No.240
2001.3

ISASニュース 2001.3 No.240

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旧き友「あけぼの」

鶴 田 浩 一 郎  



 この3月で私は定年を迎え宇宙研を退職する。気持ちでは「未だ若僧」のつもりでいても客観事実は否定できない。ついに,思い出めいた文章を書かされる羽目に立ち至った。記憶力に問題のある私は「思い出」が苦手なのである。大雑把な記憶によると,私が衛星開発に関わることになったのは「じきけん」衛星開発に見習いとして参加した1976年頃のことだったと思う。

 私にとって本命は次の「あけぼの」衛星であった。当時EXOS−Dと言っていたこの衛星の責任者だった大林先生が体調を悪くされ,私が跡を継ぐことになった。丁度その頃,宇宙研の衛星が国際的に認められ始めようとしている時期で,私達も何とか「あけぼの」を一流の衛星にしたいという熱い思いがあった。先行していた衛星に米国のS3-3とスエーデンのヴァィキング衛星があり,この二つの衛星を超える必要があったため,観測機にも軌道にも妥協の余地がない状態で計画は出発することとなった。工学担当は中谷先生(途中で名取先生に交代)であった。

 私どもの分野では電場や磁場,プラズマ波動を測るため数十メートルのアンテナや数メートルの伸展マストを持った「花魁のかんざし」と揶揄されるような形状の衛星が必要である。しかし,「じきけん」では輸入したアンテナがうまく動作しなかったし,本格的に使えるブームも無かった。そのため「あけぼの」では新規に国産のアンテナやブームを開発することにした。「Geotail」や「のぞみ」のアンテナやブームの基礎は「あけぼの」での三浦・名取研でのブームの開発,雛田先生や森田氏の伸展物のダイナミックス解析にあるといえる。余談であるが雛田先生の主導で定期的に開催されていた伸展物のダイナミックスに関する検討会には私も出席していた。難解な数学を理解することはついに出来なかったが,専門家がちゃんと考えてくれているのだと言う安心感を得るのには役立った。

 「あけぼの」は軌道の関係でそれまでの宇宙研の衛星の中で最も放射線被爆量の多い衛星となることが解っていた。当時,宇宙研には放射線対策の専門家はいなくて,結局素人集団が俄か知識を持ち寄って対策を講じることになった。使用部品の放射線試験が必要だと言うことで,東海大学原研の高見先生やいろんな方にお願いして照射試験を行った。ともかくも相当量の部品について照射試験を実施し,弱い部品の一部は2重化して対処するなど過剰防衛とも言える対策を施した。また論理素子は耐放射線部品を米国から輸入して使用した。この米国から輸入した耐放射線論理素子はその後リード部分のメッキが剥離すると言う大問題を起こした。フライトモデルの製作過程で発生した不具合で,打ち上げ延期に直結しかねない重大事であった。急遽米国へ飛び,代替品の早期納入を迫ったが埒があかない。結局現有品のリードを再処理してメッキ剥離を防ぐということになった。再処理は日本電気の社内で行われたが,他社の使用分も含め1万点近いICのリードを手作業で処理した日本電気には企業の良心と気概を見た思いがした。

 「あけぼの」は総合試験でも問題が続出した。連日連夜のトラブルシューティングに頭を寄せ合う,川口さん,大島さん他当時の若手の顔が浮かぶ。そこには責任者も発注者も企業も無く,ただ一群の技術者が一つの問題の解決に頭を寄せ合っている姿があった。プロジェクトに関する私の原風景である。

 当初1年はもたせたいと願った「あけぼの」は打ち上げ後12年を経過して今なお健在である。まさか,私の退職後まで現役を続けるとは想像もしていなかった。論文もそこそこに出たし,何人かの博士も出たことだから,少し気楽にしてあまり若者の手を煩わせない老後を送ってくれることを願っている。

(つるだ・こういちろう) 



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