の環境を利用することで,材料や生命科学,燃焼など,さまざまな研究分野で新たな成果が得られると期待されています。私たちは,この微小重力の実験を手軽に,かつ高品質にて行う手段として,気球を利用することを考えています。

 本稿では,この微小重力の実験システムの概要と,それを開発することで得られる二次的な効果について,述べることにします。


今までに行われている微小重力実験の方法

 さて,微小重力の環境を手に入れたいと考えた場合,どうしたらよいでしょうか。最も簡単な方法の一つとして,「上から物を落とす(自由落下させる)」という方法があります。微小重力にしたいものを容器の中に入れて,それを上からポトンと落とせば,その容器の中の世界では重力を感じません。実際,この性質を利用した微小重力の実験装置はいくつかあります。例えば,深い穴の上から微小重力にしたいものを納めた容器を落とす「落下試験装置」などと呼ばれる装置が,日本国内を含めていくつかあります。この方法ですと,確かにきれいな微小重力環境が得られます。ただ,この方法の弱点は,数秒程度しか微小重力環境は続かない,ということです。それを超す時間の試験をしようとすると,非現実的とも思える深い穴(もしくは高い塔)が必要になってきます。例えば,20秒間の微小重力を得るのに,深さ2kmもの穴が必要になるのです。

 ほかの方法として,「飛行機を利用して弾道飛行させる」という方法も行われています。この方法ですと,数十秒の間,微小重力環境を続けることができます。ただ,細かい話をすると,飛行機を用いるとどうしても多少の重力が残ってしまうため,材料を均一に混ぜ合わせたい場合など,研究テーマによってはこの方法では不向きなこともあります。

 一方で,スペースシャトルなどの宇宙機を利用すれば,良好な微小重力の環境が数日以上持続することになります。技術的には,宇宙機を使うのは大変魅力的な方法です。ただ,時間とコストがどうしてもかかってしまいます。

 そこで私たちは,手軽に,良好な微小重力の環境を数十秒以上持続できる方法を求めた結果,気球を利用することを考え付き,宇宙科学研究本部の橋本樹明教授を研究代表者として,その実験装置システムの開発を進めています。試作1号機となる機体は完成し,気球による打上げを待つ段階にあります。

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気球を利用した落下機体について

 私たちが考えた微小重力実験の方法も,「上から物を落とす」という点で,ほかの多くの方法と同じです。スペースシャトルも,見方を変えれば「軌道上でひたすら落下し続けている」と考えることもできるので,ほとんどの微小重力実験手段で「落下」は本質的なものです。その中で,私たちの方法の特徴は,「気球を使う」という点にあります。気球といっても,イベント会場などで配られているような普通の風船とはだいぶ違い,試作1号機の予定高度は40kmまで到達するようなものです。高度40kmというのは,例えばM-Vロケットで1段と2段が分離するくらいの高度です。高度が高くなると,空気は薄くなっていきます。高度40kmだと,地上の300分の1くらいの薄さになります。そのため,この高度まで上がる気球は,非常に特殊です。図1はM-Vロケット搭載カメラが高度40km付近で撮った画像ですが,下に写っている雲の様子から,地球の丸みを感じ取ることができるほどの高度である,ということが分かります。

図1 1/2段分離直前のM-Vロケット6号機。
このときの高度は約40kmで,気球到達高度とほぼ同じ。

 では,なぜそこまで高い高度にこだわるのかというと,それには次のような理由があります。空気が濃いところで物を落下させれば,それだけ大きく空気の抵抗を受けることになります。長い時間の微小重力が欲しくなれば,その分,落下速度は速くなっていき,空気の抵抗は増えていきます。空気の抵抗があれば,中の物はなにがしかの加速度を感じてしまいます。この加速度が大きいと,良好な微小重力環境とは言い難くなります。そのため,空気が薄い高い高度での試験が必要なのです。

 しかし,高度が高いとはいえ,それなりに空気が残っているわけですから,それだけでは微小重力としてはあまりきれいな環境とはいえません。そのため私たちは,機体の中に球状の容器を浮かべておき,機体と容器が接触しないように機体を制御することを考えました。こうすることで,この容器にはほぼ加速度は加わらず,良好な微小重力の環境が得られることになります。機体本体をいわば風よけとして利用することで,中の球状容器はきれいに自由落下するようになります。より空気抵抗の低い高々度にて実験を行い,かつ,容器を機体の中に浮かべることで,良質な微小重力の環境を数十秒という長い時間保持できるようになるのです。

 このような考えに基づき試作したのが,図2にあるような機体です。写真では分かりづらいのですが,この機体には16台のガスジェットスラスタが付いていて,落下中の機体をいろいろな方向に動かせるようになっています。黄色い円筒形状の機体内部にある浮遊容器の位置を検知して,この容器が機体の内壁にぶつからないよう,これらのガスジェットスラスタを自動的に噴射するようなシステムになっています。

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図2 三陸大気球観測所にて打上げ整備状態の機体を前に(右奥が筆者)

 この機体は,空気の抵抗を減らすため先端は滑らかな形状になっているので,一見するとロケットのようにも見える代物です。ただ,ロケットと違い,気球の力を借りることなく自力で地上から飛び上がれるような燃料は積んでいません。実際,この機体では圧縮空気を2kg程度搭載しているだけです。これだと落下中の位置の細かい補正は掛けられますが,とうてい自力で飛び上がることはできません。また,ロケットとのもう一つの違いとして,気球実験終了後に回収ができれば再利用が可能な点も挙げられます。そのことによって,安全かつ低コストで微小重力の実験を行うことが可能となります。


微小重力実験の先にあるもの

 この機体は,微小重力実験を行うために開発されているものです。そして,そのためにどういう機能が必要かを考えて設計が行われています。しかし,よくよく考えてみると,例えばこの機体で40秒間の微小重力実験を行おうとすると,機体の速度は超音速になります。1分間程度の微小重力実験を行う場合には,機体は音速の2倍程度まで加速されます。つまり,私たちは,手軽に長時間,微小重力の実験を行うことができるシステムを開発した結果,比較的簡単に超音速飛行を実現する機体をも手にしたことになります。

 そうなってくると,この機体の用途は微小重力以外にも広がってきます。例えば,スペースプレーン用のジェットエンジンの開発手段となり得ると考えられています。

 将来の宇宙輸送系の姿はいまだにいくつもの案が乱立している状態ですが,特殊な訓練を受けない一般人の利用まで考えると,ジェットエンジンのようなもので緩やかに加速するスペースプレーンが有力な候補となります。スペースプレーン案は遠い将来まで見通すと魅力的ではありますが,現在の技術状況に目を戻すと,これを飛ばすためのジェットエンジンのめどが立っていない,という大きな問題も抱えています。これについてJAXAでは,統合前から「ATREXエンジン」などの研究を行い(図3),エンジン開発を精力的に進めてきてはいますが,残念ながら音速を大幅に超えるような速度でジェットエンジンがきちんと動作することを実証できていません。私たちが開発している微小重力実験の機体を利用することで,これらのジェットエンジンの実証試験を行うことは技術的に可能であり,ぜひ挑戦してみたいと考えています。

図3 地上静止状態下での燃焼試験中のATREXエンジン

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 また,ジェットエンジンを搭載することで,将来的には空気抵抗を打ち消すべく下向きに加速して微小重力実験時間のさらなる延長を実現したり,実験終了後に回収点付近まで飛行できるようになると期待しています。特に,ジェットエンジンの推力は入ってくる空気の濃度が濃くなると大きくなる傾向にあり,また空気抵抗も同じ傾向があります。そのため,空気抵抗を打ち消す推進エンジンとして,ジェットエンジンには一定の魅力があります。将来のスペースプレーンを見据えるとともに,将来の微小重力実験を考えても,ジェットエンジンの利用の可能性を探るのは有意義なことです。

 スペースプレーン開発との関係でいえば,エンジン開発のみならず,将来のスペースプレーンを考える上で未解決となっている諸問題を解決するための手段として,私たちの機体が有効に活用できるようになればよいと考えています。この分野には,地上での試験や解析だけでは研究が完了しない項目が,エンジン開発以外にもいくつもあるといわれています。それらの研究にこの機体が有効に活用され,願わくは,それが微小重力の実験システムを改良するのにも役に立てばよいと考えています。


今後について

 私たちは,これまでに機体1号機を試作し,気球実験を試みましたが,残念ながら上層風の風向きが悪く打ち上げられませんでした。試作機体にさらなる改良を加えつつ,次の気球実験の機会には必ず成功裏に打ち上げたいと考えているところです。

(さわい・しゅうじろう) 


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