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ISASニュース 2002.9 No.258 |
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考証:チューハイ缶と宇宙研の関係三 浦 公 亮芋焼酎もなつかしいが,最近ではチューハイも衣替えして,モダーンなのみものになってきたことで人気がでている(写真)。今日は,そのチューハイ缶と宇宙研との関係を,まじめに考証してみましょう。
この缶チューハイを一度でも飲んだことがある人は,だれでも知っているが,開けると,プシューツッと音がして,写真左側からとつぜん右側のかたちにとつぜん変形する。普通,缶ビールをあけたあとは,缶はふにゃふにゃで,たよりないが,このチューハイ缶は,あけたあと,とつぜんかたくなって,しっかりする。その変化が面白いのか,よくわからないが,とにかく売れるようである。 手元に,東京大学理工学研究所報告1951年11月号の,相当に酸化してしまった冊子がある。この号の論文で,吉村慶丸先生は,航空機の胴体のような薄肉の円筒は,“概不伸張有限変形”で座屈すると喝破された。その特殊な変形の展開可能面は,いま吉村パターン(Yoshimura-pattern)と呼ばれているもので,まさしく右側の缶のかたちである。吉村先生は,駒場の研究所の時代におられたえらい先生のお一人である。いまの時代には,えらい先生という言葉は死語になったのかもしれないが,そうとしか言えない。当時,公務員の通勤手当というのがはじまった頃で,そのような少額の手当は教授にたいしてたいへん失礼である,と辞退されたという噂がある。とにかく昭和20年代の,駒場の話である。 それから時が経って,1969年11月,宇宙航空研究所のREPORTに,その特殊な展開可能面がふたたび現れる。こんどは,破壊のかたちとしてでなく,構造の新しいかたち(PCCPシェル)としてである。この仕事には,NASAもからんでいる。筆者は,1966年から67年NASA のラングレー研究所で,極超音速機の胴体の破壊の研究をしていた。その過程で,吉村パターンのいろいろなバリエーションを考え,そのモデルをつくった。ところで,まったく偶然だが,ある日,その破壊のモデルが,非常に安定した構造であることに,手の感触で気づいたのである。もともと,この一群の展開可能面の,幾何学的美しさに魅せられていたので,そのインパクトを素直に受容する素地ができていたのである。それからは,破壊の研究はちょっとお預けで,破壊の仮面をした構造に身がはいる始末であった。破壊したあとの研究に何の意味があるのか?とはNASAの仲間のつぶやきである。それもそうかもしれない。 仲間の言ったとおり,世間はまったく冷たかった。この論文は自分の書斎で長年のほこりをかぶり,早晩ゴミ箱行きの運命にあった。1995年早春のころ,相模原に移った研究所三階の名誉教授室で,筆者は,T製缶会社の方とお会いしていた。テーブルの上におかれた製品をみたとき,あ,捨てないでよかったと一瞬おもったものである。お話によると,T社の技術者がPCCPシェルの論文をみつけ,困難をきわめた開発がひそやかに進行していたのである。まさに日本の製造技術のすごさを見せていただいたのだ。 チューハイ缶の誕生には,こうして,1951年の吉村先生の座屈の論文,1969年の筆者の論文,が関係しており,また組織としては,理工研,宇航研,NASA,宇宙研がからんでいたことになる。もちろん最後はT製缶会社が,開発でしめてのことである。 考証はさておき,この缶は考えさせるいろいろな特徴をもっている。中身を賞味しながら,考えることをおすすめする。 *周方向のダイヤモンド・パターンの数は,13である。奇数を選ぶのは,そのほうが「丸い」からである。その数学的および生産的理由は? *この缶は,円筒の缶に印刷してから,加工する。展開可能面への伸びない変形だから,画がゆがまない。 *缶をあけたとき,缶は,座屈の形状になるから,高さがちいさくなり,断面積も小さくなる。従って容量が小さくなるはずだが,中身のこぼれる心配をするほどではない。 筆者が心配するのは,「チューハイ缶ごときのために,仕事をしたのではない」という,えらい先生のおしかりの声が聞こえてきそうだからである。宇宙での実現には,先生,もすこし時間をください。 (本所名誉教授,みうら・こうりょう,2002. 8. 10) |
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