No.285
2004.12

ISASニュース 2004.12 No.285

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ローマ 手渡しで育まれた文化 

高エネルギー天文学研究系 尾 崎 正 伸  


 10月16日から22日にかけてローマで行われたIEEE(電気電子学会)の2004 NSS-MIC international conference という会議に出席した。ASTRO-EU衛星の放射線バックグラウンド環境を評価するためのシミュレータの報告が目的である。ソフトウェアの研究発表はハードウェアやデータ解析のそれと比べ具体的な成果物を見せにくいという性質があり,また具体的な成果はソフトそのものよりもハードやデータ生成の成果として発表されることが多い。今回の会議の諸発表を見ても,同様の傾向が感じられた。ソフトの仕事を広めて使ってもらうには,いっそこの傾向に便乗して,成果物や使い方ノウハウを引用しやすい形で積極的に整理公開するという手法が有用なのかもしれない。


ローマの印象

 「学会発表でローマに行く」と言うと,皆一様にうらやましそうな顔をした。世間一般ではどうやらあこがれの都らしい。しかし学生時代を通して社会科の成績が悪く,文化芸術にも興味がなかった身としては,どうにもピンとこない。観光ガイドを見ると「スリに注意」「釣り銭サギに気をつけろ」と,悪いイメージばかりが募っていく。そんなろくでもない先入観にまみれながらも,ヨーロッパ文化の屋台骨ともいうべき都市の空気につかってきた感想を記してみる。

 つかってきたといっても,仕事で行っているので観光など当然ほとんどできていない。それでも,食事のために街を歩き回るその間に目に入ってきたローマは十分に刺激的だった。

 ローマはイタリアにあり,イタリア人といえば「陽気なラテン系」が定型句だ。が,どうもこれは違うのではないかと思う。短い期間ながらイタリア人を眺めた感想は「良くも悪くも子供のような」だ。彼らは感覚に重きを置いて行動し,規則にルーズだ。誰にでも気さくに話し掛ける。口頭伝達を好み,掲示というものをあまりしない。感情をあまり隠さない。他人がどう思うかは事前にあまり斟酌(しんしゃく)しない。そして基本的に元気で親切だ。人といわず車といわず交差点では誰もが突進し,バス停には運行時間も書かれておらず,タクシー運転手は歌いわめき時にぼったくり,地下鉄は落書きにまみれ,自転車から地下鉄まで運転が荒い。通貨切り替えで便乗値上げが続発したらしいし,給料上げろと観光都市でストを打つ。

 イタリアはまた,アートな国だという。これには深く同意する。ローマだから通りを見回せば名所旧跡だらけということは置いておくとして,内装の質感がどこもかしこも素晴らしい。会議場であるホテルや町中のレストラン,タクシー(真新しいものに限る)などは,いずれも上質の布や木に覆われ,可能なところは人に寄り添う曲線を描く。色使いは一見無造作に原色だらけなのに破綻をきたさず見事な調和を成し,注意深く見るとどの色もこれ以外にあり得ないという絶妙な色調をピンポイントで押さえている。そして食事は安くて多くて,奇をてらわず,しみじみとうまい。イタリア人がそれらを特段気負う様子も見せず,それどころか認識しているふうすらないところを見ると,これらは完全に生活文化の一部なのだろう。明治以前に日本に渡ってきてさまざまな驚きを記した外国人たちが感じたのは,あるいはこのような感覚なのかもしれない。


積み重なる時

 人々の大ざっぱさと文化のつくり込みは,実は密接に結び付いているのではないか。滞在中も帰国してからも,時々ぼんやりと考える。わたしたちが過ごすこの社会は,長年にわたって蓄積された文化文明の産物だが,その多くは世界中との緊密な情報交換の成果でもある。ものの考え方も,料理も建物も風俗も法律にしても,世界のさまざまな情報交換の結果として存在している。この情報交換は活版印刷の発明とともに飛躍的に増大し,近年まで当然これによるものが圧倒的な割合を占めていた。そして現在でも文字や音声,映像による遠隔通信が主流だ。

 しかしローマは,これよりはるか以前から文化の発信地として存在し続けてきたはずだ。そして現在に至るまでカトリックの総本山として,変わらずヨーロッパ文化のハブの位置を占め続けている。そういう,自らの内から中身のほとんどを紡ぎ出してきた文化は,自然と人と人との直接のやりとりによる情報交換で練り上げられてきたに違いないし,そんな環境では明文化という大人の方法はあまり推し進められず,自然と阿吽の呼吸で物事を進めていく割合が残るのではないか。そんな,文章よりずっと濃厚なコミュニケーション手段で伝えられてきたものは,言葉では表し切れない微妙なニュアンスまで受け継がれ,世界に冠たるアートを生み出したのではないだろうか。

 ところで,学術活動というのもアートの一つだ。情報技術が発達し,離れた場所との情報のやりとりが格段に簡単になった現在だが,それでも大学や研究所という施設に人を集め,また機会を設けては世界の各所にわざわざ集まる意義は,きっとこの辺りにあるのだろうと思う。

(おざき・まさのぶ) 

会議最終日の翌日,帰国の日にストが決行された。しかし,程よい大きさにすべてを収めた都市は,きっとこの影響も柔軟に吸収してしまったことだろう。


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