No.261
2002.12

<研究紹介>   ISASニュース 2002.12 No.261

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宇宙用高性能半導体メモリー(SOI-SRAM)の開発

宇宙科学研究所 廣瀬 和之,齋藤 宏文  

1.はじめに

 私たちには大きな夢が二つあります。この地球の周辺を離れた遥か遠い宇宙へ惑星探査機を送り出し太陽系の謎に挑むという夢と,打ち上げチャンスの多い小型衛星を編隊飛行させ天体観測をはじめとする多彩な科学観測をするという夢です。現在の私たちの目標は,この二つの夢を実現するために,探査機や人工衛星に搭載する高性能の宇宙用の半導体部品を開発することです。

 宇宙用半導体部品の中でもコンピュータの心臓部となるメモリーとマイクロプロセッサーという部品が,私たちが戦略的に開発に取り組んでいる半導体部品です。限られた電力のもとで探査機や小型衛星が遠距離通信や編隊飛行をするためには,メモリーやマイクロプロセッサーは,放射線等の苛酷な宇宙環境に耐えるばかりでなく,自律運用が可能なほどに高速で低消費電力なものでなければなりません。このような部品を開発することは,世界最先端の宇宙科学プロジェクトを遂行する上での一つの大きなブレークスルーになるものと信じています。

 これまで放射線に強い最先端のメモリーやマイクロプロセッサーは米国の戦略部品しかなかったためほとんど輸入できませんでした。もし輸入できたとしても,最低数十個程度購入しなければならないとか,機器の一部として購入しなくてはならない等の条件が付き,コストは数千万円に達するものでした。そこで最先端の部品はあきらめて古い世代の部品を輸入せざるを得ない状況だったのです。別の対応策として,放射線に対してそれほど強くはない部品を使い,一つの部品が壊れたり誤動作しても機器としては助かるように予備の部品を併設するという冗長構成をとることもありましたが,その場合は機器のハードウェアやソフトウェアの規模が大きくなり,開発期間の長期化やコストの増大を招き,海外で開発された機器には太刀打ちができるものではありませんでした。

 放射線にも強く高性能の宇宙用半導体部品が安価に手に入るようになれば,私たち宇宙研だけでなく,大学,企業,ベンチャーなど多くの人々が小型衛星や超小型衛星を自らの手で自らの目的のために飛ばせるようになり,“宇宙へのしきいが下がる”ことになるでしょう。今回,私たちが開発したメモリーはこれまでの宇宙用メモリーより放射線に対して100倍以上強いばかりでなく,最先端の民生製造技術で作製したために高性能でありかつ低コストなものです。本稿では,この宇宙用メモリーの開発についてご紹介します。開発が成功したポイントは,
1)SOI技術を用いたことと,
2)民間メーカーと互いの目的のために協力しあったこと
です。

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2.放射線に強いSOI技術

 宇宙用部品においては,宇宙放射線によるソフトエラー(放射線によるビット反転エラー)が深刻な問題であることは皆さんもご存知だと思います。衛星搭載機器異常の原因の4分の1以上がソフトエラーであるという報告があります。一方,地上で用いる民生部品においても,微細化が進んだことにより,部品内部の不純物材料から発生する放射線問題に加えて,地上に降り注ぐ宇宙線中性子シャワーの問題が顕在化しています。航空機だけでなくハイエンドサーバー等IT基盤技術におけるソフトエラーの問題が危倶されているのです。東京湾上では,実に,1時間1cm2あたり20個以上の中性子が降り注いでいます。IT社会の基盤としてハイエンドサーバーが敷設されていきますが,このままでは,“IT基盤を確保するためには,ソフトエラーは100年1回以下にしなければならない”という国際半導体技術ロードマップ(ITRS)の勧告をみたせないのが現状です。

 SOI(Silicon On Insulator)技術は,このような放射線による障害に対して強い技術として米国では軍や宇宙を中心に早くから注目されてきました。この技術は,シリコンウェーハ上に絶縁物である二酸化シリコン層を設け,さらにこの上に設けたシリコン層(SOI層:厚さ0.1〜0.05ミクロン)に半導体部品の動作領域を製造するプロセスです。“絶縁物の上のシリコン”という意味の“Silicon On Insulator”という用語はここからきています。動作領域をシリコンウェーハ(厚さ〜500ミクロン)上に形成する一般の製造プロセスと比べて,SOIは技術的に難しくコストアップを招くものとしてまだ一般には広く普及しているものではありません。特筆すべきことは,SOI技術で作製した部品には,寄生バイポーラ構造がないことから,シングルイベントラッチアップ(放射線により過大電流が流れて永久損傷になる可能性がある障害)というソフトエラーとは別のタイプの放射線障害が全く起こらないことです。このように,放射線に対して何の対策もしない部品をどこの工場で作ってもラッチアップという故障は起きる心配のないことから,SOI部品ではソフトエラーの対策さえしておけば良いのです。このことが,一般のシリコン製造プロセスで耐放射線強化部品を製造するのと比べた際の非常に優れている点です。しかしながら,現在,海外で宇宙用として作られているソフトエラーに対して強いSOI部品は,民生技術より数世代遅れた専用の工場でしか作れませんので,性能が民生部品と比べて劣ることは否めません。

 一方,近年民間でもSOI技術は高速・低消費電力動作を可能とする技術として注目を集めるようになりました。米国のIBMがハイエンドサーバー用の部品をSOI技術で製造すると宣言して以来,国内でもにわかに脚光を浴びています。このため最先端のSOI技術を利用して国内でも半導体部品を作れる時代となりました。しかしながら,IBMや国内の半導体メーカーが作った最先端の民生用SOI部品は宇宙環境でのソフトエラーに対する考慮が全くないので,シングルイベントラッチアップは発生しないものの残念ながらソフトエラー耐性が低いことが明らかになっています。

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3.SOI−SRAM開発における宇宙研と民間の協調路線

 この期待されるSOI技術を用いて宇宙用部品を宇宙研の限られた予算の中でいかに開発するかが次のポイントとなります。半導体部品の開発には巨額の費用がかかり,半導体メーカーは小口ユーザーである宇宙研のために特別な部品を作ってはくれません。そのため私たちは惑星探査のための戦略的開発体制,STRAIGHT(STudy on Reduction of Advanced Instruments weiGHT program)というプログラムの中で開発することにしました。小型惑星探査機に必要となる戦略的技術を選択して,産業界の広範囲の製造技術と宇宙研の特殊技術の協調体制のもとで開発するというものです。これは利用できる民間の技術を発掘して単に採用するという考え方ではありません。宇宙研と産業界にとって互いの技術が魅力的なものである時に,お互いに技術を出し合って,開発費を負担しあい,互いの目的のために協力し合うというものです。本開発においては,自動車・建設機械・原子力機器等の耐環境性・高信頼性が要求されるエレクトロニクス製品を製造している三菱重工業名古屋誘導推進システム製作所のSOI技術と,宇宙研の耐放射線化技術を融合することで,この関係を成立させることに成功しました。(図1)その結果,パソコン等と比べて遥かに高信頼性が要求される民生産業機器用メモリーのソフトエラー問題と共に,衛星搭載用メモリーのソフトエラー問題を同時に解決しました。産業機器のために年間十数万台のメモリーを製造している三菱重工と協調路線がとれたからこそ最先端の宇宙用半導体部品を実現することができたのです。半導体部品の製造手法がファウンドリーという受託生産体制に変わったこと,ならびにソフトエラーに対する認識が民間でも深刻に受け止めるように変わったという時代の変化が生んだ幸運と言えます。


図1 SOI-SRAM開発における宇宙研・民間の協調路線


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4.SOI-SRAMの性能


図2 SOI-SRAMチップ(チップサイズ:3.5 X 4mm)


 今回開発に成功したメモリー(図2)は,SRAM(Static Random Access Memory)型のメモリーで,128Kbitの容量を持つものです。LSIの高速化・低消費電力化が期待されている国内の最先端の0.2ミクロン・デザイン・ルールの民生SOIプロセスを用いて製造されたメモリーであるにもかかわらず,海外の宇宙用の工場で作ったものよりソフトエラー発生確率が極めて低いものです。本SRAMは,図3に示すように,SOI構造の採用と,トランジスター構造の工夫と,回路上の工夫によりソフトエラー発生のしきい値LET(荷電粒子が半導体に与えるエネルギー量で表す)が45MeV/(mg/cm2)以上と高い上,シングルイベントラッチアップという別の障害が全く起こらないという特性を持ちます。このしきい値LETの値から推定される静止軌道上でのソフトエラー発生確率は,太陽が活発に活動する時期でも約9000年1回と極めて小さいもので,従来の海外の宇宙用SOI-SRAMに比べて2桁以上耐性を高めたことになります。(表1)


図3 ソフトエラー耐性を強化した(黄色と灰色部分)SOI-SRAMの
   セル構成と,ソフトエラーの発生確率を表す断面積。    
(プロットは放射線試験結果,太い曲線はシミュレーションによる予測値)


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表1 海外の宇宙用SOI-SRAMとの性能比較


5.今後の展望

 本成果を,放射線が半導体素子に及ぼす影響を討議する世界最大(530名参加)の国際会議(IEEE Nuclear and Space Radiation Effects Conference,フェニックス2002年)で発表したところ,米国のNASASNL(Sandia National Laboratories),フランスのCommissariat a l'energie atomique(CEA)等の研究機関より高く評価され,デバイスの引き合いが来ています。このうちSNLおよびCEAと共同研究を開始しており,バンクーバーでプロトン照射実験を,ロスアラモスで中性子照射実験を進めていて,私たちの開発したSRAMについてさまざまな評価を国際的に進めることができるようになりました。

 冷戦が終わり宇宙用の最先端部品を入手することは世界的に難しくなっている状況下で,宇宙研の耐放射線化技術と日本の民生の最先端SOI技術の協調により宇宙用部品を安価に開発すれば,日本の戦略的部品となるものと考えています。現在,本SOI技術を発展させて,マイクロプロセッサーに加え,高速データバスを持つコンピュータボードを開発して,分散処理や並列コンピューティング等の高度な衛星運用を可能とする部品の開発を目指しています。これが私たちの大きな夢を実現するための次の目標です。

(ひろせ・かずゆき,さいとう・ひろふみ) 


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